毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

好きだなあ、東北ことば『おら おらで ひとりいぐも』

2023-09-12 10:50:42 | 日本語

私は東北の言葉が大好きです。

角張った清音を濁音が優しく包み込むことで和らぐ音の響きや、

古典文法にも通じる助詞使いによって深みを表現する

なんと、なんとの日本語であることよ、と以前から感じていました。

 

特定の地域で話される「お国言葉」は、それで話す・書く・聞くだけで

時空を超え、人と人をつなげることがあります。

私の両親の親たち(私の祖父母)は、

明治末期に本州の東北・北陸から北海道に渡った開拓移民です。

出身は、母方の祖母:石川県、父方の祖母:岩手県、父方の祖父:富山県、

の三人で、母方の祖父の出身地だけ失念しています。

4人の祖父母のうち、少なくとも3人が東北・北陸出身であり、

それぞれ日常はお国言葉で子どもたち(私の父母)と話をしていたはずです。

しかし、私の記憶では両親ともに北海道共通語(ピジン)を使っており、

東北・北陸の言葉は生の形では孫世代の私まで到達しませんでした。

にもかかわらず、この『おら おらで ひとり いぐも』を読んだ時、

私の身体の芯が(いや~、なんて懐かしいことばなんだべ~)と

という反応を示したのです。

まるで、私が生まれる前に別の世界に逝ってしまった祖母が私の血脈の内側で

「おらはここにおるぞ、エヘン」と言っているかのようでした。

 

作者の若竹千佐子さん(岩手県遠野市生まれ)の語りは岩手言葉で

私の父方の祖母と同じです。

この小説を読んだ後、明治末期、まだ娘っ子だった祖母が

独りで、岩手から道東の端まで流れ着くに至った事情や、

斜里駅前の旅館で住み込み賄い婦として大人の中で渡り合い、

祖父と結婚した後もお歯黒でぴしっと化粧しながら働いていた様子など、

父から聞いた祖母のことを思い起こし、

ひととき、会ったこともない祖母への想いに浸りました。

お国言葉が時間や空間を超えて、人と人を結ぶ一例だと思います。

 

若竹千佐子さんが2017年『おら おらで ひとりいぐも』を引っ提げて

63歳で文壇デビューし、第54回文藝賞、第158回芥川賞をW受賞した人だということは

つい最近知りました。

中国に駐在していたとき、毎日パソコンで日本のニュースを見ていても

日本事情のところどころがまだら状に抜け落ちてしまうことがありました。

これもその一例です。

内容は、愛する夫に先立たれ、子どもたちも自立して独りになった70代の女性が

自分の中の何人もの自分と対話しながら、

家族、夫婦、人間、そして宇宙を考え、人生を肯定していくという話です。

まず、年齢が自分に重なります。どうしたって、そうだそうだと共感する部分が多いのです。

また、文中、東北弁に加え流行語、流行歌を駆使するのみならず、

熊谷次郎直実(『平家物語』)の

「これ以上無用な戦はするでない、これでは互いに首をばかいてんげる」、

藤原定家の「紅旗征戎わが事にあらず」、

菅原道真「あるじなしとて春な忘れそ」など古典文学をチラ見せし、

亡き夫の墓目指して、痛めた足を曳きつつ、ひたすら歩みを止めない主人公に

「ウオーキングハイか」と諧謔をサラリ添えするなど、

古今東西縦横無尽の言葉表現に、

私の好きな作家の一人、町田康を思い出さずにはいられませんでした。

時々、音読も楽しんでいます。

次の作品『かっかどるどるどう』が既に出版されているので

読む楽しみにとってあります。

 

⤴梅雨時から急にひょろひょろと伸び始めたローレル。

日照不足の裏庭にあって、

「もっと光を」と彼?彼女?なりに手を尽くしているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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