犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

金壽卿とソシュール

2021-09-21 23:47:16 | 
 

 ソウル時代の友人のFacebookで、北朝鮮の言語学者の評伝があることを知り、さっそく読んでみました。

『北に渡った言語学者 金壽卿1918-2000』(人文書院、2021年7月刊)です。著者は、同志社大学教授の板垣竜太。

 私は、北朝鮮にこのような偉大な言語学者がいたことを知りませんでしたし、この大学者が2000年まで北朝鮮に存命だったということにも驚きました。

 本書は、植民地朝鮮の天才言語学者の言語学的業績を紹介するとともに、解放後に北朝鮮に渡るという選択をした金壽卿が、朝鮮戦争の混乱を生き抜き、家族離散の憂き目に遭い、北朝鮮の政治的闘争に巻き込まれて学界から姿を消したあと、僥倖によって家族と再会し、学者としても復権するにいたる、壮大なドラマが描かれた、著者渾身の評伝です。

 植民地時代の朝鮮に生まれた金壽卿(キム・スギョン)は、語学の天才でした。

 群山の公立普通学校に普通より1年早く入学し、5年制の(日本人用)中等学校を成績優秀につき、4年で卒業して、満15歳で京城帝国大学の予科甲類(英語が第一外国語)に入学します。

 金壽卿は、学校の教授言語である日本語はもちろん、予科修了までに、英語、ドイツ語、フランス語をマスター。言語学を学びたいという希望を持ち、言語学を教えていた小林英夫に相談しました。しかし、京城帝国大学法文学部には国語学(時枝誠記)、朝鮮語学(小倉進平)はあっても言語学の講座がなかったことから、小林の勧めにしたがって哲学科に進学(1937年)。哲学を学ぶかたわら、足繫く小林の研究室に通って個人的に語学や言語学の教えを受けます。

 小林英夫は、京城帝国大学に赴任する直前の1928年にフェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』を『言語学原論』という書名で翻訳していました。ソシュールの死後、1916年にパリで刊行された本書が外国語に翻訳されたのは、小林の日本語訳が世界初訳だったとのことです。小林は、京城帝国大学在職中に改訳を行い、改訂版を『一般言語学講義』の名で岩波書店から刊行します(1940年)。改訂版の「訳者の序」には金壽卿ほか2名に対する謝辞があり、金壽卿が改訂作業を手伝ったことがわかります。

 哲学科在学中は授業でギリシア語、ラテン語、ロシア語を学び、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、デンマーク語を小林から習ったそうです。

 1940年に学士号を得て京城帝国大学を卒業した金壽卿は、創氏改名した「山川哲」の名で、東京帝国大学文学部大学院に進学。研究課題は「朝鮮語の比較言語学的研究」で、指導教員は小倉進平。言語学研究室には、小倉以外に、アイヌ語の金田一京助、古典語の神田盾夫、モンゴル語の服部四郎がおり、1943年から金壽卿の指導教官は服部になりました。

 しかし43年夏に金壽卿はソウルに帰郷。そのまま東京には帰らず、44年3月に東京帝国大学を退学、京城帝大朝鮮語学研究室の嘱託となりました。当時、京城帝大で講座担当をしていた河野六郎によれば、金壽卿のこの行動は学徒動員を逃れるためだったとのことです。

 こうして金壽卿は、27歳のときに京城帝国大学で「光復」を迎えますが、その時点で、印欧語の古典語であるギリシャ語、ラテン語、サンスクリット、現代語として英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、デンマーク語、東アジアの古典語である漢文、現代語として朝鮮語、日本語、中国語、モンゴル語、満州語ができたということです。

 14歳で「ギリシャ語、ラテン語およびドイツ語の語根」に関する処女論文を書き、21歳のときに書いた「印欧諸語における母音の原初体系についての覚書」で学界にセンセーショナルを巻き起こしたソシュールを彷彿とさせます。

 金壽卿は卓越した個別言語の語学力にとどまらず、ソシュールを嚆矢とする一般言語学も知悉していました。

 小林英夫の『一般言語学講義』の「改訂」において金壽卿が任されたのは、主に縦書きで組まれていた旧版を横書きに移写する作業で、「改訳」に関わったかどうかは不明です。しかし、写し書きをするなかでソシュールの「一般言語学」の諸概念を吸収したでしょうし、小林が1937年から43年の間に翻訳した『言語研究・現代の問題』では、仏独伊語で書かれた言語学の最前線の論文15編の翻訳について、小林は謝辞に「勉学の苦楽をともにした山川哲君(金壽卿の日本名)に感謝しなければならない」と書き、金壽卿が翻訳原稿作成に深く関わったことが示唆されています。

 15編の論文には、ソシュールの弟子で、死後に『一般言語学講義』を編纂したバイイ、セシュエや、ソシュールの考え方の一部を批判したバンヴェニストの論文も含まれていました。

 このようにして得た一般言語学の知見は、解放後の北朝鮮におけるソビエト言語学の受容と朝鮮語研究、朝鮮語改革案の策定に大いに生かされることになります。

 なお、小林が翻訳した『一般言語学講義』は、バイイとセシュエの解釈が入っており、「ソシュールの思想」が正確に伝わっていないという問題提起が、1950年代以降になされました。

 日本では、中央大学の故丸山圭三郎が1980年代に『ソシュールの思想』を出したのを皮切りに、矢継ぎ早に「新解釈」を打ち出しました。

一般言語学講義

 金壽卿は、1971年から1989年まで一切の論文を発表しておらず、「沈黙の時代」にありましたが、日本における「『一般言語学講義』批判」に触れる機会があったのかどうか、もし知っていたら、どんな思いをもったのか、大変興味があります。

 私は、80年代前半に東大に出講していた丸山教授の授業でソシュールを学び、大きな刺激を受けました。80年代後半は、ソ連ウォッチャーとしてスターリン時代からゴルバチョフのペレストロイカに到る政治思想の変遷を調べたことがあります。そして、90年代には韓国に関わるようになり、植民地時代から戦後の韓国語書記体系の変遷について調べたりましました。

 今回、本書を通して、ソシュール、ソ連、朝鮮が、金壽卿という人物を通して結びつくという読書体験をすることができ、とても感銘深く思いました。

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