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多言語話者の言うことには あるいは読書ノススメ
新年にひとつ、一ミリグラムでもどなたかのお役に立つかもしれない話をしたいと思う。
年末のこと、バイリンガルのご家庭で、天使のように可愛らしく優秀なお嬢様方を育てておられている方からメッセージを頂戴し、興味深いお話をうかがいつつ、こちらの体験談もお話ししたのだった。
以下、余計なお節介、ケースバイケースなのは承知している。
子育てが終わった(うちの娘は去年9月から大学生になった。小学生の時から大見得を切って意思表明していた英国の医学部に進学して家を出た)人の世間話、知ったかぶり、中年の自慢話程度にお読みいただきたいです。
西暦2019年、「国際」結婚をされる方の数も昔とは桁違いに増え、多文化の環境をバックグラウンドに生まれ育つ方も全く珍しくなくなった。
まあこれも日本から見た話で、世界の別の地域ではそういう人がマジョリティな国も少なくなく、ずっと昔から自然なことだったのだ。そういった地域では子供を多言語で育てるには! なんて誰も意識しないのだろう。
今はネット上にも多くの有益な体験談があり、参考図書を探したりワークショップに参加するのも難しくはない。
わが家に一人娘が誕生した99年ごろ、ネットの情報は今に比べるととても少なかった。
多言語で子供を育てた経験談やアドバイスなど全く見つからず(ホームページの時代)、内容的には靴の底から足の裏を掻くような論文をアメリカから取り寄せた。紛失してしまい、それを読んだかどうかも覚えていない。
結局、娘が生まれる前に決められたのはひとつ、わたしが日本語、夫がフラマン語(フラマンで話されているオランダ語)、夫婦の会話は英語を使い、そしてそれをできるだけ変えないことだけだった。
当時はベルギーのブルージュに住んでいたので、当然周りの人や学校はフラマン語だ。
一年生から四年生までは、毎土曜ブリュッセルの日本人学校補習校に通わせた。
四年生終業時で補習校を退学したのは、ブルージュの現地校が毎日ミニ・テストを実施し、毎日結構な量の宿題を出すような学校で、同時期にその量がより増え、またコンセルバトワールのピアノ・レッスンのコマ数も増え、漢字を何度も書いて覚えたり、ていねいに日本語作文を書く時間もなくなってしまい、これ以上は全部が中途半端になりそうだと判断したからだ。
各週2回でバレエと音楽理論もあった...
わが家では当時も辞めさせるかどうかでは悩まなかったし、今もその判断で妥当だったと思っている。
一方で、お友達のお嬢さんは立派に高等学校過程の補習校を卒業された。母娘共にすばらしいい持久力と精神力、アチーブメントだと尊敬している。
(右写真)こちら、娘が補習校で書いた日記です。3年生か4年生だった。
多言語を話す人の頭の中はこうなっているのね! と先生や周りの大人が大興奮したのを覚えている。当時のブログにも書いた。
作文の内容は、4歳くらいまでは、娘は頭の中のオランダ語、日本語、英語にまったく関連性はなく、4歳のある日、脳内で「大爆発」が起こって、ひとつひとつの言語に対応する別言語があるのが直感できた、という内容です。
猫に対応してCatとKatがあって意味は同じであり、逆に「かわいい」に直に対応する単語はないのではないのかという話。
ソシュールの記号論ですよね??
