今回書きますことは、仏教の考え方を中心としますので、他宗の信仰や道徳的な考え方とは違う部分もあるかもしれません。
まぁ、ひとつの考え方としてお読みください。
食事の時に「いただきます」「ごちそうさま」って言いますよね。
保育園・幼稚園や学校でもこれは当たり前に教えています。
おうちではどうでしょう。
もし、していないご家庭があるようでしたら、ぜひ食事の挨拶を家族全員でしてあげて欲しいと思います。
昔と比べても仕方ないのですが、食事の時に家族がそろうというのは当たり目であり、また重要なことでした。
しかし、だんだん仕事の時間というものが、かならずしも朝から夕方というものではなくなってきましたし、そういう人に合わせてショッピングセンターやいろんなお店が深夜営業や終夜営業しています。
と同時に、共働きなども増えてくると、なかなか家族揃って食事とはいきませんね。
で、子どもだけ先に食べさせてしまう時もあるでしょう。
そんな事情でも、この「いただきます」だけは一緒に言ってあげて欲しいんです。
じつはこの「いただきます」という言葉には深い意味があります。
私は仏教の教えを聞かせていただいているものですが、食事というものは「ほかのいのち」を奪う行為だと教えられています。
牛や豚、鳥や魚、米や野菜にしても、ほんとうは連綿と続いていくはずのいのちを、そこで断ち切って「いただいている」んですね。
また、それらを育てたり獲ったりしている人たちのおかげ、流通で運んでくれる人のおかげ、販売するお店屋さんのおかげ、料理してくれるひとのおかげ、食材を買うためのお金を稼いでくれるひとのおかげ…自分が食べるという事の裏に、これだけの「おかげ」がいるんです。
そういうことを、いつか一度、子どもに話してあげて欲しいと思います。
最近、信じがたいような事件をよく耳にします。
他人を傷つける、親でさえ殺してしまう…
自分と関係ない存在だと思うからじゃないでしょうか。
自分だけで生きていると思うからじゃないでしょうか。
自分が今ここにいるということだけで、どれだけのおかげがあるか。
どれだけ「いただいて」今ここにいるか。
食事の言葉を大事にして、その意味を聞くだけで、「いのち」を大事にする一歩になると思います。
私の子どもは、保育園が仏教園であることと、私たち両親が仏教徒であるので、外食の時でもこの言葉を言ってから食べます。
「みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
ふかくごおんをよろこび、ありがたくいただきます」
今週末に、京都の華光会館で行われる「日曜礼拝」に、私が講師としてこの話をします。
幼児から大人まで、幅広く参加されていますし、子どもだけの話し合いやゲームの時間、大人の座談会もあります。
よければご参加ください。
また、このときの話はコラムにまとめてアップしようと思ってます。
親子コミュニケーション 16 「今のあなたでいい」
親子コミュニケーション 15 「手をつなごう」
親子コミュニケーション 14 「逃げ道」
親子コミュニケーション 13 「違った雰囲気」
親子コミュニケーション 12 「沈黙も大事に」
親子コミュニケーション 11 「尊重してあげる」
親子コミュニケーション 10 「1~9のまとめ」