気がつけばもう一週間前の出来事になってるんですね。
日々の生活の中で、刹那刹那に代わっている自分でもあるんですが、でもまだまだそのときの感じが余韻で残っている部分もあります。
もう一回そのことを書いてみましょう。
今回のワークショップでご一緒した方のお一人は、以前何度か(というかずっと長い間)お会いしていたときと、もっている空気感が大きく変わっていました。
その元になることもいろいろお聞きしたのですが、そのことはここでは触れません。
ただ、とても嬉しい感じがしましたし、頼もしい感じもしましたし、さらには嫉妬に似たものを呼び起こすくらい「すごく開放された」感じをうけました。
二日間、その方のお話を聞かせてもらうことで、今までのお付き合いの歴史を含んだ上での、今また新しい関係が出来上がってきたのを感じます。
そんな中で、その方のずっと思われていたことを言葉にされていました。
「ずっと、いろいろ聞いてもらっていたけど、返してもらっているのが、応えて欲しいポイントとちょっとずれていた」
いやぁ、ショックです。
もちろん、今の私から見れば過去の私は稚拙だなぁと思います。
ですので、力不足なことは仕方ないのですが、「ずれている」と知らずに「しっかり関われている」と思っていた事が恥ずかしいですね。
と同時に、「そう言っても大丈夫」と思ってもらえる関係が、今回出来上がったんだなと。
振り返ってみると、覚えているだけで(といっても普段は忘れてますが)本当に多くの方との関わりがありました。
私が拙いために多くの方を傷つけてきたと思います。
一方では「そうなるしかなかった」というところで収めることもありますが、もし今そういう方々ともう一度出会う事があれば、少しは違った関わりができるかもしれないなと。
いや、この私の性分からいくと、引け目を感じて、とてもフラットな関わりができないような気もします。
いやいや、想像だけで決めてしまうことのほうが良くないですね。
今までの事が消えることはないですし、それをお互いの歴史として内に秘めた状態での「いま・ここ」のところで、どのようなものが生まれてこようと、「そのように」いけるような私でありたいですね。
「どのようなもの」の中には、否定的な関係に支配される私もわきあがってくるでしょうが、それを無理に「それじゃ駄目だ」と抑えることもしないような気がします。
あるアニメでの「逃げちゃだめだ」という有名なシーンがありますが、「逃げてもいいんだよ」と言う言葉が私にはしっくり来ますね。
うーん、最初の書き出しと様子が変わってきましたが、そのまま投稿することにしましょう。
明日は(もう日付が変わって今日ですが)京都支部学習会。
先日のミーティングを踏まえて、またワークショップの余韻を抱えて、どのような集まりになるのか、楽しみです。
よければご参加ください。