沖縄から大阪に戻った日、
中国の2年生の張新禹さんからメールが届きました。
私が沖縄に行っている間に張さんは塾で日本語を教えるため
故郷の徳州市からバイト先の維坊市に移動したのでした。
(徳州市から維坊市まで列車だと5、6時間はかかるでしょう)。
考えてもみましょう。
全く日本語が分からなかった子が
1年5ヶ月後に、もう塾の先生ですよ!
本当に感動的です。
先生、ご無沙汰しております。
今日は日本語の先生をやりました。
本当に楽しかったです。
おととい、クラスメートの李蓮蓮さんから
維坊市でのある日本語の先生の仕事を
紹介してもらいました。
日本語の初心者向けの塾でした。
ちょうど昨日は父の仕事始めの日でした。
だから父と一緒に済南へ行きました。
そして、僕だけ列車で維坊市に到着しました。
いろいろな準備を経て、ついに今日、私の授業が始まりました。
教科書は『標準日本語』です。
最初の授業は、ただ五十音でした。
ひらがなとカタカナの書き方を一つ一つ生徒に紹介しました。
そして、発音も。
アクセントの部分は僕にとってはちょっと解説しにくいから、
録音にしたがって、生徒と一緒に読みました。
先生になると、本当に勉強しました。
まさに生徒は先生、僕は生徒のような……。
生徒のために、いろいろな準備をしなければなりません。
僕の自分のミスも気づきました。
例えば、うの発音とか、いろいろなひらがなの書き方とか。
生徒のあしたの授業の準備のために
この文章はチェックしませんでした。
いろいろなミスがあるはずです。とてもすみませんでした。
下は僕の授業するところです。
これは凄いことですね。もとはと言えば短期間にこれだけの力量をつけられた張さんの先生の指導が凄いということですね。
こうして日本語に親しんでくれる人が一人でも増えることは、小さいけれど大きな外交だと思います。
張さんのますますの活躍を期待しています。
しかし、中国の学生たちは目を輝かせて日本語を学んでくれます。(歴史問題を抱えていることは学校でガッツリ学んでいる子達なのにどうしてだろう?)とずっと思ってきましたが、学生たちにとって、外国語はコミュニケーションの道具であると同時に異世界を手に入れる手段なんですね。日本語の背景に日本という違う世界に生きる人々の生活や歴史、社会、文化が広大に広がるからこそ、かつて自国を侵略した国の言語であっても興味や魅力を感じるのではないかと思います。日本語学習は学生たちの心に、「日本による中国侵略は決して忘れることはないものの、それもまた長い歴史の中の1コマである」という度量の大きさを植えつけてくれる気がします。
日本でも中国語を学ぶ学生がもっと、もっと増えることを心から願います。