コトバヲツグムモノ

「口を噤む」のか「言葉を紡ぐ」のか…さてどちらの転がっていくのか、リスタートしてみましょう。

京都支部学習会 10月

2009-10-18 23:47:31 | 「聞き方・伝え方」学習会

 

学習会と銘打って始めての第2回。
前回は9月の初めでしたからちょっと間があいた間隔です。

今回は10名の参加、遠く福井から参加してくださった方も居られました。

前回のことをブログにしたものを読み返してみましたが、その後のいろんなワークや法座、出会いを通じて、私の中にもいろいろ変化が起こっているようです。
そういうことを場に打ち出してみて、またそのことからフィードバックしてくることを私の中に取り込んでいく…こういう風に動いてみてこそですね。

今回もお礼のあと2分間の黙想。
自己紹介を兼ねて、「今の感じ」を。
でもあまりこだわらず、「今、言葉にしたい日ごろの想い」もOKということで。
一見同じことのようですが、「今」ということにこだわるといろいろ意識されることもありますので、今回は「ゆるやかに」を私の中のひとつのテーマとして、提案の仕方を工夫してみます。

「聞き手・話し手」に別れての実践の前に、少し「聞く」についての味わいを話させていただきました。
ちょうど先日読んだ新聞の話題を切り抜いており、それを読ませていただきます。
ある方が「傾聴ボランティア」をされて感じておられることの話題です。
相手の方の言葉に、励ましや叱咤をするのではなく、ただただその言葉を受け止めていく…
すごく具体的な話題として、これからの実践に関わる話になったと思います。
(ネット上に話題が載っていれば紹介できるのですが)

そのあと先月と同じように3人組になってミニカウンセリングの実践。
1セッション10分を提示しましたが、「長い気がする」のご指摘で5分に。
そしてじっくりと分かち合いに時間をとりました。
(ここが先月の反省ですね)

何人かの方が体験的なところで話をしてくださったのと、逆に具体的な疑問を話してくださったので、そこにお応えさせてもらうことで、この集まりに対する私の気持ちが明確になってきました。

そこでは二つの事を話していました。

ひとつは、実践は1対1だけれど、そういう場面をうまくこなすのがゴールじゃなくて、法座での多くの人との関わりの中で、その時点の「話し手」の方を大事にすることを学んでいきましょうということ。
この学習会のきっかけは「グループ(支部)でもうちょっと上手く分かり合えたら」という思いから始まったものがあります。
そのために、その時点の「話し手」の方を大事にしてあげられれば。
まずは”形”からになっちゃいますが、そこを意識する事が出来れば、「同じ考えじゃない人」も「初めて会った人」も、大事に話を聞くことから始める事が出来ます。

また一番曲者なのが「ほとんど同じ考え」の人との関わり。
心境が近いと「わかるわかる」となって、自分の思いとその人の思いを混同させます。
大まかには同じかもしれませんが、決して同じと言うことはありません。
でも、その少しの違いを誤魔化しにかかってしまうと、本当のその人の気持ちとはかけ離れていきます。
だから、自分の思い…「そうそう」も「違う違う」も横において、まずはその方の言いたいこと・思っておられることを”そのまま”聞かせてもらう。
このことを知っておくのは大事なことだと思っています。

もうひとつは「真宗カウンセリング」に関しての思い。
進行上、どうしても「カウンセリング」の言葉を使いますので、逆に「今生事」「後生事」をわけて考えなければと思ってしまう方が居られます。
かくいう私がずっとそうでしたから。

そこでカウンセリングの基本は「Person-Centered Approach」であり、そこにいる”人”を大事にしていくこと。
それが、法座での関わりであれば、放っておいてもお互いが「仏願」に照らされた同士の関わりになる…今生事の話をしていても、そこにほとけさまに照らされた私が語る今生事ですから。
だから「Dharma-based Person-centered Approach」(仏法を根底にした人間尊重のアプローチ)という「真宗カウンセリング」を先生方が立ち上げてくださり、あたりまえのように法座で仏法の話を”関わりながら”すすめているんですね。
無理やり、「カウンセリングの勉強は仏法の話をしたら駄目」なんて決めることは無いですし、勝手に「仏法に触れている私」が出てきますしね。

私自身がこのことを言葉に出来たことで、この集まりを継続していくエネルギーがあふれてきましたし、どういう形であれやっていけるなという芯が生まれてきました。

参加の皆様に感謝です。

来月は11月7日土曜日に行います。

京都支部学習会11月の案内