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Brugge Style
recuerdos de la alhambra
タ~ラリ~ ラリ~
絶対に観光地のどこかで聞けるのだろうと思っていたのに(実際、クラシックギターの色香あふるる演奏はあちこちで聞いた)どこでも聞けなかった幻の「アルハンブラの思い出」。名曲なり。
春休みに訪れたイスタンブールもそうだが、文明が衝突する場所(今回はアンダルシア地方)は血なまぐさい破壊の歴史を隠し持っている一方で、懐が深く趣き豊かだ。旅人は皆どこの国出身であっても「ここに居ていいのだ」と感じることができ、居心地が良い。
洗練され、寛容で、闊達な想像力に満ちたイスラム世界の思い出をやさしく抱きかかえるアンダルシア地方...「アルハンブラの思い出」のあの旋律にぴったりではないか。
アンダルシア地方はこのように文化芸術歴史すべてよし。
おまけに食よし(塩梅が天才的で食材は超新鮮)。
言語よし(西語はとっつきがいい。仏語と伊語の知識を総動員。夫は少し話せる)。
天気よし(連日、宇宙が透けて見えるような紺碧の空、7月8月の午後は40度までになる。それでもオマーンの燃え盛る地獄の道のような暑さを思えば大したことはない)。
当然人もよし。人は時間と余裕があるのか、40度まで気温の上がる土地であくせくしていても仕方がないからなのか、非常に親切で構いたがり教えたがりだ。
拙い西語で「すばらしく美味しかったです」と褒めちぎれば、大喜びしてもっと食べて行けとサービスしてくれたり(隣に座っていたスペイン人の観光客グループから「不公平だ」と大ブーイングだった)、ワインバアで「この土地の赤ワインがぜひ飲みたいのです」と言えば、仏頂面のおかみさんが英語まじりの西語でじっくり丁寧に説明してくれ、店にあるもの全部試飲させてくれたり。
初日、田舎の街で朝食時のカフェにたむろっているおばちゃんたちに朝は何を注文すべきかアドバイスを求めたら、つば広の帽子をかぶっていたせいだと思うが、「あなた女優?女優?」と大声でまくしたてられたり。ええ、分かってますて。女優にもいろんな人がいますな。スペイン女優だってペネロペだけじゃないですしね!
ちなみに朝食にはトスターダ(トーストした丸いパン)にオリーブオイルを振りかけ、トマトソースを塗って食べるのと、イベリコ生ハムだけをのせて食べるのが気に入った。
老後はグレナダに居を移して、毎日魚介の揚げ物を食べながらでっぷり肥えて暮らしたいな...とうっかり思ってしまう。
この旅で、EU下における南欧州の国々が散々な目に合っているのはなぜなのかを直に垣間見たような気がした。
EUはスペイン、イタリア、ギリシャに、「われわれのようになれ」、つまり「グローバリズムを受け入れろ」と迫っている。グローバリズムを受け入れるというのは、すなわちスペインやイタリアの街角から個性豊かなレストランやバアや商店が消え、代わりにロナルドのハンバーガー屋やシアトルのコーヒー屋、赤い帽子のピザ屋、北欧の安売り服店や電話機屋ばかりが並ぶことだ。
例えば英国はグローバリズムを完全に受け入れた状態を呈しており、どの街に行っても商店街は全く同じ店で構成されている。味気ない。砂を噛むように味気ない。どちらが楽しそうかは言うまでもない。
スペインがスペインであるうちに...いやごく近いうちに娘も連れて行きたい(彼女は修学旅行中だったのだ)。
...
昨日の記事もそうなのだが、わたしにとって「ここに居ていい」「居心地がいい」という気分がかなり重要なキーワードだと分かった。なぜなんだろう? 外国人としての生活が長いからか? それとも子供時代親に十分承認してもらえなかったのだろうか(長女である私は両親からやたらと誉められて育ったのに)?
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