次に土地。
土地が日帝により収奪されたという事実はない。
「収奪神話」が初めて現れたのは,1955年の李在茂の論文だが,これは個人的な信念に基づく推論であり,実証的な根拠は何も挙げられていない。しかしこの神話は1962年にある国史教科書(検定教科書)に載り,1974年に教科書が国定化されると,国定教科書に「40%収奪説」が掲載されて定説となった。
朴正煕の「維新政府」による「民族主義」が吹き荒れるなか,歴史家たちはその趨勢にのって,ありもしなかった事実を作り出すことにより,政治家と一般大衆の民族主義的な欲望に応えようとしたのである。
その後,シン・ヨンハ教授が『朝鮮土地調査事業研究』という学術書を出し,日本が民有地を国有地として奪おうと狂奔した姿を,「片手にピストルを,もう片手には測量器を抱えて」と描写した。教授はさまざまな史料を出しているが,そのすべては1918年に出版された土地調査事業の報告書で紹介された紛争事件を,教授が自分に都合よく脚色したものにすぎなかった。
私の研究によれば,日本の紛争解決の調停は公正であり,また紛争後に残った国有地の大部分は日本の移民ではなく朝鮮人小作農に有利な条件で払い下げられた(1924年まで)。97年の私たちの論文により土地収奪説の誤りが論証されたが,国定国史教科書にはいまだに「収奪説」が載っている。
シン・ヨンハ教授の「片手にピストルを,もう片手には測量器を抱えて」という表現は,趙廷来の長編小説『アリラン』に受け継がれ,「土地を奪われたことに抗議した農民を日本人巡査がその場で銃殺する」場面に結実する。彼は,あたかもポルトガルの冒険商人がアフリカや南米の未開地域に入り込み,放蕩の限りを尽くしたように,植民地時代の農村社会を描いたのである。
李栄薫著『大韓民国の物語』より
すでに紹介した過去記事の繰り返しになりますが,こちらをごらんください。
日帝時代の検証~土地収奪
「ポルトガルの冒険商人」がアフリカや南米で何をしたのか,よく知りません。今後,ブラジル絡みの仕事が増えそうな気配なので,おいおい調べてみるつもりです。
土地が日帝により収奪されたという事実はない。
「収奪神話」が初めて現れたのは,1955年の李在茂の論文だが,これは個人的な信念に基づく推論であり,実証的な根拠は何も挙げられていない。しかしこの神話は1962年にある国史教科書(検定教科書)に載り,1974年に教科書が国定化されると,国定教科書に「40%収奪説」が掲載されて定説となった。
朴正煕の「維新政府」による「民族主義」が吹き荒れるなか,歴史家たちはその趨勢にのって,ありもしなかった事実を作り出すことにより,政治家と一般大衆の民族主義的な欲望に応えようとしたのである。
その後,シン・ヨンハ教授が『朝鮮土地調査事業研究』という学術書を出し,日本が民有地を国有地として奪おうと狂奔した姿を,「片手にピストルを,もう片手には測量器を抱えて」と描写した。教授はさまざまな史料を出しているが,そのすべては1918年に出版された土地調査事業の報告書で紹介された紛争事件を,教授が自分に都合よく脚色したものにすぎなかった。
私の研究によれば,日本の紛争解決の調停は公正であり,また紛争後に残った国有地の大部分は日本の移民ではなく朝鮮人小作農に有利な条件で払い下げられた(1924年まで)。97年の私たちの論文により土地収奪説の誤りが論証されたが,国定国史教科書にはいまだに「収奪説」が載っている。
シン・ヨンハ教授の「片手にピストルを,もう片手には測量器を抱えて」という表現は,趙廷来の長編小説『アリラン』に受け継がれ,「土地を奪われたことに抗議した農民を日本人巡査がその場で銃殺する」場面に結実する。彼は,あたかもポルトガルの冒険商人がアフリカや南米の未開地域に入り込み,放蕩の限りを尽くしたように,植民地時代の農村社会を描いたのである。
李栄薫著『大韓民国の物語』より
すでに紹介した過去記事の繰り返しになりますが,こちらをごらんください。
日帝時代の検証~土地収奪
「ポルトガルの冒険商人」がアフリカや南米で何をしたのか,よく知りません。今後,ブラジル絡みの仕事が増えそうな気配なので,おいおい調べてみるつもりです。
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