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クール・ジャパンとヨーヨー釣り




娘の学校で彼女の属する「ハウス」(縦割りの生徒組織)主催のお祭りがあった。

去年は初めてで準備期間も短く凝ったことはできなかったようだが、今年は何ヶ月も前からわたしにも相談があり、娘のグループはヨーヨー釣りの屋台を出すことに決まった。
とにかく今までのお祭り史上誰もやっていないアトラクションをやりたいと言うので、冗談半分に「金魚すくいとかヨーヨー釣りとか...」と言った時点で即決まりだったのだ。

わたしも娘に日本の昔からある遊びをもっと知って欲しかったし、英国の子に日本の伝統の「夜店のゲーム」を紹介できるならうれしい。


最近は何でもネットで調達できる。わたしの子ども時代には考えられなかった。
ましてやヨーヨー釣りのセットなど、おもちゃ屋さんや百貨店に行っても一般人には手に入らない種類のもので、自分たちでヨーヨー屋さんをやるなぞ夢のまた夢、その向こうにある憧れ...だった。

まあ、ものが簡単に手に入らない分、ありもので間に合わせたり作ったり、「つもり」遊びをしたり、そういう楽しみはあったわけだ。わたしも普通の風船に水を入れて少しふくらませ、クリップとティッシュで針を作り、庭で「ヨーヨー屋さん」やりましたよ、妹と。夜店の本物のヨーヨー屋さんよりうら悲しくわびしい雰囲気だったのはなぜだろう? ボウリングが大好きだからと家にボウリングレーンを作って遊んでもさほど楽しくないのと同じだろうか。


ヨーヨーのセットが日本から届き、テスト段階で学校に1個持って行ったときから「ヨーヨー」など見たこともない英国人の少女達の好奇心はすごかったらしい。どの子も目を輝かせて「それ何?」「クール!」

英国が90年代に張った「クール・ブリタニア」キャンペーンを真似て「クール・ジャパン」をやっているらしい。自分で自分のことを「クールなオレ」などと言い始めた次点で全然クールじゃない(実際、英国がクールだったのは80年代が最後だと思う)のだけれど...

「クール・ジャパン」、日本の媒体で見かけるだけで実際こちらでその単語が使われているのは聞いたことがない。毎年アールズ・コートで開催されている「ジャパン・エキスポ」とかに出かけて行ったら聞けるんでしょうか。これは行ってみなくては、ですな。

日本の文房具やら雑貨、無印良品や、お寿司やラーメンを初めとした和食や、アニメやゲームが「クール」ですごく人気があるのは確かなのだが、それらが「日本」のものとして正しく認識されているのかどうかは不明だ。個人的にはもっと「日本のもの」としてばっちり刻印を入れるなりアピールしたらいいのにと思う。ヨーヨーの屋台に貼るポスターにも「日本の伝統の屋台遊び」と書け!と言いましたよ(書かなかったらしい)。クール・ジャパン草の根運動。ああ、でも「クールなオレ」と言い出したら全然クールじゃない、って言ったのは1分前のわたしでしたね...国家ブランディングを提唱したサイモン・アンホルトもあれは失敗だった、と言ってるし。


結果、ヨーヨー釣りは高等部の生徒の気はあまり惹かなかったようだが(お姉さん方は屋台のゲームなぞしないんだそうである・笑)中等部の生徒には人気を博し、2度3度と繰り返しやってくれる子もいたそうだ。
わたしががっくり来たのは、娘がヨーヨーを備品として全部大切に持ち帰ったことである。それはね...釣った人にあげていいんだよ...どうするねん、この60個のヨーヨー!!(笑)

ちなみに毎年お祭りの収益は全額寄付され、今年は退役軍人と遺族の会がその先だ。

そうそう、夫が友だち夫婦からもらった名前入りはっぴを店番さんに着せるのをすっかり忘れていたのがつくづく残念だった。
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冬のレモンのカップケーキ




暖房の効いた部屋でレモンが干からびはじめているので、レモンのカップケーキを焼こう。


英国のケーキの多くは、砂糖の味/どっしり重く/バサっと/荒い。
これをホームメイドとか手作りの味、と呼ぶ。
おそらく家で毎日手早く焼き上げるためにボール1個とヘラ1本だけでできるざっくり簡単なレシピが重宝され、それが定番ケーキの味として定着したのだろうと思う。

味は文化、タデ食う虫も好きずき、だからわたしがとやかく言うことではない。

それに馴染みがあるから、英国人は砂糖の味/重く/バサっと/荒いという条件が揃わなければケーキではない、もの足りない、そのようなケーキ以外好まないのかと思っていた。
だから様々な機会にも、軽くてふわふわのシフォンケーキとかヴィエノワーズのスポンジケーキなどは好かれないかな...と遠慮して、重めのチョコレートケーキなどを焼いていたのだった。

