今回、ミャンマーでの取材先への同行、通訳などを、私が東京でミャンマー語を習っている先生の娘さんにお願いしていました。
教えてもらった住所を手がかりに地図で見ると、歩いて行けそうな距離でしたが、さきほど降った大雨がまだ完全にはやんでいなかったし、道は水浸し。タクシーで行くことにしました。10分ぐらいで着くはずです。
運転手に、住所のメモ書き(ミャンマー語と英語)を見せると、運転手は「わかった」という表情。
土曜日の午前中、交通量が多いわけではありませんが、道が所々で冠水しているので、車はなかなか進みません。ところによっては、道が完全に水没し、水深30センチぐらいはあるんじゃないかというほど。そのような中を、車は派手にしぶきをあげながら走ります。
小雨なので、道を歩く人もいますが、ミャンマーの人たちはみなこういう事態に備えてかサンダル履き。冠水した道路をジャブジャブと歩いて行きます。
(どうしよう)
私は自分の靴をみました。
(靴も靴下も脱いで、裸足で歩くしかないか)
「このへんだけどなあ。住所、もう一度見せて(英語)」
とタクシー運転手。
集合住宅と聞いていたので、それらしき建物を探しましたが見当たりません。
運転手は自分の携帯で住所もメモ書きに書かれていた番号に電話しました。
携帯電話の普及率は相当高いようです。
通話内容はミャンマー語なのでまるっきり聞き取れませんが、話がついたようです。
少し行ったところの道沿いに、傘をさした若い女性が立っていました。先生の娘さんです。
タクシーはその前で停車しましたが、ドアの前は水深10センチメートル状態。
するとタクシーは、周りの車にクラクションを鳴らされながら、車の位置を変えようとします。
ある自動車修理工場の駐車場に入れようとしているようです。駐車場は道より少し高くなっていて、水没をまぬかれていました。このありがたい配慮により、私は裸足で歩いて破傷風の危険を冒さないですみました。
「トゥエヤーダー・ワンターバーデー」(初めまして。このあとは英語)
娘さんは大学2年ですが18歳。ミャンマーは入学年齢が一年早いうえに初等教育が1年短いので、16歳で大学に入学するのです。
娘さんは、自動車修理工場のわきの細い階段を上って行きました。
(ここだったのか!)
日本のアパートやマンションとは似ても似つかない建物です。
住所には「1st floor」とあったので、てっきり一階だと思っていたのですが、ミャンマーの英語はイギリス式で、一階はグランウンド。ファーストフロアーは二階だったのです。もし出迎えてもらえなかったら決して行き着けなかったでしょう。
だいぶ古く、建物には相当な傷みがあって、現在、人が住んでいるとは思えない建物。先生自身は国家公務員、ご主人は事業をしており、二人の子どもは大学に通っている。ミャンマーでの生活水準はかなり上のほうだと思いますが、ミャンマー庶民の住環境はこんなものなのでしょうか。
家に入ると、お客さんを迎えるために精一杯片づけたと思われますが、何しろ狭いので雑然としています。
1LDKか、2LDKか、奥に部屋があるのかよくわかりませんが、キッチン、食堂、居間、書斎を兼ねたような空間に通されました。
ミャンマーの正式は座り方は、床にそのまま座るもののようですが、ご主人はかなり恰幅がよく、座るのが足に負担のようで、低めの椅子に腰かけていました。そして私にも小さな椅子をすすめてくれたので、私もお言葉に甘えました。
日本で聞いた話では、昼食はお手伝いさんが作るとのこと。娘さんが運んできてくれたのは、大皿に大盛りのごはん(インディカ米)に、やはり大皿の肉料理。
「チェッター・ヒン」
ミャンマー風、チキンカレーです。チェッターは鶏肉、ヒンはおかず。日本語ではカレーと訳すことが多い。色は真っ赤ですがあまり辛くありません。大量の油が使われていて、肉、ジャガイモ、ナスなどの具材は、水没ならぬ油没状態。
一家はムスリムなので、豚肉は使いません。
それ以外に、日本ではあまり見ない野菜の炒めものが2種類、それに「ご飯によく合う」といって進められた、トウガラシのふりかけ。どれも大量です。
私は高田馬場のミャンマー料理で馴れているので、どれも想定の範囲で、おいしく食べることができました。
娘さんが学生をいうことで、私は、日本で数年前から普及している「消せる三色ボールペン」をスペアをつけてプレゼントしました。娘さんはとても珍しがっていました。
「犬鍋さんは、仕事が終わってから、どこか見たいとこありますか。連れて行ってあげますよ」
「そうですね、シュエタゴンパヤーには行ってみたいですが…」
といった瞬間、しまったと思いました。
シュエタゴンパヤーはヤンゴン最大の仏教寺院。代表的な観光地でもありますが、ムスリムの父娘にとってはちょっと具合が悪い。
一瞬の気まずい沈黙の後、
「じゃ、ミンガラーゼー(ショッピングセンター)に行ったあとで、寺の入り口まで送っていってあげましょう。私たちは中には入れないから」
「チェーズーティンバーデー(ありがとうございます)」
お父さんもいっしょにタクシーに乗り、私たちが取材先を訪問する間も、外で待っていてくれました。
ミンガラー市場というのは、ヤンゴンの大きなショッピングセンター。ボージョー市場とは違って、観光客向けではなく、一般のヤンゴン市民が買い物をするところのようです。娘さんが路上で買った青パパイアを、トウガラシ粉と塩と砂糖を混合した粉末につけて食べます。タイでも似たものを食べました。せっかく案内してもらったので、妻のためにエスニックなブラウスを一枚買いました。
「あれ、知ってますか?」
娘さんがトラックの荷台を店にしている屋台を指さしました。
「ミャンマーの伝統的なお菓子です」
日本の人形焼のような作り方で、一つ一つにウズラの卵を落とします。ひっくり返して、卵に火が通ったところで出来上がり。直径3センチぐらいの球形の甘いお菓子です。
そこからタクシーで15分ぐらい。壮麗なシュエタゴンパヤーの前で、私だけ下ろしてもらいました。
お母さんが、最初の日本留学時、家族で日本に遊びに行ったとき、お父さんが軽い脳梗塞で倒れ、日本にいた一か月間、病院に入院したお父さんの看病に明け暮れた、という話を、日本で聞いていました。
しかし、そのときの日本での経験(病院での対応、医療水準の高さ、社会秩序、安全さなど)から、家族はみな日本のファンになったそうです。
今回、初対面の私をこれほど歓待してくれたのも、こうした親日意識があったのだと思われます。
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写真に関しては、特別な主義があるわけじゃなく、たんに面倒くさかっただけです。
リクエストいただいたので、アップしますね。
この建物の二階が、おじゃましたお宅です。
ミャンマーに対する予備知識がゼロな私には、犬鍋兄やん(←大阪の人になったので)の卓越した描写を以てしてもどのくらいボロいお宅なのか、どんな料理なのかまったく想像がつかずモヤモヤしています。。。
「ブログに写真は掲載しない」という主義(?)に反するかもしれませんが、1枚くらい見てみたいな♥