そのかわり、ピアノと読書(評価の定まった文学作品、名作、つまりクラシック)はかなり熱心に続けた。
読書は日本語はわたしの読み聞かせ、黙読はオランダ語、英語は読了すると達成感のある簡単な絵本から与え始め、次第にクラシック文学へ。
結局、思いがけず11歳の中学入学時に英国へ引越しし、今の娘の英語は英国人から「生まれた時から英国人」であると認識される(実はベルギー人で母親は日本人だというとものすごく驚かれる)。
最初は米語の単語(エレベーターとか)や発音を使って、サリー州のポッシュな私立女子校では笑われたりしたそうだが、当時から英語の先生には「幅広い読書をしているのが分かる」と言われていた。
母国語はオランダ語という認識。
日本語はわたしの話す日本語しか知らないため、昔の山手のお嬢さんのような話し方をする。
会話は日本に1週間ほど滞在したり、日本からお客さんが来ると瞬発的に伸びる。
漢字の読み書きも四年生まで頑張ったのに今ではすっかり忘れてしまっていて、残念ながら本が読めるレベルになるためには相当勉強しなければならないだろう。日本語は話し言葉と書き言葉が別物なので特にハードルが高い。
フランス語は四年生から始まり、17歳になる前、ブリュッセルのこども病院で職業体験、医師のシャドウイングと看護師のアシスタント、患者の対応ができたレベル。
ドイツ語は中学校時代に3年間。ドイツ留学生とドイツ語で話せ(オランダ語とドイツ語は似ている)、簡単な記事程度なら読める。
スペイン語も中学校時代に3年間勉強し、単純な会話はできる。娘曰く、一番とっつきやすいのは断然スペイン語だそう。
ラテン語はAレベル(英国の大学入学国家資格試験のようなもの)で18歳まで7年間続けたためかなり流暢で、古典的知識も豊富だ。
これらの言語の中で一番難しいのはやはりラテン語とのこと。医学部の授業でラテン語の知識が役立つかと問うたら、そういう意味では今のところ全く役に立たないと言っていたが。
しばしば「ラッキーね。環境でそこまで話せるようになるのね」と言われる。しかし娘は「ラッキーなんかではなく、教科書を使って地道に勉強した賜物です」と思うそうだ。
娘とも何度か話し合った結果、娘に言語的能力が少しばかりあるかもしれないのは、ベルギーという「誰もが4ヶ国語会話くらいは普通にできる国」で成育したおかげでもあるが、楽器を4歳から続けてきたのを含め、彼女の耳がものすごくいいこと、評価の定まった文学作品をたくさん読んだこと(クラシックが時代を超えて今も残っているのには理由がある)にあると合意している。
娘の耳がいいのは驚くほどで、絶対音感があり、英語の各アクセント(英語は階級や地域差が顕著な言語なのである)のモノマネがうまいのはもちろん、聞いたことがない言語の音、例えばチェコ語やウルドゥー語を耳にしてすぐ正確にリピートできる。「私の名前を正確に発音できたのは英国ではあなたが初めて!」と喜ばれるのは何度も経験している。
「どうしたら理系に?」とよく聞かれるのであわせて書いておくと、理系文系関係なく、こちらも断然読書量ではないかとわたしも娘も思っている。
読書も、多言語を話すことも、楽器を演奏することも同じ効果を持ち、つまり自分の日常の「あたりまえ」を保留にして世界を別の視点から見る、別の道筋なのである。
娘の通った女子校ではしょっちゅう「箱の中から出よ」と教訓された。箱が日常の当たり前な考え方であり、読書や外国語はその箱から出て別の方法でものごとを考えるのに有用な別ルート、別人の視点なのだ。
結論:
多言語を話せるようになるには耳がいい、つまり音域の広い耳を持っていること(楽器を習うといいのかもしれない)が必須かもしれないが
複数の言語が話せることと、内容のある話や思考ができることは全く別である
当然内容のある話ができるほうがいいに決まっている
外国語学習よりも、まず大切なのは価値の定まった文学作品、名作をどんどん読めるだけの母国語の力を養う
文系のための読書や理系のための読書はない
(例えば学校教育で「国語」を「論理国語」と「文学国語」に分類するのはナンセンス)
数学にはむしろ楽器や音楽理論
子供にこれらをさせるに最も有効なのは、身近な大人がそれを楽しんでいる姿を見せる
これらを書いていて思い出した。
先日、尊愛する友人の話を聞いていて、一部の人々が手っ取り早く「セレブ」や「お金持ち」になれるのだったら手段はなんでもと考えているかもしれない様子に、「みんなもっと本を読まないとダメだよ!」というのがわたしの感想だった。
...と、書きながら自分自身に「もっと本を読まないとダメだよ!」と強く言い聞かせている。わたしの無知さ頭の悪さといったら穴があったら入りたいほどだし、悪文しか書けない。今年はたくさん本を読もうと思っているのでここは読み流してください。
以上、偉そうにとか、あんたが本を読めよとか、全然わかってないね、という感想をお持ちの方もおられる(多い)かもしれないが、ちょっと面白いなと思われたあなたのために書いた。
うちにはもう子供がいなくなってしまい(さみしい)、つくづく、ほんとうに子供時代はあっという間に過ぎていく。
わたしもそれを先輩方から聞かされていたはずなのに...
娘の教育、やり直せるものならやり直したい。
もっともっと自分が勉強するべきだったのに、もっともっと一緒に遊んでやれたのに、もっともっと読み聞かせられたのに、もっともっと褒めるのと批評のバランスを取れたはずなのに、あんなに可愛らしかった時代に「もっと早く、もっと知識量を増やせよ、もっと成長せよ」などと急かすべきではなかったのに...
そんな気持ちでセンチメンタルになっていたら娘から言われた。
「もっともっとという欲望は、いくら達成しても常に『欠落感』として現れる、むしろ『欠落感』としてしか現れないものなのですよ」と。
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