キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

堺・文化財特別公開 パート2

2011-11-13 07:24:08 | Weblog

今日は、秋季堺文化財特別公開の『パート2』 のブログです。

あの日(11月5日)から もう8日経ちました。

 

 

 

 

 

 (特別公開のこんなりっぱなパンフレットもありました。

 係りの方ご苦労様でした。堺の住民としていい勉強が

 できました。)

 

 

 

 

 

(月並みな言い方ですが、アッという間に日々が流れていきます。)

早くアップしようと思いながら、忙しくてなかなか

時間が取れませんでした。

 

以前から一度参詣したかった『開口(あぐち)神社』に

 

お参りしたことを。

 

 

 

(開口神社の看板、勢いのある筆使いです!!) 

 

 

 

(本殿、御祈祷を受けている方もおられて。)

 

 

 

 

(鉾かけ、見事な刺繍がされていました。)

 

 

 

 

 (三国ヶ丘高校の発祥の地とか、境内に 府立第二

 尋常中学(三国ヶ丘高校の前身)がありました。)

 

 

 

 

 (泉陽高校の発祥の地でもあります。女紅場(泉陽高校の前身)

 も境内にあったようです。)

 

 

 

 

 

近くの住民には『大寺さん』と言って親しまれている神社です。

開口神社の HP の『由緒と伝説』では、次のように記されていました。

 

『開口神社は奈良時代には開口水門姫神社と称しており、

最古の国道と言われる竹之内街道の西端にあって

大阪湾の出入口を守る神社で、神功皇后勅願によって
 

建立されたと伝えられます。

堺の集落はこの辺りから発展し、町となって来ました。

 
その後、平安末期の天永4年(1113年)開口・木戸・原村の

 

神社が合祀され堺の総氏神として崇敬を集め、また江戸時代まで

念仏寺というお寺が境内に在った事から今も大寺さんと

いわれ親しまれています。』

 

 

 

 (今年の干支の巨大絵馬。今年もあと少しで終わるんだぁ~。)

 

 

 

 

(竈の神様、三宝荒神さん)

 

 

 

 

 なるほど、大阪湾の出入り口を守る神様だったのです。

そして、神社の境内に『念仏寺』というお寺があったので

今も皆さんが『大寺さん』と言ってお参りするということが

よく分かりました。

 

 

 

『式内社』とは、時々耳にする用語ですが、

平安時代の康保4年(西暦867年)に施行された三大式の一、延喜式が在るが、

其の中の延喜式神名帳に記載された神社を特に式内社と呼ぶようです。

 

 

 

 

 

 

 (街を歩いていると、時々笑ってしまう文に出会います。

 ピンピン生きてコロリと・・・。そんなにうまくいき

 ませんよと言ってみたかったり~。

 

 

 

 

(古い佇まいのお店です。刃物屋さんでした。)

 

 

 

 

町の賑やかなところにありますが、結構広い神社で

境内神社もたくさんありました。

 

お参りをして、おみくじをひきました。

『小吉』だったので、まぁまぁかな? と思って

木に結びつけて神社を後にしました。

 

 

 

 

(堺は、三味線の発祥の地でもあるらしい。初めて知りました。

 かわいいストラップと飴のセット。)

 

 

 

 

(こんなタオルにも出会って。長寿人生というタオルです。

 還暦 六十才でお迎えが来た時は、只今留守と云へ。から

 皇寿 百十一才でお迎えが来た時は、ころを見てこちらから行くと云へ。

 まで。 面白いので買っちゃいました。

 

 

 

 もっと色々回りたかったのですが、生憎の雨で

これで終わりにして堺東からバスで家路に着きました。

 

 

 

 

 

 

コメント
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