4月1日は私の誕生日。62歳になりました。
桜が満開に咲き誇る高麗神社にお参りに行きました。
誕生日に神社に行くというのは、もしかしたら人生で初めてかもしれません。
実は、2月に出産した四女の娘のお宮参りだったのです。
四女は今、隅田川のそばに住んでいて、出産前の安産祈願は水天宮に行きました(リンク)。
最初は、お宮参りも水天宮で、と思ったそうですが、水天宮はあまりにも人出が多く、お祓いも機械的な流れ作業らしいので、お宮参りは人の少ない高麗神社にしたとのこと。
当初の予定は1週間前でしたが、雨天の予報だったので、今日にしました。
穏やかで、ぽかぽかの陽気でした。
埼玉県日高市にある高麗(こま)神社は、朝鮮ゆかりの神社です。「高麗神社」という名前から、「高麗(こうらい)王朝」と関係があるかと思いがちですが、それよりも古い高句麗(こうくり)の王が祀られているんですね。
境内の案内板には、次のように説明されています。
高麗神社は、高句麗国の王族高麗王若光を祀る社である。
高句麗人は中国大陸の松花江流域に住んだ騎馬民族で、朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、約700年君臨していた。その後、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい668年に滅亡した。この時の乱を逃れた高句麗国の貴族や僧侶などが多数日本に渡り、主に東国に住んだが霊亀2年(716)、そのうちの1799人が武蔵国にうつされ、新しく高麗郡が設置された。
高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、再び故国の土を踏むことなくこの地で没した。郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、以来現在に至るまで高麗王若光の子孫によって社が護られており、今でも多数の参拝客が訪れている。
一回のお祓いで、本堂の入ったのは20人ほど。私たちは、四女夫婦と娘のほか、私たち夫婦、そして同居している三女の夫のDも参席しました。
Dは、神道の儀式に興味があるというので、松葉杖をつきながら(リンク)の見学でした。
四女の夫はスウェーデン人、Dはフィリピン人。二人とも神妙な顔つきで、異国の宗教行事に参加していました。
朝鮮半島ゆかりの神社で、日本人、スウェーデン人、フィリピン人がお祓いを受けるというのも、なかなかないことでしょう。
境内の神楽殿という別棟には、お祭りのときに使う衣装が公開されていました。
いかにも韓国的な色合いです。でも、これは「朝鮮時代」の服であって、高句麗時代のものとは違うはず。高句麗を滅ばした新羅は、その後、高麗王朝、朝鮮王朝へと交代しましたが、この朝鮮時代の服装は、高句麗にとっては仇であるかもしれません。
お祓いがすんだ後、境内の桜を背景に記念写真と撮ったりしましたが、そのとき一陣の風が吹き、桜の花びらを巻き込んで、花吹雪が舞ったのは、見ものでした。
50歳の誕生日
12年前、東日本大震災直後の誕生日、家族はフランスへ、私は一人日本に残っていました。
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