⤴この西瓜は二週間前、留学生のCさんがお土産に持ってきてくれたものです。
スーツケース30㎏を引きずり、駅から歩いて20分の我が家までの途中、
Cさんはスーパーで超特大の西瓜を買い求め、
全身大汗を搔きながらやってきたのでした。
暑さ、重さ、自分の苦労を顧みず、どうせ買うなら一番でかいのを、と
躊躇なく選んだこの姿勢は実に中国的だなあと思いました。
「どうせやるなら派手にやる」
「もてなしは全身、全霊、全力で」
こうしたキャッチコピーがピッタリなのが中国式です。
中国に滞在した約10年間に、
私は「捨て身のもてなし」とでも呼ぶしかないような
手厚く、情のこもった待遇を何十回も受けてきました。
実は、私の亡き母は戦時中の1943年、二十代前半でしたが
現地除隊して日本軍下請けの石炭会社に就職した父に連れられて
山東省濰坊市に行き、そこで数年間過ごした体験を持つ人でした。
敗戦を迎えるや、軍隊は素早く日本に戻ったけれど民間人は取り残されて、
半年後の1946年2月にようやく帰国できたそうです。
その母から彼女の知る中国の人々について何度も聞かされた話があります。
「中国人は心が広い。
来る者は拒まず、『来、らい、らい』と言って
誰でも気軽に家に招くのさ」
「中国から引き揚げるとき、村の人たちは油菓子と餞別まで持たせてくれた。
お返しをしないとだめなんだ。」
「最後に馬車に乗って別れる時、
『平和になったらまた来いよ~』と言ってくれたのさ」
と、まるで昨日のことのようにはっきりと、懐かしそうに語ったものです。
親が受けた恩を子どもの私が代わりに返すことの一つに
こうした親の経験した事実を周囲の人々に話していくこともあると思い、
以前にも書いた内容ですが再びここで紹介いたします。
政府やメディアが意図的に、
まるで中国が敵国であるかのように語るので
煽られて日本の民が中国の人々を敵視したりしないために。
ものごとを一面的に見ては真実が分かりませんからね。
さて、Cさんと私は中国の大学の話や中国と日本の事情などで
盛り上がったのですが、
ちょうど今、日本でマイナンバーカードを巡って揉めているので
中国のIDカードがどう使われているか、中国の管理システムとの関連を
尋ねてみました。
郵便局や銀行、学校等の公的機関以外に、ホテルの宿泊・両替、
市外に出る交通機関、ちょっと高価な買い物をしたときなど、
いつでも提示が求められます。
そう言えば、私は外国人なので
しょっちゅうパスポートを見せろと言われたものでした。
Cさんが、
「何が嫌だと言って、IDカードとセットで持ち物検査をされるのが一番嫌です」
と言ったとき、
私は列車の駅で持ち物検査される度に(この無礼者!)と心で叫び、
顔を引きつらせていた自分を鮮やかに思い出したのでした。
その上、中国の主要駅には何人もの兵士が銃を持ち、
客に向かって直立しています。
IDカードが国民管理の一環としてあること、
その管理は国家によって好き放題強化され得ることを、
Cさんとの話で改めて感じました。
⤵中国の大学キャンパスはたくさんの樹木が。これは何という名だったかな。