キラキラ

毎日の生活を写真と共に綴っていきます。

総理の影 ~菅義偉の正体~

2021-03-06 09:02:10 | Weblog
3月2日(火)に読了。

2016年発行なので、菅さんの官房長官時代に書かれた著書。

(私は、新聞広告を見て、その表紙の写真が何となく暗く、菅総理の目つき

 もあまりヨロシクないので、ちょっと引きましたが、でも借りて読むことに。)







(誠実であるような、ないような・・・。
 
 イヤ誠実では、総理はつとまりません!!)




「菅義偉の正体」というサブテーマだからか? その父の時代まで遡り取材をしていた。

終戦時の満州開拓団の集団自決は、初めて知って痛ましくて胸が苦しくなった。

(父、菅和三郎さんも満州開拓団の一人。でも、満州の戦火をくぐり抜ける。アイデアマンでも

 あり、イチゴ農家として成功。家庭は決して貧農ではなかった。)






(父・和三郎さんは、知恵者でイチゴを品種改良して

 「ニューワサ」 と名付けて販路を広げ、地元名士でもあり。)







現在は、長男の接待問題で大変そうで、野党議員からボロンチョに言われ

ちょっと気の毒な感じ!!

主人に「安倍さんは奥さんで躓き、菅さんは長男で躓き、肉親はいないといけないけど、

いても大変!!」

と言ったら、笑っていた。




菅総理は、横浜出身の小此木彦三郎国会議員の秘書時代から、

仕事が早くマメであった。

読んでいたら、その昔 横浜港の荷役労働者を取り仕切っていた

3代目山口組長の田岡組長や美空ひばり などの文言も出てきて

そうなんだぁ~ と思いながら読み進んだ。







菅総理は、横浜市会議員から出発しました。

維新の橋下徹氏との関係・NHKの人事介入・沖縄の基地問題・創価学会との対立と和解

財界との人脈作りについて詳しく語られていました。









(このコロナ禍の時代、誰が総理になっても大変だなぁ~、 と。)





最後に、

「菅が師と仰ぐ梶山静六は、いわば角栄と菅の中間にいた政治家ではなかったか。

日米の安全保障の矛盾を感じ取りながら、沖縄に寄り添い信頼を得てきた。弱者

に寄り添い、思慮深い思いやりがある泥臭い政治家ーーー。そんな菅像もしばしば

語られる。そこにはやはり異論が残る。」

と結ばれていた。

異論が残る ということは、決してそうではない と受け取ったのですが・・・。



その2



(大仏建立では行基が大きな役割を果たして。完成までに9年を要しました。

 この時代で82才の長寿であったのはすごい!!と思いました。

 また、聖武天皇は、56才で亡くなりました。)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする