毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

読書会「玄冬会」

2024-06-14 22:24:51 | 街角

木漏れ日 同じ輝きは二度とない

 

2020年1月初頭、冬休みの一時帰国のつもりで中国山東省の大学から日本に戻ったのですが

コロナパンデミックによって移動できなくなりました。

仕事は6月までオンライン授業を続け、その後辞めました。

ほぼ同時期に息子の店を背負って立たざるを得ない事態になったためでもあります。

慣れない店の厨房に朝から晩まで12時間張り付く毎日が一年半以上続きました。

喜界島の俊寛さんよりはマシだと自分に言い聞かせていても、

今振り返れば、心身共に相当疲弊していたようです。

 

息子の体調が回復し始めた2021年の12月から息子の店で読書会を始めました。

この会は私にとって精神的な希望の光でした。

呼びかけに応じてくれたのは退職教員やブティックの元オーナーなど

私の大切な友人女性たちでした。

テーマは初回の〈『苦海浄土』を読む〉に始まり、

〈百人一首・お気に入りの一首紹介〉、

〈石母田正『物語による日本の歴史』を読む〉

〈『平家物語』〉〈『源氏物語』〉〈『樋口一葉』〉〈鴎外・漱石〉

〈お気に入りの詩・歌・絵本の紹介〉などなど

風の向くまま気の向くままに課題を決めてひと月かふた月に一度集っています。

高校生(いや、中学生?)レベルの内容かも知れませんが、

何十年もあくせく働いてばかりで

じっくり本を読む時間を取れず生きてきた私たちには、

そんなお気楽な内容の会でも十分楽しいもので、今でも続いています。

 

その会「玄冬会」の大切な友人の一人がこの6月9日に逝きました。

先月、総勢7名が病で遠出できなくなった彼女の家に集まり、

〈森崎和江の人・作品〉をテーマにいつものように各自各様の発表とお喋りをしたのです。

それが彼女に会う最後になるなどと露ほども疑わず…。

 

彼女は普段の会で、一つの方向に固執しがちな私の視点に、いつも

もう一つの見方を提示してくれる貴重なアドバイザーでもありました。

もちろん、彼女自身も一つに拘る場面もあって、

それに対して別の角度の観方を提示し考えを交歓するのは討論の妙なる面白味でした。

先月の例会で彼女は、

「売春婦という言葉は使われるが買春夫はない。買わなければ売ることもないのに。

自分の夫や息子が買春夫になっていないか考えてみるべき」と自分の視点を表明し、

「日本では余りに性をタブー視して暗い陰惨なものにしている。

幼い頃から男女の付き合い方を大人も子どもも、男性も女性も学んでいく必要がある」

とレポートを結んでいます。

LGBTQまで視野を広げていないにしても、

命が尽きる一か月前まで彼女は、社会正義を貫くために

可能な限り客観的・多面的に物事を見るという立場を堅持していました。

レポートは本を何冊も図書館から借りて読み、思索した内容でした。

この会の一週間後、彼女はホスピス医療を施す病院に入院しました。

 

最期まで、カッコいい女(ひと)でした。

私は私の最期まで、きっとあなたを忘れないでしょう。

Rest in peace...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 諸行無常、だから大丈夫 | トップ | 21世紀初めの大江健三郎の言葉 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

街角」カテゴリの最新記事