二日間のプログラムの中に二つのワークがありました。
ひとつは「花束のワーク」
白い紙の上から4分の一あたりに波線を引きます。
上のスペースの好きな場所、好きな大きさで円を書きます(形は丸とは限らなくてOK)
心に浮かぶセンテンツを上に書き、真ん中に線を引き、下側にそのセンテンツに対する”感じ”を書きます。
たとえば上に「仕事」下に「ヘトヘト」という具合に。
それを思いつくまま、いくつも書いていきます。
自分の心のなかに浮かんでくるもの、またそれに対する”感じ”を、言語化し、外側に置いて行く事で、客観的に眺める作業になるのでしょうか。
ひとつのものを書くと、それに関連した事がいろいろと浮かんできます。
それは大きかったり小さかったり、真ん中のほうにあったり端にあったり。
”感じ”のほうも、好意的なものであったり、ネガティブなものであったり。
そうやって出来たものを眺めてみると、いろいろ面白いものが見えてきます。
自分の関心ごとの縮図であり、普段はあまり意識してないと思っているのにしっかりと主張してくるものであったり。
特に、あまり触れたくないことがしっかりと浮かび上がってきたときには、それを書いてみるかどうか迷います。
今回はワークの体験ということもあるので、そこは素直にいこうと、場所を探して書いてみます。
結局、一番隅っこのほうで、感じは「関わりたくない」という言葉といっしょに。
これは私のくせなんですが、こうして行っている「表現」に意味を求めてしまいます。
今回、それが良いのかどうかわかりませんが、無理に気持ちを修正せず、浮かんでくるままにまかせていました。
そうして見えてきたものは、手前(下)に置いている物ほど大事にしているもので、遠く(上)に置くほど避けようとしているセンテンツだなと。
もしかしたら心理学のほうでいろいろと説明付けられるかもしれないですね。
人によっては、ただの円ではなく周りを花のように飾ったり、手足をつけて動きを加えて表現している人もいました。
もうひとつは「こころの天気」のワークです。
こちらは絵に描くことで、心の様子・感じを、外に出して表現するものです。
これも自由に絵を書けば良いのですが、「天気」という言葉にとらわれている私は空の様子を思い浮かべました。
基本は青空です。
どちらかというと深い藍。
時刻は夕方…陽はあるはずですが、ちょうどそこだけに白い雲があり陽の光を隠しています。
でも、雲はそこだけなので、空は晴天のまま。
さらには、その雲の裏に太陽があるのを主張するように、雲のスキマからオレンジ色の陽の光が地上に射しています。
「完璧に晴天」というのは今の私の気持ちとは違います。
かといって、雲に覆われているのでもない。
しっかりと私を照らす太陽があります。
その太陽も遠慮がちに雲の後ろにあったりします。
後ろにあるのに、スキマから陽を射すことで「みえなくてもいつもここにいるよ」と。
うーん、複雑ですねぇ…一貫していない。
(ちゃんとした精神鑑定うける必要アリかもです)
ここまではこのワークをはじめたときに一気にビジョンが生まれてきました。
そのイメージを形にしていく作業です。
(表現がちゃんと出来てるか…イメージを絵に出来ているかは疑問ですが)
ところが、こうして絵にする作業をしているうちに、違ったものが心に生まれてきます。
遠くのほうに別の雲が気になりだします。
真っ黒な雲。
一度気になりだすと、どんどん雲は膨れてきます。
なので端の方に黒い雲を書く…いやもうちょっと大きくなってきた…雲を大きくする…大きくしだすとそこまでも大きくないかと…
その雲は近づいたり遠ざかったり、膨らんだりしぼんだり。
絵として留める事ができません。
そういう雲に付き合っていると、今度は光のほうが単純なオレンジじゃなく、もっと光り輝いて見えました。
黄色を足していると一筋の光だけでなく、周りがその影響でキラキラしてくる…
最初は「浮かんだビジョン」に固執して、それを形に留めるという作業。
後半は変化に合わせて深みを加える作業。
これも「花束のワーク」同様、あまり分析しないほうがいいのかもしれませんが、やはり分析してしまうこの”くせ”…
まぁ、それのよしあしじゃなく、そうしてしまうのが今の私だということを受け取ります。
実は、この記事に書いた感覚も、今日参加した「真カ研月例会」での刺激を受けて、また違ったステージに動いて来ています。
でも、まずは当日の感じを出来るだけなぞっておきます。
(月例会のことはまたあらためて)
病気の知り合いがいたことで気づいたことがあった
私は 病気と聞いて 何も感じなかった
そんな自分を冷たい
そう思った
でも さいきん ひろさちやさんの「狂いのすすめ」を見て 初めて気がついた
弱者が自分の感じ方を考え方を持つことを禁止されてきたということに。
私は 何をしてもずっと否定されてきた
だから 人といると自分の違いをすべて自分が悪いものだと思い 人といるときは自分を殺してきた。
そういうことだったのかと 目から鱗です
だから 知りあいだから なのに なんでこんなに情がないのだろう と思ったけれど
私は 人といるときに自分を殺したことで知らず知らずのうちに 相手に対する怒りがたまっていたのだと思う
だから いい人をやっていながら 相手に対して自分を殺さずにいられなくなっている自分の怒りをため込んでいたのだと思った
> 私は 何をしてもずっと否定されてきた
>だから 人といると自分の違いをすべて自分が悪いものだと思い 人といるときは自分を殺してきた。
> そういうことだったのかと 目から鱗です
目から鱗のような気付きがあったのですね。
すごく自分のことをよく感じておられるんだなと読ませていただきました。
ひろさちやさんの本は私は未見なのですが、「かたつむり」さんにとって大事な出逢いだったんですね。
また、味わったことをお聞かせください。
まさに”コメント”をありがとうございます。
>一触即発の戦い前夜
そう見えたのですね。
このコメントをいただいて、私にも緊張感が生まれてきます。
まだ、戦いの準備期間のような感じもありますし、ずっとこの緊張感のまま対決を始めないのかもしれません。
今はオレンジの力強い光のほうに関心がある私です。
またいろいろコメントお願いします。