コルディレラ地方の伝統文化を知りたくて、博物館を探しました。
バギオには二つの博物館があり、一つはフィリピンの名門大学UP(University of the Philippines)バギオ校の敷地内にあるコルディレラ博物館。もう一つはバギオ博物館。
『地球の歩き方』の説明ではどちらも同じような展示内容だったので、とりあえず近いほうということで、コルディレラ博物館に行きました。ところが、大学が年末年始で休校、博物館も休館でした。
しかたなく、もう一つのバギオ博物館のほうに行きました。
2階建ての博物館の展示品は、コルディレラ地方の主要な民族の民族衣装や家屋のレプリカ、昔の武器類などでした。それぞれ違いがあるのだろうけれども、細かく見ないとよくわからない。広い意味では同じ文化の持ち主なのでしょう。
ここでミイラの実物を見たということは、前にも書いた通り。
展示を見終わり、博物館を出ると、出入口のわきで、レリーフ(浮彫)を制作中のフィリピン人彫刻家がいました。
「あれはヤマシタじゃない?」
ダニエルがレリーフを指さしました。彫刻家に話しかけ、尋ねてみると、そのレリーフは、日本陸軍の山下奉文大将が、イフガオのキアンガンで米軍に投降し、バギオに移送された後、米軍司令官の前で降伏文書に調印する歴史的瞬間の写真をレリーフ化しているところだったのです。
「こちらの方々は日本人なんですよ」
ダニエルが彫刻家に私たちを紹介します。その彫刻家は、ダニエルの母の故郷、キアンガンの出身。年齢も母親とあまり違わないそうで、ダニエルとの間で話が盛り上がりました。
彼は、イフガオの芸術家の血を継いで、子どものころから絵や彫刻が好きだったとのこと。高校を卒業して、路上で似顔絵なんかを描いていたら、その腕前が米軍兵士の目に留まった。それから、米国人の肖像画や、歴史的な場面の写真のレリーフ化の仕事をずっとやっているのだそうです。
奥から出してきたアルバムには、自分の作品の写真や、自分が紹介された新聞記事の切り抜きなどがたくさんスクラップされていました。今では、この地方で有名な彫刻家のようで、バギオ博物館の中にも、彼の彫刻作品が展示されているということです。
コルディレラ博物館が休みだったおかげで、こんな芸術家に出会うことができました。
バギオには二つの博物館があり、一つはフィリピンの名門大学UP(University of the Philippines)バギオ校の敷地内にあるコルディレラ博物館。もう一つはバギオ博物館。
『地球の歩き方』の説明ではどちらも同じような展示内容だったので、とりあえず近いほうということで、コルディレラ博物館に行きました。ところが、大学が年末年始で休校、博物館も休館でした。
しかたなく、もう一つのバギオ博物館のほうに行きました。
2階建ての博物館の展示品は、コルディレラ地方の主要な民族の民族衣装や家屋のレプリカ、昔の武器類などでした。それぞれ違いがあるのだろうけれども、細かく見ないとよくわからない。広い意味では同じ文化の持ち主なのでしょう。
ここでミイラの実物を見たということは、前にも書いた通り。
展示を見終わり、博物館を出ると、出入口のわきで、レリーフ(浮彫)を制作中のフィリピン人彫刻家がいました。
「あれはヤマシタじゃない?」
ダニエルがレリーフを指さしました。彫刻家に話しかけ、尋ねてみると、そのレリーフは、日本陸軍の山下奉文大将が、イフガオのキアンガンで米軍に投降し、バギオに移送された後、米軍司令官の前で降伏文書に調印する歴史的瞬間の写真をレリーフ化しているところだったのです。
「こちらの方々は日本人なんですよ」
ダニエルが彫刻家に私たちを紹介します。その彫刻家は、ダニエルの母の故郷、キアンガンの出身。年齢も母親とあまり違わないそうで、ダニエルとの間で話が盛り上がりました。
彼は、イフガオの芸術家の血を継いで、子どものころから絵や彫刻が好きだったとのこと。高校を卒業して、路上で似顔絵なんかを描いていたら、その腕前が米軍兵士の目に留まった。それから、米国人の肖像画や、歴史的な場面の写真のレリーフ化の仕事をずっとやっているのだそうです。
奥から出してきたアルバムには、自分の作品の写真や、自分が紹介された新聞記事の切り抜きなどがたくさんスクラップされていました。今では、この地方で有名な彫刻家のようで、バギオ博物館の中にも、彼の彫刻作品が展示されているということです。
コルディレラ博物館が休みだったおかげで、こんな芸術家に出会うことができました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます