最近の興味の中心と、これからの活動をいろいろ考える。
やりたいことが経済活動につながるのが理想ではあるけれど、当面はボランティア的な動きが中心となりそう。
その辺は、なんどかミニカウンセリングなどで話題にして自分なりに整理がついてきているけど、ようは
「お金を稼いで、そのお金と余暇で好きなことをする」
「お金にはならないが、好きなことをする時間を持つ」
という二つのことは、最終的に「時間をかけてお金が手元に残らない」という点ではほぼイコールじゃないかと。
で、結果好きなことが出来ているのならば、人生としては楽しんでる方じゃないかなと。
もっとも、先にお金を稼いでおけば、お金が必要なときは楽しみを我慢してそちらにまわせるけれど、ボランティアで楽しんでいるだけなら、いざというときにお金がないという問題は残る(今はその状態…苦笑)
しかし、先に貯めることに集中して、そのまま年をとりいざというときにやりたいことがやり損ねるということもある。
まぁ、こういう考え方の人間はお金を貯められないんだろうなと。
ということは置いといて、これまでの数十年間ボランティア的に活動してきたことに一区切りをつけたことで、その分ほかの事に時間・体力・気力を差し向けることが出来る。
その際たるものがPTA活動だけど、そちらはどんどん活動の輪が広がっている。
しかもまだまだやるべきことの余地はある。
この3月で一区切りをつけながらも、4月から新たな動きの予感(というか内定というか)もある。
そのほかに、個人的に動き出したいことが何点か。
私自身は「自分が動かしだす」というタイプではなく、周りからの要請に応えて動くことが多い。
幸い、そういうパズル的な感じで、要請の応えることで自分のやりたいことが充たされてきた。
これからもそういうことが中心になっていくと思う。
そのメインが「真宗カウンセリング研究会」の活動。
真宗との関わり方と一線を引いたとはいえ、私の中に大きな割合を占めているのは真宗-親鸞聖人-お釈迦様-阿弥陀様の教えを礎としたもの。
そこをダイレクトに刺激し、お念仏に返していただけるのは、カウンセリングの場で出会う”人”とのかかわり。
また、いろいろ動きながらも、やはり根底にあるのはロジャース氏のベーシックな人間肯定感。
真宗カウンセリングは、私の軸になるのは変わりない。
来年度もそこには積極的に関わらせていただきたい。
年間のスケジュールもほぼ決定済みで、案内パンフレットも近々校了する。
それにあわせて、真宗カウンセリング研究会のHPも更新するので、そのときは紹介させていただきたい。
もうひとつが、今年度実験的に進めてきた「新しい傾聴を生み出す会」
こちらも4月からは京都の新会場でも開催することが決まった。
今まで場所的に、興味はあるが参加は難しいという方々にも、少しは敷居が低くなるのではと期待している。
カウンセリングの実践的な部分で、「理屈的にはわかるけど基本的な対応で大丈夫だろうか」というような事例を検討しながら、一方ではベーシックなかかわりの大事さを、もう一方ではベーシックの枠を超えた実践的なスキルアップを学んでいける集まりだと自負している。
もちろん、”傾聴”を一から学びたい方にも対応できる。
「新しい傾聴を生み出す会」 (画像ファイルです)
また、ここ数年、学んで活動してきた「発達障害」についての活動も新たな展開を向かえそうだ。
今年度の活動を発展させた取り組みも始まるし、私自身一歩踏み込んだ活動の予感がある。
こちらも近くご案内できることと思う。
もうひとつ、学びを実践に移す場を考えている。
学びとしては私自身の中にインプットされてきている、宗教観・カウンセリングマインド・発達障害の関わり・PTAでの保護者の悩みなどを、気軽に話し合い聴きあい出来る場を作ろうというものだ。
これまである会で「聞き方・伝え方の学び」として、月一回の会を持っていたが、体調のこととその会との距離感の関係でお休みしていた。
そこで感じてきたことを元に、まずは場と時間を用意して、来られた方とともに場を作っていければという思いだ。
どのような発展をするのかわからないが、まずは2月と3月に開催してみる。
なにか目的を持って人を集める方が集まりやすいんだろうけど、ここはあえて「何が起こっても大丈夫」という精神でもって動いてみたい。
カウンセリング的に聞いてほしいという方もOK、宗教の話を語り合いたい方もOK、子育ての悩みを共有したい方もOk。
個人的には、他宗派の方のお話しも聞きたいし、講師を呼んで発達障害の話題をしてもらうのもいいなという、かなり欲張った企画。
ゆくゆくは希望者に合わせて枝分かれして、学習の会や音楽療法の会なんかにも発展させたかったり。
「ぐるーぷ ”わ”」(PDFです)
ここ数年、物欲的なものは沈静化してる感じだけど、こういう方面はメラメラ燃えてきている気がする。
コップの水を空にしなければ新しい水が入らないように、一つを捨てることで新たな可能性が生まれてきている。
そんな流れを感じている。
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