今日は雑感の中でも、公開に値するかと言えば疑わしい極私的な雑感。
まぁ、ブログというものを「日記」として、こういう日々の雑感も私の中には確かにあって、そこが真宗やカウンセリングにつながっているのは事実と…
と、なんとも、書き出す前にあれやこれや言い訳がましく書いてしまうようなものだと言うことです。
もう日付は変わっちゃいましたが、11日で結婚20周年となりました。
まぁ、私の人生の中での20年と言うのは、決して短くはないですね。
思い返せばいろいろ出てくることでしょう。
(そんな恐ろしいことは止めとくほうが良い)
今の私を、どこでどう切ってもこの20年の関わり抜きに成り立っていません。
ですから、振り返ることよりも、この今の姿を見ていく事が、20年のありようを示していることになるなと。
まぁ、4人も家族が増え、それなりのものに囲まれ、さらにそこから様々な縁につながっていることを感じられます。
長女は学校行事で留守だったんですが、妹に託してこの日にあわせて手紙を置いておいてくれました。
20年ということに舞い上がってる私と違い、彼女らのほうが冷静に家族のことを見ている気がします。
「いろいろあるけど、まぁいい家族」そんなようなことを書いてくれています。
あぁ、”いろいろ”を見て来てくれてるんだなぁ、と。
彼女なりに心配もあったんだろうなぁ。
「自分ではわからないけれど、この親を選んで生まれてきて良かった」と言うことも書いてくれていました。
子どもの頃から法座に参らせて、おおくの先達のおかげで育ててもらっています。
生まれてくることも、この親の元に来ることも「自分の”業”」だということを、しっかりと聞いてきてくれている。
その上で、そのことを喜んでくれているのならば、これほど嬉しいことはないですね。
親が一生懸命ご縁をつけて、聞かせてやろうなんて気持ちで動いているんですが、そんなものは”縁”でしかなくて、彼女は彼女でしっかりと聞いていってくれるだろうなと。
この親の元に生まれたと言う”縁”を超えて、自分自身の後生を問題として…
ここから先は、独りで立って行くしかない所ですもんね。
もしかしたら、今日のお祝いを面と向かってしていたらこういう話は聞けなかったかもしれません。
たまたま一緒にいられないから、手紙に託してくれた。
こういう形になるべくしてなったんだなと言うことも感じます。
20周年というのは、夫婦のことを考える日になると思っていたんですが、子どもらの姿からそのことを見つめるとは思っていませんでした。
小遣いからプレゼントを買ってくれた息子たち、手作りのデザートでお祝いしてくれた次女、素敵な手紙をくれた長女。
20年前、私たちが夫婦になっていなければ、この出逢いがなかったんだなと考えると、とても大事な日になってきました。
夫婦が顔を見詰め合って…なんてことは恥ずかしいですが、子どもらの姿を通して、味わう日でした。
やっぱ、こういう話をブログにするのは恥ずかしいですね…
まぁ、ブログというものを「日記」として、こういう日々の雑感も私の中には確かにあって、そこが真宗やカウンセリングにつながっているのは事実と…
と、なんとも、書き出す前にあれやこれや言い訳がましく書いてしまうようなものだと言うことです。
もう日付は変わっちゃいましたが、11日で結婚20周年となりました。
まぁ、私の人生の中での20年と言うのは、決して短くはないですね。
思い返せばいろいろ出てくることでしょう。
(そんな恐ろしいことは止めとくほうが良い)
今の私を、どこでどう切ってもこの20年の関わり抜きに成り立っていません。
ですから、振り返ることよりも、この今の姿を見ていく事が、20年のありようを示していることになるなと。
まぁ、4人も家族が増え、それなりのものに囲まれ、さらにそこから様々な縁につながっていることを感じられます。
長女は学校行事で留守だったんですが、妹に託してこの日にあわせて手紙を置いておいてくれました。
20年ということに舞い上がってる私と違い、彼女らのほうが冷静に家族のことを見ている気がします。
「いろいろあるけど、まぁいい家族」そんなようなことを書いてくれています。
あぁ、”いろいろ”を見て来てくれてるんだなぁ、と。
彼女なりに心配もあったんだろうなぁ。
「自分ではわからないけれど、この親を選んで生まれてきて良かった」と言うことも書いてくれていました。
子どもの頃から法座に参らせて、おおくの先達のおかげで育ててもらっています。
生まれてくることも、この親の元に来ることも「自分の”業”」だということを、しっかりと聞いてきてくれている。
その上で、そのことを喜んでくれているのならば、これほど嬉しいことはないですね。
親が一生懸命ご縁をつけて、聞かせてやろうなんて気持ちで動いているんですが、そんなものは”縁”でしかなくて、彼女は彼女でしっかりと聞いていってくれるだろうなと。
この親の元に生まれたと言う”縁”を超えて、自分自身の後生を問題として…
ここから先は、独りで立って行くしかない所ですもんね。
もしかしたら、今日のお祝いを面と向かってしていたらこういう話は聞けなかったかもしれません。
たまたま一緒にいられないから、手紙に託してくれた。
こういう形になるべくしてなったんだなと言うことも感じます。
20周年というのは、夫婦のことを考える日になると思っていたんですが、子どもらの姿からそのことを見つめるとは思っていませんでした。
小遣いからプレゼントを買ってくれた息子たち、手作りのデザートでお祝いしてくれた次女、素敵な手紙をくれた長女。
20年前、私たちが夫婦になっていなければ、この出逢いがなかったんだなと考えると、とても大事な日になってきました。
夫婦が顔を見詰め合って…なんてことは恥ずかしいですが、子どもらの姿を通して、味わう日でした。
やっぱ、こういう話をブログにするのは恥ずかしいですね…