ところが娘が放課後のおやつに持って行く砂糖控えめのグレープシードオイルのカップケーキやロールケーキを味見した少女達が、ふわふわですごくおいしいとお世辞を言ってくれるようになり、最近は遠慮なしでふわふわしっとり甘さ控えめケーキを持って行くようになった。


実は夫のオフィスの連中からもしょっちゅうねだられている。
わたしってきっと絵に描いたような大和撫子だと思われているよね!と夫に言ったら、「そんなわけないじゃないですか。ほとんどの人があなたに挨拶くらいはしたことがありますよ」と言われた。
わたしの挨拶は大和撫子イメージをぶちこわす破壊力があるということですか...

ちなみに日本語の「レモン」にはさわやかとか、フレッシュとかいう新鮮な意味合いがあるが、英語にはよい意味はなく、くだらない、つまらない、間抜け、無価値、魅力のない女... 「フレッシュ・レモンちゃん」というような昭和の男性誌的キャッチフレーズはありえないわけですな。

レモン女。
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倫敦へサンタクラースも出張す




12月5日の夜から6日の朝にかけて、ベルギーの子どもはわくわく過ごす。

サンタクロースの原型になった子どもの守護聖人、蘭:サンタクラース/仏:サン・ニコラが馬に乗り、お供のピットを連れ、よい子にプレゼントを届けてくれるからだ。
ちなみにクリスマスの朝に見つけるプレゼントは「クリスマス・マン/ファーザー・クリスマス」が持って来てくれるものです。

英国にサンタクラースの行事はないが、さすが子どもの守護聖人だけあって外国へ引っ越して行った子どものこともきちんと覚えておられた。昨日の朝は娘あてにプレゼントとチョコレートが届いていていたのだ。
子どもを喜ばせようと思う心、それがサンタクラースの正体なのである。

昨日はベルギー各地の幼稚園や小学校で、サンタクラースがやんちゃなピット達を引き連れてお菓子を配ったんだろうな...
ブルージュでは船に乗ったご一行が、運河沿いに集まった子どもたちにたくさんのお菓子を撒く。ブルージュにいるときは当たり前の風物詩だと思っていたが、今考えてみたら結構エクストラバガンザですね(笑)。


英国ではすでに(9月から!)クリスマスムードだが、ベルギーではサンタクラースの去った12月7日以降にツリーを飾り、クリスマスの用意を始めることになる。いよいよ年末だ。

みなさまもお忙しいことでしょう。どうぞよい週末を!
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ロンドン博物館








クラーケンウェルでの待ち合わせまでに余裕を持って出かけ、ロンドン博物館へ立寄ってみた。

前回来たのは...娘が生まれる前だったかもしれない。


旧石器時代のホモ・エレクトスから、ネアンデルタール人が住み着き、ホモ・サピエンスが取って代わり、ケルト人、ローマ人、アングロサクソン人、デーン人、フランス人...灰色の空の最果ての島国にさまざまな民族が次々にやってきては文物を伝え、同化し、新しい文化を生んだ。その時間の流れの中を旅できるのが楽しい博物館だ。
ひとつの都市をテーマに(陰の主役は間違いなく「テムズ川」)ここまで大きい展示ができるのはさすが「ロンドン」なのである。語るべきストーリの蓄積が無尽蔵にあり、今後も倍々で増えて行くのだろう。

待ち合わせまでの2時間があっという間に過ぎて行った。


今年はナショナルギャラリーに入り浸るなどという幸福を存分に味わうことができたので、来年は漱石記念館や紅茶博物館など、地味で小さいミュージアムを攻略しようと思う。
ロンドン博物館の近所にあるバービカンやギルドホールにもなかなかふらりと立寄るきっかけがないが、次回は娘と一緒に来よう。

観光で来られる方はここロンドン博物館までは手が回らないかもしれない。でも結構おすすめ。
入館無料。英国の大きな博物館美術館のほとんどが無料(特別展を除く)なのは本当に有り難い。入り口に寄付箱が置いてあるのでそこに寄付をするか、ミュージアムショップで買い物をしたり、カフェテリアで食事をしたりすべし、である。
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さまよう心




先日書いた「門2012」について、日々さまざまな社会的役割を果たされている男性女性からメッセージを頂いた。
心からお礼申し上げます。


それで分かったのが、「もっと何か他にできることがあるんじゃないか?」「何かやらなくちゃいけないんじゃないのか」「チャレンジし続けなくてはいけないのではないか」という気持ちを抱えることは、どういう立場にあっても起こりえるようだということだった(もっとも「今やっていることが最高に好きで他は一切考えられない」という幸せな方もいらっしゃるとは思うが、そういう方からはメッセージを頂けなかったのかも)。


