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Brugge Style
ベオグラード
6月末、仕事で欧州に来る友人と小旅行を予定している。
わたしは超魅力的な美女と旅行。夫と娘は留守番。わははは。
と、思っていたのもつかの間、同じ日程で夫はベオグラードへ出張...しかもわたしの憧れのあの人のパーティーつきだと言うではないか。
ちょっと、夫人同伴じゃないとかっこわるいやん。パーティーにはわたしも連れて行けよ。
初めてベオグラードへ行ったのは、まだユーゴスラビアという国があった時である。ちょうどユーゴスラビア紛争中(1991~)。
ベオグラードからヴェネチア行きの列車内で車掌から2重に運賃を請求され、腐敗した社会主義の悪しき習慣(西からの旅行者からカモるのはあたりまえであった)にどうしても従いたくなかったわたしは、断固抗議する姿勢であり(笑)、南スラブ語と英語のバイリンガルの人が乗り合わせていないかと列車の先頭から最後尾まで訪ね歩いた...
熱い、若かったわたし。
今なら「この情けないおっさんが、わたしからぼったくった数百円で、帰宅途中に一杯ひっかけられるならいいではないか。子どもにお菓子を買ってやれるならいいではないか。」と思ってにこやかにカモられるだろう。
わたしも丸くなったのである(笑)。
イタリアに入ったとたん、舞台の書き割りが変わるかのように世界が変わったのを覚えている。
おお、「意味」の通じるすばらしき世界!
イタリア人の車掌からも「詐欺られたね!」と祝福された(笑)。
多くの民族や帝国が衝突し、形成され、消えて行ったバルカン半島。
歴史のロマンと人間の底なしの陰惨さが充満するエリア、というイメージである。西側の非当事者が妄想する、人々の苦しみ抜きの歴史や文化のロマン...
でも何が陰惨って、この地域で民族や言語や宗教や金の名の下に殺し合いをしている一部の人々にとって、民族、言語、宗教、金自体がロマン、なことであるような気がする。
・・・・・
何でこういうことは重なるんでしょうなあ。両方行きたいなあ。
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