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Brugge Style
ハイド・パークで

一昨々日からの白鳥繋がり。
ロンドンのハイドパーク、サーペンタイン湖の白鳥。
なんと(ご存知の方も多いだろうが)、英国の白鳥はぜえーんぶ女王様の持ち物なんですよ!!!!
この話を聞いた時、どんだけ業突く張りやねん!!! と苦々しく思ったことを告白しよう(もちろん白鳥を乱獲から守るという面もあるだろう)。これは12世紀からの王室の権利で、エリザベス女王は現在では特定の地域に住む白鳥だけに所有権を主張、またそれは15世紀から続く業者との折半だとか。
そういえば英国では、博物館や当時の資料や小説、映画等で中世の王の食卓を盛り上げた「白鳥の丸焼き」が散見される。
今はさすがに召し上がったりはしないでしょうな...
...
白鳥の話は今日でおしまい(ネタがない)。
ブルージュの白鳥伝説や、「白鳥の湖」のドラマツルギーなどの長文を喜々として書いていて、わたしにとってのブログの意義を改めて見いだした。
もしブログを書いていなかったら、こういうことはシャワー中や運転中や料理中に切れ切れに考えはしても、また、こういう話をおもしろがって聞いてくれる相手に話すにしても、まとめてみる(時としては調べてみる)ことは絶対にないだろうからだ。頭の中で断片的に考えるのと、字に起こすことは決定的に何かが違うのだ。
わたしの頭の中に浮かんでは消える泡のようなことがらは大抵がくだらないし、まとめたからといって自分の意見が正しいとも思っていない。が、自分がどういうことに興味があるのか、どういう方向に受信機を向けていたらワクワクするのかがよく分かってすごく...楽しい(有用だとは言わない)。
もしあれらの長文にお付き合い下さった方がおられるなら、ほんとうにありがとうございました。
よい週末を!
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マリインスキーの「白鳥の湖」とドラマツルギー
今日も一昨日からの白鳥繋がりで。
学校が休暇中のバレエ公演は、旅行中で行けないかも...と、毎度チケット販売開始の案内とカレンダーを見くらべながら悩む。
今年の夏、一番悩んだのがマリインスキーの公演だ。友人家族が2組こちらへ来てくれる予定と、ベルギー訪問予定にばっちり被りそうだったのだ。
去年は南仏からボリショイのスベトラーナ(Svetlana Zakharova)のためだけに一泊だけ帰ってきたのだったが! すごい行動力に見えるかもしれないが、南仏とロンドン間は2時間ほどなのだ。

この公演で感じた「不協和音の支配する舞台、しかしそれが意図されたものではなかったにしろ『白鳥の湖』のドラマ的にはそれもありかもしれない」に関してはまた別の時に。また話が長くなるから...
ユリアナ・ロパトキナ(Uliana Lopatkina)の「白鳥の湖」とダイアナ・ヴィシュネワ(Diana Vishneva)の「ロメオとジュリエット」、見たかったなあ(夫のオフィスのどなたかが行ってくれたらしい。無駄にならずよかった)。
ロパトキナ、次回ロンドン公演までに引退しやしないだろうか。
それはそうと、ダンサーの名前を覚えるよりもドラマツルギーの方にずっと関心があるわたしが興味を持つのは、マリインスキーの「白鳥の湖」はいわゆるハッピーエンドなことだ。
無粋なのは百も承知、シロウトの知識の範囲で民話の類型的な分析をしてみる。
オデットは冥界の王ロットバルトの花嫁である。
「白鳥の湖」の登場人物で、クラシック・チュチュを着ているのは人ならぬ者である印だ。白鳥に姿を変えられたオデット姫も、彼女の侍女たちも当然この世のものではない。
ヤマトタケルが死後白鳥になったされるように、白鳥を死後の世界と結びつける文化は少なくないに違いない。
通過儀礼を経て大人になる時期を迎えたジークフリート王子は、花嫁を決める前夜、儀礼を受けるため冥界に迷い込む。彼が迷い込む「森」はあの世の象徴だ。ご存知のように通過儀礼に合格した者だけが、晴れて成人として社会に迎え入れられるのである。