「もっと何か他にできることがあるんじゃないか」と胸がざわついてしまうのは、わたしは精神上健康的なことだと思う。人間が旋回しながらでも前方へ進んで行ける燃料のひとつだからだ。
「やりたいことがありすぎてあれもこれも」という一見ポジティブなケースも敢えて言うが「もっと他に何かできることがあるんじゃないか」が能動的に現れているだけで、根は同じだと思う。


なぜこのように感じるのか。それは「自己が完全に満たされた状態」とは、将来のいつかどこかで実現する可能性開花の瞬間ではなく、今現在抱える「可能性からの疎外感」としてしか実感できないものだからだ。

ドーナツみたいなものと言えばいいのか(今、わたしの目の前には頂き物のクリスピィ・クリームのドーナツがある)。
ドーナツの生地の部分が「現在抱える可能性からの疎外感」で、ドーナツの穴が「自己が完全に満たされた状態」。
ということは、われわれは自分の疎外感や欠落感をばくばく食らいつつエネルギーに代えながら、ドーナツの穴を「それだけで」存在するものとしてなんとかつかもうとしていると。でもドーナツ(疎外感)を全部食べてしまったらそこに穴(満たされた自分)は残らない。疎外感が消えたら(ドーナツを完食してしまったら)、そこには完全に満たされた自己像(ドーナツの穴)も残らない、と。

わたしはこれからクリスピィ・クリームをただのお菓子と見なすことができないかもしれない(笑)。



そういえばこういう記事があった。


「気が散ってばかりいると不幸になる?米ハーバード大研究

「一瞬に集中しなさい」とはヨガの指導で使われる言葉だが、これには
従った方がよさそうだ。米ハーバード大学(Harvard University)の研究者らが米科学誌
サイエンス(Science)に発表した論文によると、人間は何かをしている間、その時間の
半分近くを別のことを考えたり、他のことを始めてみたりと絶えず気が散っており、その
「さまよう心」のせいで不幸だと感じているという。

心理学者のマシュー・キリングワース(Matthew Killingsworth)氏と
ダニエル・ギルバート(Daniel Gilbert)氏は、iPhoneアプリ「Track your happiness」を使い、
「どのくらい幸福か」「今何をしているか」「現在している行為だけについて考えているか、
楽しいことやつまらないことなど別のことを考えているか」などをリアルタイムで報告してもらい、
2250人分のデータを集めた。

このデータを分析した結果、何かをしていても「心がさまよっている」時間は平均46.9%だった。
「今」に集中し、気が散らない傾向が最も強かった行為は「セックス」だった。

幸福度が最も高かった行為は「セックス」「スポーツエクササイズ」「おしゃべり」で、
幸福度が最も低かった行為は「自宅でパソコンを使う」「休息」「仕事」だった。

現在の行為の内容が幸福感にわずか4.6%しか寄与していなかったのに対し、
「さまよう心」は10.8%も寄与していた。

論文は、不幸だから気が散るのではなく、気が散っているから不幸になるのではないかと指摘。
「心がさまよっているかいないかは、幸福度の重要なバロメーターになる。現在進行している
出来事以外に思いを巡らすことによって人間の認知能力は高まったが、感情面は犠牲になった」
とキリングワース氏は話している」(AFP の記事 2010年11月21日の記事)



論文が指摘するように、われわれにできるのは胸のざわつきはそれはそれとして、目の前にある仕事をこつこつ丁寧に仕上げて行くことだけだ。やりがいや自己実現度とは関係なしに。それでいつか「ああこういうことだったのか」と何か腑に落ちる日が来るのかもしれない。
門をくぐるというのは「何かやってやるぜ!」と勇ましく行動に移すことではなく、そういう気持ちから離れて涼やかに日常の積み重ねを送る覚悟の門をくぐることであると思う。

もちろんわたしは何かに果敢にチャレンジすることを否定しているわけではない。しかしそのチャレンジを「自己の完全に満たされた状態」への手段にしてもおそらくは上手く行かないのではないか、チャレンジするならするでそのこと自体に集中し、こつこつ地味で徒労の多い作業を続けるのみだ、ということが言いたいのだと思う。

天才と呼ばれる人たちも、その多くは地味な仕事をこつこつと何があっても絶対に止めなかった人たちである...らしい。



この記事の最後に、今日はこの曲をあなたに捧げます。Wonderful Life - Black
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