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saatchi gallery, "paper", "new order" and "20:50"







(上段左からYuken Teruya, Sara Baker, Daniel Kelly, 下段左からKlaus Mosetti, Han Feng, Odries Mlaszho。Sara Baker のみ"New Order" 展、他はすべて "Paper" 展より)


写真がヘボすぎて泣けてきますがご容赦下さい。


やっとサーチ・ギャラリーで開催中の "Paper"、 "New Order"、Richard Wilson の "20:50" について書くところまでたどり着いた...
今日、こうして書き出すまで、3回も見に行っているので気合いを入れて書く...と言いたい。言いたいなあ! でも所詮わたしには好きかそうでもないかくらいしか言えないのである。だからそのことについて書く。笑。


上の写真は本物の良さを1パーセントも表していない、ということをお断りした上で、どれもわたしの好きな作品だ(他にも何点か好きな作品、例えば Peles Empire, Eric Manigaud 等もあるのだが、写真が悪すぎるので載せないことにした)。このようにどうせいい写真は撮れないので、美術館でも写真はほとんど撮らないことにしているのだが、自分のためのメモとして記録しておくことはある。
もちろん記録しておこうと思うのは自分が好きな作品であり、そういう作品は目を凝らして観察する。いろいろな角度や距離を取ってみる。メモを取る。後でまた戻ってくる。等々。

一方、「こういうの全然好きじゃない」、「狙いすぎちゃうか」、「これスルー」という作品もある。

今回の展覧会で強く感じたのは、特にモダン・アートの展示会に於いては、「こういうの全然好きじゃない」と前を通りすぎてしまう作品、そういうものこそをしっかり見るべきで、なぜ自分はそれが好きではないのか、なぜ拒絶するのか、なぜ気にさわるのか、それをこそ考えるべきなのではないか、その時の自分の中を観察すべきなのではないか、ということだった。心理学的に言うと、わたしが無意識に避けるもの、それこそがわたしにとって本当に意味のあるもの、ということになるのだし。

サーチの展示物はいつも秀逸で、そういう気持ちを忘れがちになるけれど。

これはわたし自身にとっては重要な気付きだったのでアンダーラインを入れておきたい。



右は、おまけというのは失礼すぎる、好きすぎるリチャード・ウイルソンの "20:50"。
臭気がひどいが、この部屋はなかなか立ち去れない。
この作品はフッサールの「現象学的還元」とか「間主観性」を完全に裏切るから...

世界とはどのように成立しているのか(成立しているように見えるのか)、美とは何か、われわれは物事をどのように見るのか、終わりのない問いかけをする「術」が芸術ならば(逆に工芸品や実用品はその問いかけへの一種の「答え」である)、やはりこの作品は現代英国最前線を表しているのである...(なーんて)。
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