キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

堺ツーデーマーチ・その1

2014-06-08 08:57:53 | Weblog
昨日(6月7日)は、堺ツーデーマーチに参加しました。

副のテーマに

『世界遺産登録をめざす、堺の古代ロマンを歩こう!』

とあります。









(第9回になるんですネ。去年も参加したような・・・。)












(駅で見つけたパンフレット)












(チビッ子も参加で~す!!)






コースは、4㎞・10㎞・20㎞・35㎞ と4種類あります。

私は骨折後、初めてのウォーキング参加となりますので

当日受付で4㎞コースを申し込みました。

その中にあった、『団体歩行では、学芸員による解説を聞きながら

歩くことができます。』

という列に並びました。










(司会の方がオープニングのゲストの紹介を。)









(バレーボールのブレイザーズの選手も。さすが大きい!!)






これがよかったですねぇ~。

ただ歩くだけでなく、専門的な知識を持った方から

お話を聞くと、頭が納得します。







(途中、観光ボランティアが歴史上の人物に扮装して寸劇も。
 
 この方は誰に扮して???)










(世界遺産登録を。 エイエイオーと? 何回もやらされていました。

 プロのカメラマンは簡単に妥協しませ~~ん!!)









(「前にならえ!!」 これから、チビッ子もステージに上がります。)








(血圧測定も。ウエットティッシュもいただいて。測定値はいつもより

 高めで 137 と 73 でした。)






先生の一番前でお話を聞けたので、気軽に質問もできたし

よく聞こえました。


時々、折角お話を聞いているのに距離が遠いので

殆ど内容が分からないことも・・・。






コースの順路は、大仙公園内古墳 → 仁徳天皇陵古墳 → 御廟山古墳 → いたすけ古墳

です。






歩き始めたら、雨が降ってきました。

如何に日頃の行いがよいか? です。~笑い~





まず、大仙公園内古墳から

『グワショウ坊古墳』は

卵形の円墳で、墳丘は2段築成と考えられています。周囲には濠(ほり)がめぐり、

葺石と埴輪が発掘されています。 また、円墳で径約61メートルという大きさは、

仁徳天皇陵古墳(大山古墳)の陪塚とされている径約62メートルの大安寺山古墳に

次ぐ大きさで、全国的にも有数の規模を誇ります。

発掘調査では、墳丘には「天地返し」とも呼ばれる鱗状層序(うろこじょうそうじょ)に

よる盛土を採用していることが分かりました。

築造時期は、遺物から5世紀後半と考えられます。

※ 天地返し・・・盛土が 黄色い層・灰色の層・黄色い層・灰色の層というように

         土が盛られていること








(上から見ると、こんな風に。円墳というのがよく分かります。)








雨が段々激しくなって、レインコートを。

メモするノートにも雨が・・・。






『旗塚古墳』は

帆立貝形前方後円墳で、2段築成の墳丘です。造り出しを持ち、濠(ほり)は盾(たて)形にめぐり、

周囲に葺石と埴輪列を備えた幅3.4メートルの堤が存在する可能性が高いようです。

そして、出土した埴輪から、5世紀中頃の築造と考えられます。


※ 帆立貝形前方後円墳・・・古墳の一形式で、円丘に小さな方形の張り出しをつけて全体の平面形が

              帆立貝形になる古墳。










(帆立貝形古墳 というのが少し分かるような、分からないような・・・。)







術後、初めてのウォーキングということもあって

道路の様子をしっかり見て、気をつけて歩いています。

生意気に先頭を。





『七観音古墳』は

履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)の外周部分に該当する大仙公園の南入口にあり、

同古墳に付随する古墳と考えられます。墳丘は経約56m、高さ約8mで三つの埋葬施設を

持ち、沢山の埴輪・武具・武器(刀・槍など、それも鉄製)が発掘されています。

人は埋葬していなくて、道具だけを埋葬しているとも。





4世紀から5世紀の古代人の生活に思いを馳せています。

質素な食べ物に粗末な住処だったろう。

でも、そのころの尺度では十分幸せだった!!

古代のロマンとは、かけ離れた発想を・・・。








(本当に公園の一角にあるという感が。)







『寺山南山古墳』は


履中天皇陵古墳(ミサンザイ古墳)の後円部側外周にある方墳で、

同古墳に付随する古墳と考えられています。

墳丘は「天地返し」による鱗状層序(うろこじょうそうじょ)からなる盛土を採用し、

築造時期については、わが国で最古段階の須恵器が出土していることから

5世紀初頭頃と推測されています。








(百舌鳥古墳群には、百基くらい古墳があったようです。しかし現存するのは

 44基とのことです。その44基の1基になります。)






今日はここまで。


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