6月7日(土)の堺ツーデーマーチの続きで~す。
(堺市の観光案内のパンフレットもたくさんいただいて。
皆さん、堺市に来てくださいネ!!)
大仙公園を出てからは、『狐山古墳』へ
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の陪塚と考えられて径23m、高さ4mの円墳で、
溝状の濠がめぐっていました。古墳の現状は墳丘の裾が削られ方墳状に
なっていますが、墳丘は高く残存度は良好だそうです。
(狐山古墳)
途中、『日本庭園』の趣のある入り口を眺めて。
(資料もしかり見て。)
そして、本日のメイン『仁徳天皇陵古墳』に
クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ約20年かけての
築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。墳丘は3段に築成され三重の濠が
めぐり10基以上の陪塚があります。
現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。
葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、犬、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕(かめ)が出土し、古墳が造られた
年代を知る資料として話題になっています
また、北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)と
ともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれています。
(おなじみの仁徳天皇陵)
それから、『御廟山古墳』へ
御廟山古墳は全長は186m、後円部は径が約95m、高さが約17m、
前方部は幅が約119m、高さが約17mの規模で、
百舌鳥古墳群では4番目に大きい前方後円墳です。
また、百舌鳥古墳群の中の主要古墳で、前方部を西に向けている前方後円墳が
3基あります。土師ニサンザイ古墳、いたすけ古墳、そして御廟山古墳です。
(御廟山古墳)
御廟山という名称は、東側に位置する百舌鳥八幡宮の奥の院、すなわち応神天皇の御廟である
という伝承に由来しています。
(応神天皇陵の第2候補として陵墓参考地に指定され、宮内庁が管理しています。)
(学芸員の方は、分かりやすく解説してくださいます。)
最後に『いたすけ古墳』に
いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置し、前方部を西に向ける3段築成の
墳丘146mの前方後円墳です。
墳丘の形や埴輪の状況から5世紀中頃に築造されたと考えられます。
(上空からのいたすけ古墳)
いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による
運動で保存が決まり、昭和31年に国指定史跡になりました。現在も濠の中に残されている橋げたは、
土取り工事が行われようとしたときの名残です。保存運動の際に後円部から採集された
冑形(かぶとがた)埴輪は実物の鉄製冑を忠実に模したもので、堺市の文化財保護の
シンボルマークになりました。
いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群を構成する重要な前方後円墳というだけでなく、我が国における
文化財保護の歴史を語るうえでも重要な古墳です。
(冑形埴輪、堺市の文化財保護のシンボルマークでもあります。)
今回は学芸員の方の解説を聞きながら歩きましたが、古墳の詳しいことを学ぶことができて
よかったです。
いたすけ古墳の保存運動が我が国の文化財保護運動の先駆けとなり、今も大きな影響を
与えているということに改めて堺市民の叡智と行動力に感服!!
(リュックに付けたゼッケンと完歩証)
(ゴールしましたぁ~。)
4キロのウォークが無事に終わり、足の調子も悪くありません。
うれしいことです。有意義な1日が完了!!
(堺市の観光案内のパンフレットもたくさんいただいて。
皆さん、堺市に来てくださいネ!!)
大仙公園を出てからは、『狐山古墳』へ
仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の陪塚と考えられて径23m、高さ4mの円墳で、
溝状の濠がめぐっていました。古墳の現状は墳丘の裾が削られ方墳状に
なっていますが、墳丘は高く残存度は良好だそうです。
(狐山古墳)
途中、『日本庭園』の趣のある入り口を眺めて。
(資料もしかり見て。)
そして、本日のメイン『仁徳天皇陵古墳』に
クフ王ピラミッド、始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓、5世紀中ごろ約20年かけての
築造とされ全長約486mの日本最大の前方後円墳。墳丘は3段に築成され三重の濠が
めぐり10基以上の陪塚があります。
現在の外濠は明治時代に掘り直されたものです。
葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、犬、家などが出土しています。
昭和30年代と最近の調査で造出しから須恵器の甕(かめ)が出土し、古墳が造られた
年代を知る資料として話題になっています
また、北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)と
ともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれています。
(おなじみの仁徳天皇陵)
それから、『御廟山古墳』へ
御廟山古墳は全長は186m、後円部は径が約95m、高さが約17m、
前方部は幅が約119m、高さが約17mの規模で、
百舌鳥古墳群では4番目に大きい前方後円墳です。
また、百舌鳥古墳群の中の主要古墳で、前方部を西に向けている前方後円墳が
3基あります。土師ニサンザイ古墳、いたすけ古墳、そして御廟山古墳です。
(御廟山古墳)
御廟山という名称は、東側に位置する百舌鳥八幡宮の奥の院、すなわち応神天皇の御廟である
という伝承に由来しています。
(応神天皇陵の第2候補として陵墓参考地に指定され、宮内庁が管理しています。)
(学芸員の方は、分かりやすく解説してくださいます。)
最後に『いたすけ古墳』に
いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群のほぼ中央に位置し、前方部を西に向ける3段築成の
墳丘146mの前方後円墳です。
墳丘の形や埴輪の状況から5世紀中頃に築造されたと考えられます。
(上空からのいたすけ古墳)
いたすけ古墳は、昭和30年頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による
運動で保存が決まり、昭和31年に国指定史跡になりました。現在も濠の中に残されている橋げたは、
土取り工事が行われようとしたときの名残です。保存運動の際に後円部から採集された
冑形(かぶとがた)埴輪は実物の鉄製冑を忠実に模したもので、堺市の文化財保護の
シンボルマークになりました。
いたすけ古墳は、百舌鳥古墳群を構成する重要な前方後円墳というだけでなく、我が国における
文化財保護の歴史を語るうえでも重要な古墳です。
(冑形埴輪、堺市の文化財保護のシンボルマークでもあります。)
今回は学芸員の方の解説を聞きながら歩きましたが、古墳の詳しいことを学ぶことができて
よかったです。
いたすけ古墳の保存運動が我が国の文化財保護運動の先駆けとなり、今も大きな影響を
与えているということに改めて堺市民の叡智と行動力に感服!!
(リュックに付けたゼッケンと完歩証)
(ゴールしましたぁ~。)
4キロのウォークが無事に終わり、足の調子も悪くありません。
うれしいことです。有意義な1日が完了!!