彼の通過儀礼としての試練は、「一人の女に永遠の愛を誓う」ことである。うむ、一人の女を永遠に愛するには強い意志と絶え間ない努力が必要だ。いずれは王になる男にとって、強い意志と努力は絶対不可欠な資質ではないか。
その試練を受けて立つことを誓った王子は現実世界に一旦戻ってくるが、まだ覚醒しつつある状態だ。なぜなら通過儀礼は眠りの状態に象徴され、完全に目覚めた後(成人後)は、眠りにつく前(通過儀礼前の少年時代)のことはすっかり忘れてしまうことになっているからだ。
花嫁を決める日。
彼が成人するにふさわしいかどうか試験を受ける場だ。
目の前にオディールという大変魅力的な女が現れる。オディールはもちろんオデットのもう一つの姿だ。
王子は眠りの状態で経験したこと、つまりオデットに出会ったこと、オデットへ誓ったこと、自分が試されていることを忘れかけている。彼はオディールと嬉しそうに踊りながらもふと「えっと、何か大切なことを忘れてない?」と立ち止まるのだが、ついに彼はオディールを選ぶ。
ロットバルトの高笑いとともに眠りの状態で経験したことを思い出した彼は、自分がオデットを失い、同時に通過儀礼に失敗したことも知る。
彼はオデットの元に駆けつけるが時すでに遅し、通過儀礼に失敗した男は死ぬしかないのである。人間の社会には長い間、大人になれなかった男を養うだけの余力はなかったのだ。ましてやそれが王子、いずれは王になる者だとしたら。
二人はあの世で結ばれるだろう。
あるいはあの世で結ばれる...というのは冥界の王の花嫁オデットが気の毒な王子に見せた夢に過ぎないのかもしれない。
マリインスキーでは最後に愛が勝ち、ロットバルトが滅び、二人は現実世界で結ばれる。思いつくところでは他にアメリカン・バレエ・シアターもその筋を採用している。
愛がどんな困難や宿命を乗り越えても勝つというのは人々に受け入れられやすく、喜ばれるだろう。
しかし、人間が長い歴史の中でなぜ「白鳥の湖」系の同工異曲を脈々と語り継いできたかを考えたら、そこには「子供は大人になって社会を永続させて行かなければならない。子供の状態に留まらず、大人になって社会に貢献せよ」という使命があったからとしか考えられない(例えばベルリン国立バレエの「白鳥の湖」の筋は興味深い)。
現代でこそ先進国では子供は大人にならなくても生きて行けるし、一部の大人が社会を運営するのに任せておけばどうにかなるが、部族社会ではそんな甘いことは言っていられなかったに違いない。
愛は勝つというイデオロギーは近現代になってからの甘いお菓子だ。
近代になってこういうお話の中の美しい姫と愛がクローズアップされて、ロマンティックに語られるようになってしまったが、昔は王子の試練物語に重きが置かれていたのではないかと思う。
こんなことまで考えさせるのは言葉を使った劇ではあり得ない。言葉の限界を設けず、それゆえにどこまでも好き勝手に意味の階段を下りて行ける、それがわたしがバレエを好きな理由のひとつだ。ゆえにやたらと説明の多い英語圏(ロイヤル・バレエやアメリカン・バレエ・シアターのバレエはちょっと...だと常々思っている。
まあ、公演中はこんなことを考える暇もなくダンサーの動きに恍惚となって、魂はどこかに飛んでしまっているわけですが。
特にロシア人のダンサーのこの世のものとは思えない言語を超えた美しさは...ジークフリート王子でなくとも夢見心地で「誓う誓う誓う!」と何でも誓わされてしまいそうな美しさなのだ。
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ブルージュの白鳥伝説

