来年度は「浄土教特論」を履修するつもりだったから、授業の中心となる「浄土三部経」を中心に仏教三昧の生活をしていた。
毎日、浄土三部経の関連図書を電車の中で読み、真宗門徒のお勤めである「正信偈」をBGMとして聴き、時に唱え、「阿弥陀経」に手を合わせていた。
「正信偈」は、和賛するという言葉が似つかわしいほどに、念仏を唱えるというか、節をそろえて歌っているかのごとくである。なんとなく、有難く聞こえるのは私だけであろうか。
それにしても面白いのは浄土三部経の「観無量寿経」の中で、「提婆達多」がでてくることだ。
「提婆達多」は「釈迦」の親族である。「提婆達多」は皇太子をそそのかし、反逆を起こさせた。悪いやつである。「提婆達多」と漢字で書くからピンとこないが、カタカナで書くと「ダイバダッタ」であり、私と同じ年代の人の多くは耳にしたことがあるはずである。
そう、レインボーマンに出てくる奇跡の聖人「ダイバ・ダッタ」である。たかが、漫画と侮ることなかれ!レインボーマンは、かの「川内康範先生」が原作なのである。ちなみに、月光仮面も川内先生原作である。加えて、マッチの「ざんばら」の作詞もされている。
また、「阿弥陀経」では「曼陀羅華」がでてくる。「曼陀羅華」は「まんだらけ」と読む。いきなり現世的な響きとなるから不思議である。
結局、履修できない「浄土教特論」であり、勉強しても仕方がなかったのであるが、やはり、浄土真宗系の大学に在籍している以上、この程度の学びは必須なのかもしれない。いや、むしろ、今まで「浄土三部経」や「正信偈」知らなかったこと自体、宗教に無関心といわれる日本人の典型ともいえる。自身の宗教に対する無知を恥じねばなるまい。
毎日、浄土三部経の関連図書を電車の中で読み、真宗門徒のお勤めである「正信偈」をBGMとして聴き、時に唱え、「阿弥陀経」に手を合わせていた。
「正信偈」は、和賛するという言葉が似つかわしいほどに、念仏を唱えるというか、節をそろえて歌っているかのごとくである。なんとなく、有難く聞こえるのは私だけであろうか。
それにしても面白いのは浄土三部経の「観無量寿経」の中で、「提婆達多」がでてくることだ。
「提婆達多」は「釈迦」の親族である。「提婆達多」は皇太子をそそのかし、反逆を起こさせた。悪いやつである。「提婆達多」と漢字で書くからピンとこないが、カタカナで書くと「ダイバダッタ」であり、私と同じ年代の人の多くは耳にしたことがあるはずである。
そう、レインボーマンに出てくる奇跡の聖人「ダイバ・ダッタ」である。たかが、漫画と侮ることなかれ!レインボーマンは、かの「川内康範先生」が原作なのである。ちなみに、月光仮面も川内先生原作である。加えて、マッチの「ざんばら」の作詞もされている。
また、「阿弥陀経」では「曼陀羅華」がでてくる。「曼陀羅華」は「まんだらけ」と読む。いきなり現世的な響きとなるから不思議である。
結局、履修できない「浄土教特論」であり、勉強しても仕方がなかったのであるが、やはり、浄土真宗系の大学に在籍している以上、この程度の学びは必須なのかもしれない。いや、むしろ、今まで「浄土三部経」や「正信偈」知らなかったこと自体、宗教に無関心といわれる日本人の典型ともいえる。自身の宗教に対する無知を恥じねばなるまい。