「日本人もやるときゃやりますよ。」
自分がしたわけでもないのに、今日、私は思い切り誇りを持って
学生たちにこう言いました。
水俣病患者とその家族、支援者たちの50年に及ぶ闘いのことです。
高度経済成長期には全国規模で様々な公害が発生しましたが、
その一つ、熊本県水俣市の水俣病について写真と文で紹介しました。
今の中国社会も公害問題で苦しんでいます。
日本の経験を学ぶことで、
学生たちに中国の人々の被害を最小に抑える方策を考えてほしかったのです。
写真は以前ネットで探して保存しておいたもので、
申し訳ないのですが出所を記録していませんでした。
私自身、感動を持ってスクリーンに写し続けた何枚もの写真を、
学生たちも固唾を飲んで見ていました。
熊本大学医学部の学生たちのハンストには驚きの声が上がりました。
自分たちにそんなことができるとは想像もしていないからでしょう。
お金をチッソの社長に突き付けて、
「お金じゃない、健康な体を返せ」と要求する女性の映像に、
何人もの学生が頷いていました。
それにしても、日本ではこうして先輩たちが直接行動を辞さず、
法律が制定されていなかったら、制定するように政府に働きかけ、
裁判にも訴え、公害を垂れ流す元凶の会社にも押しかけて、
実力行使で頑張ってきたからこそ、
公害対策基本法(1967年)、現在の環境基本法(1993年)が制定され、
2009年には、未認定患者を救済する
「水俣病被害者救済特別措置法」が成立したのです。
そして、今、沖縄の辺野古・高江でがんばる人たちも同じことをしています。
なぜ一部の人々は、
沖縄の主張を、政府と一緒になって足蹴にしようとするのでしょう。
基地も公害なのです。
↑補償額提示に反対する水俣病患者家族の代表らが、遺影を抱いてチッソ本社前に座り込んだ=1970.5.14撮影
↑指が曲がったまま自由がきかない水俣病患者の手 =水俣市で1970年5月撮影
↑厚生省前で座り込み、水俣病患者の写真を掲げて企業責任を追及する「水俣病を告発する会」のメンバーら。中央が「苦海浄土」の著者・石牟礼道子さん=1970年5月25日撮影
↑教授陣に対して「水俣病患者放置の責任をとれ」とハンストする熊本大医学部生
=熊本市で1971年12月2日
↑患者たちの自主交渉要求を拒絶していたチッソ側は、本社内への通路を閉ざした=1972年撮影
↑スウェーデンで開かれた「第1回国連人間環境会議」。政府代表だけにまかせておけないとストックホルム市内で水俣病の被害を訴える患者の浜元二徳さん(左から3人目)と坂本しのぶちゃん(同4人目)=1972年6月6日、毎日新聞特派員団撮影
↑「他人には預けられない」と16年間、胎児性水俣病患者の上村智子さんを自宅で介護する母親の良子さん=水俣市1972年10月4日
↑水俣病訴訟最終弁論を迎え、熊本地裁前に立ち並んだ「怨」の旗=熊本市で1972年10月11日撮影
↑市立リハビリテーションセンターでリハビリに取り組む胎児性・小児性水俣病患者ら=水俣市1973年3月20日撮影
↑預金通帳と現金を島田賢一・チッソ社長(手前)の前に積み上げ、
「もとの体に返せ」と詰め寄る患者たち
=東京都千代田区のチッソ本社で1973年4月13日撮影
↑胎児性水俣病患者の上村智子さんを抱き上げながら、
父の好男さんから苦しみを聞く三木武夫環境庁長官
=水俣市の坂本さん宅で1973年年5月9日撮影
↑水俣病の公式確認から40年。軌跡をたどる「水俣・東京展」が東京品川駅前の特設会場で開かれた。水俣病患者500人の「遺影」が並ぶ会場=1996年9月28日撮影
↑水俣病関西訴訟判決で最高裁判所が行政責任を認め、原告(奥)に頭を下げる小池百合子環境相ら=2004年10月15日、環境省で佐々木順一撮影
↑50年前の写真とともに、記念撮影に臨む水俣病被害者たち
=水俣市のエコパーク水俣親水緑地で2010年5月1日、和田大典撮影
そういう意味で、中国はまだまだだと思います。
その一方、日本も安倍政権の下で、貧しく、品性のない国家に転落の一途をたどっていますね。残念です。しかし、これも選挙で国民が選択したのですから仕方ありません……。
民間の環境にやさしい商品を販売する日系企業が北京など大都市で健闘しているという記事を見たことがあります。今は「がんばれ、民間企業!」の気持ちです。
その後、熊本水俣病や新潟阿賀野川水系での新潟水俣病病、富山イタイイタイ病、三重四日市ぜんそくなど各地で工場から排出された排煙や排水が原因で重篤な被害者が大勢発生したこと、大都市周辺の工業地帯を中心に工場の排煙や急増していた自動車の排気ガスなどが原因して光化学スモッグが発生し、連日のごとく光化学スモッグ情報が出されたのもわずか40数年前の高度経済成長を謳歌していた時期のことです。
その後被害の深刻さから高まる被害者の抗議や幅広い国民の反公害活動、公害発生企業を相手取った訴訟などの成果で日本では公害対策への取り組みがなされてきました。
いま中国をはじめとする発展途上国における各種の公害問題は実は僅か半世紀前に我が国が歩んだ道そのものであると思います。地球温暖化に象徴される地球規模の大気汚染やCO2問題などの解決にこの半世紀間のわが国の経験や問題解決への知見と技術をもっともっと生かす道を中国に向けて、そして世界に向けて発信することが何にもまして世界平和のために我が国がとるべき最上の貢献策ではないでしょうか。