15世紀。ブルージュはブルゴーニュ公国内にあった。
ブルゴーニュ公国は、政治、文化、通商などの面で欧州一の突出した水準を誇っていた。特にブルージュの繁栄ぶりは、富裕な女性たちが他のどの国の女王クラスよりも華やかな装いをしていると噂されたほどだった。
その栄華を極めたブルージュにペーター・ランカルス (Pieter Lanchals) という官吏がいた。
ちなみにランカルスとは「長首」の意味である。

次代のブルゴーニュ公にしてオーストリア大公(のちのローマ王、神聖ローマ帝国皇帝)マクシミリアン1世の元でも、官吏を務めながら政治家になり、さらにメディチ銀行ブルージュ支店の仕事まで請け負うようになる。名誉職としては雪の聖母団と聖血団のメンバーにもなった。この頃、最初の妻を失くしていたので騎士階級の娘と再婚。
野心と実力と運に恵まれた男だったのだろう。

ブルゴーニュの財力目当てのマクシミリアンの父親、神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ3世と、ローマ王の位が喉から手が出るほど欲しいシャルル突進公の間でとりつけられた政略結婚だった。
ここでもう一つ忘れてはならないのが、ブルゴーニュ公国を狙うフランス王ルイ11世の存在だ。
ブルゴーニュ公国は元々、仏ヴァロア朝から分裂して興ったのであり、ルイ11世はブルゴーニュ公国を解体せんがため、ブルゴーニュ公国内の、独立と権利を守り拡大したい貴族や大商人と結んで執拗に策略を巡らし続けた。敵の敵は味方、というやつですな。
マクシミリアンとマリーの結婚はルイ11世とその親派を牽制するためでもあったのだ。
1482年には、元々急進的で独立心旺盛だったフランダースの有力都市ブルージュやゲントなどとマクシミリアンの間で争いが勃発する。マリーが落馬が原因で急死、彼女の死によって、公国におけるマクシミリアンの存在意義がゆらいだのだ。
ブルゴーニュの血はよそ者のマクシミリアン(<ハプスブルグ家)にではなく、マクシミリアンとマリーの子フィリップ美公に受け継がれているという理屈から、摂政マクシミリアンは不要というのがフィリップ美公派の諸都市の主張だった。フィリップ美公派(つまり親仏派)は主に都市の貴族や大商人で、上にも述べたように自らの権利の強化と拡大を狙っていたのだ。
興味深いのは、この騒動がやはりフランス王ルイ11世の差し金で行われていたことだ。マクシミリアンとフランダース諸都市(陰で操るルイ11世)の対立は1493年にサンリス協定が結ばれるまでくすぶり続けることになる。
そんな激動の世の中、ペーターは1483年にはマクシミリアンによって騎士に叙され、同時に警察官的立場であった治安職に就く。
彼は、徴税、政治、金融、治安とマクシミリアン治世の旨味のある仕事を独占したのだった。さらには宗教結社のメンバーでもあり、騎士階級にまで昇りつめた男だった。当然、都市の人々(特に親仏派)には好かれておらず、常に屈強なガードマンに守られながら行動していたらしい。

昔の小説を読むと、徴税吏ほど蛇蝎のごとく嫌われている職業は他になかなかない上、政治にも金融にも治安にも手を出していたとなればよほどの権力が集中していたことだろう。相当敵が多く、嫌われていたんでしょうな。
のちに父親フリードリヒ3世の助けで巻き返したマクシミリアンは、ブルージュなどの諸都市から伝来の特権を取り上げ、巨額の賠償金を支払わせた。

