3月2日(火)に読了。
2016年発行なので、菅さんの官房長官時代に書かれた著書。
(私は、新聞広告を見て、その表紙の写真が何となく暗く、菅総理の目つき
もあまりヨロシクないので、ちょっと引きましたが、でも借りて読むことに。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/5c/69146d70c10d40491360866b1e1cc6f9.jpg)
(誠実であるような、ないような・・・。
イヤ誠実では、総理はつとまりません!!)
「菅義偉の正体」というサブテーマだからか? その父の時代まで遡り取材をしていた。
終戦時の満州開拓団の集団自決は、初めて知って痛ましくて胸が苦しくなった。
(父、菅和三郎さんも満州開拓団の一人。でも、満州の戦火をくぐり抜ける。アイデアマンでも
あり、イチゴ農家として成功。家庭は決して貧農ではなかった。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/a9/987ab79a15697653b7890c3a7b13880e.jpg)
(父・和三郎さんは、知恵者でイチゴを品種改良して
「ニューワサ」 と名付けて販路を広げ、地元名士でもあり。)
現在は、長男の接待問題で大変そうで、野党議員からボロンチョに言われ
ちょっと気の毒な感じ!!
主人に「安倍さんは奥さんで躓き、菅さんは長男で躓き、肉親はいないといけないけど、
いても大変!!」
と言ったら、笑っていた。
菅総理は、横浜出身の小此木彦三郎国会議員の秘書時代から、
仕事が早くマメであった。
読んでいたら、その昔 横浜港の荷役労働者を取り仕切っていた
3代目山口組長の田岡組長や美空ひばり などの文言も出てきて
そうなんだぁ~ と思いながら読み進んだ。
菅総理は、横浜市会議員から出発しました。
維新の橋下徹氏との関係・NHKの人事介入・沖縄の基地問題・創価学会との対立と和解
財界との人脈作りについて詳しく語られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/09/ce3a330e5a5a0c91e30c14d55f49c467.jpg)
(このコロナ禍の時代、誰が総理になっても大変だなぁ~、 と。)
最後に、
「菅が師と仰ぐ梶山静六は、いわば角栄と菅の中間にいた政治家ではなかったか。
日米の安全保障の矛盾を感じ取りながら、沖縄に寄り添い信頼を得てきた。弱者
に寄り添い、思慮深い思いやりがある泥臭い政治家ーーー。そんな菅像もしばしば
語られる。そこにはやはり異論が残る。」
と結ばれていた。
異論が残る ということは、決してそうではない と受け取ったのですが・・・。
その2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8f/4f6a6a0275a78cde01bfb20ab624bc5c.jpg)
(大仏建立では行基が大きな役割を果たして。完成までに9年を要しました。
この時代で82才の長寿であったのはすごい!!と思いました。
また、聖武天皇は、56才で亡くなりました。)
2016年発行なので、菅さんの官房長官時代に書かれた著書。
(私は、新聞広告を見て、その表紙の写真が何となく暗く、菅総理の目つき
もあまりヨロシクないので、ちょっと引きましたが、でも借りて読むことに。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/5c/69146d70c10d40491360866b1e1cc6f9.jpg)
(誠実であるような、ないような・・・。
イヤ誠実では、総理はつとまりません!!)
「菅義偉の正体」というサブテーマだからか? その父の時代まで遡り取材をしていた。
終戦時の満州開拓団の集団自決は、初めて知って痛ましくて胸が苦しくなった。
(父、菅和三郎さんも満州開拓団の一人。でも、満州の戦火をくぐり抜ける。アイデアマンでも
あり、イチゴ農家として成功。家庭は決して貧農ではなかった。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/a9/987ab79a15697653b7890c3a7b13880e.jpg)
(父・和三郎さんは、知恵者でイチゴを品種改良して
「ニューワサ」 と名付けて販路を広げ、地元名士でもあり。)
現在は、長男の接待問題で大変そうで、野党議員からボロンチョに言われ
ちょっと気の毒な感じ!!
主人に「安倍さんは奥さんで躓き、菅さんは長男で躓き、肉親はいないといけないけど、
いても大変!!」
と言ったら、笑っていた。
菅総理は、横浜出身の小此木彦三郎国会議員の秘書時代から、
仕事が早くマメであった。
読んでいたら、その昔 横浜港の荷役労働者を取り仕切っていた
3代目山口組長の田岡組長や美空ひばり などの文言も出てきて
そうなんだぁ~ と思いながら読み進んだ。
菅総理は、横浜市会議員から出発しました。
維新の橋下徹氏との関係・NHKの人事介入・沖縄の基地問題・創価学会との対立と和解
財界との人脈作りについて詳しく語られていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/09/ce3a330e5a5a0c91e30c14d55f49c467.jpg)
(このコロナ禍の時代、誰が総理になっても大変だなぁ~、 と。)
最後に、
「菅が師と仰ぐ梶山静六は、いわば角栄と菅の中間にいた政治家ではなかったか。
日米の安全保障の矛盾を感じ取りながら、沖縄に寄り添い信頼を得てきた。弱者
に寄り添い、思慮深い思いやりがある泥臭い政治家ーーー。そんな菅像もしばしば
語られる。そこにはやはり異論が残る。」
と結ばれていた。
異論が残る ということは、決してそうではない と受け取ったのですが・・・。
その2
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/8f/4f6a6a0275a78cde01bfb20ab624bc5c.jpg)
(大仏建立では行基が大きな役割を果たして。完成までに9年を要しました。
この時代で82才の長寿であったのはすごい!!と思いました。
また、聖武天皇は、56才で亡くなりました。)