今日の話は、私の中でもまだ結論が出ていない話。
というか、私としての方針は決まってるんだけど、それが他人に薦めるのがいいのかどうかが微妙。
それはスパルタがいいのか、緩いのがいいのか。
私は基本的に緩い方。
出来ないことがあっても、それが今のその子の姿であれば無理をさせようとしない。
勉強であれ、スポーツであれ。
しかし、厳しく育てられたおかげで才能を開花させてる人もいるし…
たとえばスポーツだと、根性論でなくとも「あきらめるな」「がんばれ」というのは普通だし、「自分で限界を決めるな」というのもわかる。
世間で一流と呼ばれるアスリートはそういうところで努力して頑張って、その記録や地位にたどり着いたんだろう。
しかし、私はふと考えてしまう。
すでに、その人なりに一生懸命やっていることを、他人から見て「まだがんばれる、もっとがんばれ」と言われてどうだろう。
「あぁ、これだけやってもまだ認めてもらえないんだ」という気持ちになると傷つくんじゃないだろうか。
成功した人の話を聞くと、そこを乗り越えたって言うのはわかるんだろうけど、その一握りの人よりも、もっと大勢の傷つき挫折してきた人がいるんじゃないだろうか。
そう思うと、安易に「がんばれ」と今の姿以上のことを求めるのはしたくない。
かといって、みんなで手をつないで同時にゴールさせるような競争じゃない競争も疑問だ。
みんな一緒にしようと言うのは、勝ち負けがあると、「負けはだめ」という考え方がそこにあるんじゃないだろうか。
勝ち負けをつけた上で、「負けてもいい」という考え方。
そのときのその子の姿・状態を認める。
「こうであって欲しい」という親の願いはあるだろうし、当然だけど、そうじゃない時にそれを責めるのじゃなく、「今はこうなんだと」認める考え方。
それは決してあきらめの薦めじゃなくて、「今のあなたでいい」ということ。
ちょっと巧く言葉になってないけど、もしなにか感じることがあれば、「おかしいんじゃない」って言うのも含めて反応があれば、それに応える形で言葉にまとまってくると思います。
親子コミュニケーション 15 「手をつなごう」
親子コミュニケーション 14 「逃げ道」
親子コミュニケーション 13 「違った雰囲気」
親子コミュニケーション 12 「沈黙も大事に」
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親子コミュニケーション 10 「1~9のまとめ」