罰なのか? 見せしめなのか? 白鳥を飼うのはそんなにしんどいのか? 白鳥を飼うのは罪人のスティグマだったのか? そうでなければ罰にならないではないか。現代的な感覚からすると、美しい白鳥を街で飼うのが罰になるなんぞ、「まんじゅうこわい」的ではないか。
だから布令というよりも「呪いをかけた」と言った方がふさわしいような感じがするのだが、的外れな感覚なのだろうか。
夫に聞いたところ、フラマン語で「白鳥」と聞いて「長首」を連想するでもないらしい。
つまり、白鳥を見たブルージュ人が、即ペーターを思い出して良心の呵責に苦しめらたり、よその街の人が「白鳥を飼うような罪は犯したくない」などと思う常でもないようだ。
やはり現代人のわたしには分からない何かがあるのだろうか。
52の「長首」とはいったい何なのか。52という数字はいったいどこから来ているのか。
この数字はカバラかなんかを調べたら何か分かるのだろうか。

もしかしたら白鳥とは怨霊からブルージュを守る結界なのかも...梅原猛の読み過ぎか(笑)。
ああミステリー。
このお話をミステリーとしてあれこれ考えてみるのはとてもおもしろいが、残念ながら実際にブルージュ市が白鳥を飼う権利を買い、白鳥を飼育し始めたのは15世紀、微妙にピーターが斬首されるよりも前であったらしい。
そういうわけで、この白鳥と長首の伝説に信憑性はないとされている。19世紀には歴史にロマンティックな色彩を施すのが流行った...ペーターの話はただのこじつけにすぎないのだ。でもオカルティックな映画や小説のの題材にしたらかなりおもしろいと思う。
現在、ブルージュの運河には52羽以上の白鳥が保護されており、「長首」一族は絶えて久しい。
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black swan
ブルージュの運河では、短くとも過去600年間、白鳥が飼われ続けてきた。
ブルージュを訪問されたことのある方は、街の運河を優雅にただよう姿や、ペギン会前のサンクチュアリでくつろぐ姿をご覧になったことだろう。
ブルージュ市民にとっては、日常お馴染みの鳥なのだ。
そのお馴染みの鳥の話で、最近、ブルージュの市井が盛り上がっているらしい。

真っ白な鳥の群れの中に突如現れた黒い鳥。
当局はこの黒鳥を取り除こうと躍起になっているらしい。
「法律でブルージュは白鳥だけを飼うことになっているから」とか「この黒鳥は病気を持っているから」などと放言し、今となってはお役所の型通りの仕事方法のせいなのか、本当に病気を持っているからなのか、市民には分からない、というレポートには微苦笑してしまった。
均一の外見を持つ集団の中に現れた異質な個体...
何やら象徴的な、寓話のようなできごとではないか(すでに風刺画にされている)。
当局とは逆に、市民は黒鳥排除に大反対しているのだとか。
義理の母も突如現れた黒鳥を親しみをこめて「黒ちゃん」と呼んでいるので、そうですな、あざらしのタマちゃんフィーバーみたいなものか。
想像で補い、半紙の上に真っ黒な墨を落としたような光景を思い浮かべたらえも言えないほどの美しさだ。見に行きたい...
(写真は黒鳥オディールを踊るマリインスキーの麗しのロパトキナ!)
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osmanのスカート!
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週末、ロンドンのセレクトショップで一目惚れ!
オスマンのスカート。
ウォルホールのデッサン集から抜け出してきたようなアップリケ。
オスマン大好きっ!
オレンジにするかピンクにするかかなり迷った(娘の、ピンクの方が長く着れそうだという意見がわたしを惑わせた)末、日焼けをしているから! とオレンジを選んだ。お店の人もオレンジが似合う、と言ってくれた。が、娘はたたみかけるように「日焼けはいつまでも残らないでしょう?」と言った。
こういうのを着ていたら、絶対にロイヤル・オペラで老マダム達にほめられるのだ!
ロジェ・ヴィヴィエのパンプスとタイツを合わせてマチネに着て行きたい。
秋空のもと、ひらひら落ちる樫の葉のように舞い上がっています。
舞い上がりたい人は、秋物の服を買いましょう!
(写真はセレクトショップ、brownsfashion.comから)
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