コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

日常の中で感じる「聞き方」

2008-06-18 00:16:29 | 日常雑感

今日、自治会の「ある役割の会合」がありました。
前に別の会合に出たときも思ったのですが…

進行役の問題もあると思うのですが、なんでこう「聞くことが出来ない」のかと思いますね。
前で説明している間も、あちこちで話し声が聞こえるし、質問する人がいるとその質問者にはマイクがないのに、マイクを持った人が受け答えだけする。
なんの質問したかもわからないまま進みます。

これは質問者以外のその他大勢が「聞いていない」と進行役が判断して、当事者だけで進めようとしているんでしょうか。
そうすると、当然なにが話題となって進んでいるかわからないその他大勢は勝手におしゃべりしだす。
「聞いてない」その他大勢が先か、「聞いてないと判断」している進行役が先かどうかわかりませんが…とてもイライラする時間でした。

で、今日書こうと思うのは、そういう批判ではなく、今日の会合を通して感じた「聞こうとする姿勢」ということです。

そう考えると、私の普段の関わりは聞くことに関して優秀な人が多い気がします。

まずは、仕事で考えると、商談などの場合、利害関係がありますし儲けにつなげるためにはしっかり相手の話を聞く必要があります。
また、こちらの説明なんかも聞いてくれますよね。
複数がその場にいる場合でも、ひとりの質問を共有するのも当たり前です。

また、機械の操作講習という仕事もしていますが、これは聞き手はしっかり聞いておかないと作業できないわけですから、しっかりと聞く体制になっておられます。

私が所属している保育園の保護者会や、華光会の総会のような会合にもよく参加しますし、進行役を承ることもありますが、聞こうとしてくれる姿勢を感じますし、進行側ももし雑談のような状態になっても、一度質問を「誰々さんからこういう質問がありますが」と打ち出すことで、皆が問題を共有してから進んでいきます。

法座に至っては、自分の「一大事」を聞きに来ている訳ですから、その聞き方に問題があるとしても、聞こうという姿勢はたいしたもんです。

まぁ、損得や利害があるのも確かなんですが、それでも「聞こうとする」ことに関しては優秀じゃないでしょうか。

そういう環境に囲まれているからこそ、私自身ずっと「聞く」というテーマで考えさせられているのでしょう。
反面教師も含めて、これからも様々な関わりを通して、このことを知らされ続けるんだと思います。