木曜日はミニカン継続学習会でした。
毎週連続のエンカウンターグループが始まっているのですが、私は今回は不参加。
こちらの学習会がとても楽しみでした。
今回の参加は4名、世話人二人を加えて3組です。
お二人の方と実践をしたのですが、カウンセラー役のときは二人二様ではありますが、ともに興味のある話題。
以前はこういうときにカウンセラーに徹して、話題内容関係なしに聞くのか、あるいは興味のあるところで共感して聞いていくのか、ちょっと迷った事があります。
結果、そのときの気分はいろいろあるので、そこに捉われず自然のままでいること…がいまのところ出来ることかなと。
ということで、興味に引きずられながらも、ゆっくり聞かせていただきました。
仏法に関わる話になると、どうしても言いたい気持ちが出てきます。
特に自分の領解と違う話だったりすると、「それでいいのかな」と。
しかし、こういうカウンセリングの実習という気持ちから入っているときは、そういうときにちょっと”待つ”気持ちが生まれます。
もしかしたら、私が話したいことを伝える時があって、それは今じゃないかもしれない。
その方とのご縁が整ったときに、その機会は訪れるだろうし、なによりその方は今大きな気付きと大きな翻りの時を迎えられている。
私があれこれ話すよりも、その方の中でしっかりと動いているものがある。
その時点では”待つ”ということしかありませんでしたが、今はそういうことだったのかなと思っています。
クライエントとして話をさせていただいたのは、今思っていることだったのですが、話しているうちに前回書いた「徳 と 名利心」のことにつながっていきます。
このブログに書ききれていなかったことまで思いが深まっていきました。
人に話してみてこそですね。
その内容も書きたかったのですが、今日はミニカンの話題で終わらせますのでまた機会があれば。
話したあとの振り返りで、カウンセラー役の方から思わぬ言葉をいただきました。
その言葉はわたしは使っていなかったのですが、カウンセラーさんが感じられたことを言葉にしてくださったもの。
その言葉がすごくわたしにはストーンと納まり、「そういう私の状態があるんだ」と気付きます。
いろんな話題を、あちこち行きつ戻りつしながら、最後はお念仏を喜んでいるところに話がつながったのですが、「安定されているんですね」と。
私としては、あっちふらふら、こっちふらふら、揺れに揺れまくっているんですが、それは「南無阿弥陀仏」がどっしりと底にあって、その上でふらふらしてることを許してもらってるんですね。
そんな自分の状態を、この言葉で返してもらえたのはすごく嬉しいことです。
そんな気持ちを持っていたので、もうお一人の方との実践でも変化がありました。
今まで「この話題はずっと触れずにおこう」としていたものに、少し手をかけて言葉にしてみました。
「安定している」と言われたことに、ちょっと頼ってみた感があります。
そのことで問題が改善されたり、一歩踏み込んだりするというものではないのですが、そのことをめぐる様々な思いを、とりあえずは言語化して見る事が出来た…まぁ、私なりの一歩ともいえますか。
そのことがどう動くかは別問題として、そういう私がその時にいたという事実だけです。
先月の円座禅から、いろんな集いや法座を通ってきた”歴史”を抱えた今の私。
あえて言葉にすると、”そのままのわたし”でいられた時間でしたかね。
大事な時間でした。