犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

1964年の東京五輪と家族

2021-07-25 23:20:56 | 思い出
 1964年の東京オリンピックのとき、私は3歳半ほどでしたので、記憶はほとんどありません。

 かすかに、自宅から外に出て、空に五輪のマークが描かれるのを見たことを、ぼんやりと覚えています(覚えているような気がします)。もっとも家族に繰り返し聞かされた話を、自分の記憶だと思い込んでいるだけかもしれません。

 実際に競技場に足を運んで観戦した家族がいたのかどうか。父が、柔道無差別級で日本の神永がオランダのヘーシンクに敗れた試合について、「ずっとつかみあって、力比べしているだけで、ぜんぜん面白くなかった。あんなの柔道じゃない」と言っていたのを聞いたことがありますが、もしかしてオリンピックに合わせて建立された日本武道館で観戦したのかもしれません。

 ほかの家族はたぶん自宅でテレビ観戦していたのでしょう。そのころ、わが家には小さな白黒テレビがあったはずです。

 母が繰り返し話していたのは、女子バレーの「東洋の魔女」が決勝でソ連(なつかしい!)を打ち破ったときの興奮と、女子体操のチャスラフスカの演技のすばらしさでした。

 私は、小学生のとき、「東洋の魔女」という子供向けの本を買ってもらい、ニチボー貝塚の大松監督が、「不器用な女の子たち」を世界一の「魔女」に鍛え上げていったようすを読みました。

 祖父は、マラソンのことを言っていました。円谷幸吉が、国立競技場に2番目に走り込んできたのに、大観衆の前で、後からきたイギリスのヒートリーに抜かれ、銅メダルに終わったことを、「もう少し頑張ればよかったのに、だらしない奴だ」などと、責めていました。

 円谷選手は次のメキシコ五輪で金メダルを期待されていましたが、五輪直前の正月に自ら命を絶ちました。彼を自殺に追い込んだ切ない事情については、沢木耕太郎がすぐれたノンフィクション作品にまとめており、このブログでも紹介したことがあります。(リンク

 祖母と伯母は、スポーツに興味がなかったのでしょう。東京五輪の思い出話を聞いた記憶はありません。

 家には、国立競技場に設置された聖火台をかたどった灰皿があり、愛煙家の父が長く使っていましたし、父が銀行員だった関係か、そのときに発行された記念硬貨(100円と1000円)がたくさんあり、それは今も「コインブック」に収められて、私の手元にあります。

 兄は私より4歳半年長でしたから、東京オリンピックの記憶も残っていたと思われますが、3年ほど前に東京マラソンに出る前の練習後、心不全で亡くなり、もう話を聞くことができません。

 兄はスポーツが好きで、熱狂的な巨人ファン。ボクシングも好きで自らジムに通うほどでした。2020東京五輪をとても楽しみにしていて、「通訳ボランティア」をやるんだといって、中国語の個人教授についていました。

 もし存命で、順調に中国語力を高めていたとしても、コロナで無観客になってしまったので、残念な思いをしたことでしょう。

 思えば、57年前に7人家族だったわが家は、私を残してすべて鬼籍に入りました。

 2度目の東京オリンピック開催に際し、今は亡き家族のことがふと思い出され、今回は個人的な話になりました。

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