写真:多峯主山から飯能市街を望む
先週の週末、私が住む飯能の近隣で、娘の家族といっしょにハイキングに行きました。
多峯主山(とうのすやま)という、標高271メートルの山です。
このあたりの幼稚園、小学校の遠足コースとしてよく使われるようで、次女が働く幼稚園でも、10月に遠足が予定されており、今回はその下見を兼ねていました。
手前にある天覧山(197メートル)を登った後、少し下ってから、あらためて上りが続きます。次女の息子と三女の孫娘は誕生日が1か月違い。孫娘のほうはおんぶ・だっこが多かったですが、男の子のほうは頑張って自分の足で登っていました。
途中、案内板がありました。
見返り坂と飯能笹(県指定天然記念物)
見返り坂は源義経の母常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り振り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。
この見返り坂の麓に、植物学者故牧野富太郎博士により発見され、命名された飯能笹の植生がある。
この笹は…(後略)
「ふーん、常盤御前と牧野富太郎か…」
常盤御前はたんなる伝説でしょうけれども、牧野富太郎がここを訪れたのは確かのようです。
付近に笹が見られましたが、それが飯能笹かどうかは確認できませんでした。
牧野は飯能笹以外にも、笹の新種を発見しています。
妻の死と「すえこざさ」の命名
先週の週末、私が住む飯能の近隣で、娘の家族といっしょにハイキングに行きました。
多峯主山(とうのすやま)という、標高271メートルの山です。
このあたりの幼稚園、小学校の遠足コースとしてよく使われるようで、次女が働く幼稚園でも、10月に遠足が予定されており、今回はその下見を兼ねていました。
手前にある天覧山(197メートル)を登った後、少し下ってから、あらためて上りが続きます。次女の息子と三女の孫娘は誕生日が1か月違い。孫娘のほうはおんぶ・だっこが多かったですが、男の子のほうは頑張って自分の足で登っていました。
途中、案内板がありました。
見返り坂と飯能笹(県指定天然記念物)
見返り坂は源義経の母常盤御前がこの山に登ったとき、あまりの風景のよさに後を振り返り振り返り登ったことによりこの名がついたといわれている。
この見返り坂の麓に、植物学者故牧野富太郎博士により発見され、命名された飯能笹の植生がある。
この笹は…(後略)
「ふーん、常盤御前と牧野富太郎か…」
常盤御前はたんなる伝説でしょうけれども、牧野富太郎がここを訪れたのは確かのようです。
付近に笹が見られましたが、それが飯能笹かどうかは確認できませんでした。
牧野は飯能笹以外にも、笹の新種を発見しています。
妻の死と「すえこざさ」の命名
昭和三年二月二十三日、五十五歳で妻寿衛子(すえこ)は永眠した。病原不明の死だった。病原不明では治療のしようもなかった。世間には他にも同じ病の人もあることと思い、その患部を大学へ差上げるからそれを研究してくれと大学へ贈った。
妻が重態の時、仙台からもってきた笹に新種があったので、私はこれに「すえこざさ」と命名し、「ササ・スエコヤナ」なる学名を附して発表し、その名は永久に残ることとなった。この笹は、他の笹とはかなり異なるものである。私は「すえこざさ」を妻の墓に植えてやろうと思い、庭に移植して置いたが、それが今ではよく繁茂している。
(『牧野富太郎自叙伝』青空文庫より)
妻寿衛子は、ドラマの中でとは違い、生涯に13人の子どもを産んだということです。
(『牧野富太郎自叙伝』青空文庫より)
妻寿衛子は、ドラマの中でとは違い、生涯に13人の子どもを産んだということです。
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