生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

熟考・・・

2011年02月20日 19時43分31秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今の自分は哲学モード・・・考えている。

というより、今、「何を」学習するのかということで悩んでいる。私の師匠の言葉である「生涯学習は何でもあり」というフレーズを信じてきた。あまり、後先考えずに、どちらかというと、手当たり次第に取り組んできたつもりである。

とりあえず勉強とか、学習とか、資格とか目指そうとする人は、取り組みを始める「きっかけ」や「理由」、「目的」「目標」等があるはずだ。例えば、「給料をアップさせたい」とか「出世したい」「独立したい」「ライバルに勝ちたい」等々。だが、私には、それほど、明確な学習するだけの理由がない。

だから、モチベーションが続かないし、危機感もそれほど感じない。ゴールがない持久走のようなものだ。

キャリア・コンサルタントだからではないのだが・・・

①何のために学習するのか
②何を学習するのか
③いつ終わるのか
④誰のために学習するのか

等々、自分の学習はどうあるべきかについて、悩んでいるのだ。




昔は資格を取得することで自分をごまかすことができた。

その次は通信教育を多数受講することでごまかすことができた。

今は学位を取得することでごまかすことができている・・・




結果、資格は200以上取得、社会人での通信教育受講歴は100以上(大学通信教育を除く)、取得学位13(修士2・学士11)。だから、何なのだ。何になるのだ?一体、何を目指しているのか?生涯学習の道を誤っていないか?・・・そんなことを考え始めると、迷う迷う。「フラ夫も凡夫なり」というところだ。

漠然とした不安に苛まれ、「もっと学習せねば!」と自分にムチを打ち続けてきたが、ちょうど、機構の不合格が、私に学びの再考をするチャンスを与えてくれた。

ごまかしで形成された学習は砂上の楼閣。学習を助長してはならないのではないか。いずれ、砂上の楼閣は崩れ、助長して形成した学習は根っこが腐ってしまう・・・

真剣に学べるようなスケジュールと言うか、カリキュラムというか・・・ついつい、数に走り勝ちの自分の性格を自制して、真に誠の生涯学習を見つけたい。
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ゼミの総会!

2011年02月20日 18時52分12秒 | 産業能率大学
今日は第9回の産能大学時代のゼミの総会が浜松町であった!

幹事なので早く行く必要があったのだが・・・なんと、中央線がストップ!国分寺⇒萩山⇒高田馬場と西武線を乗り継いで、しかも、中央線がストップだから山手線をほぼ半周して、高田馬場から浜松町へ。

当然、遅刻である。

とはいえ、全体の総会は始まってまもなくで到着したので、リハーサルなしの、ぶっつけ本番で会計監査の発表が回ってきただけのことである。ちょっと、噛んでしまったが、無難に発表できたと思っている。

さて、先生もお元気そうだし、同期も2名来てくれたので、本当によかった。後輩やら先輩やらも合わせて、全体の参加者は50名強ってところ。

特にうれしかったのは、産業能率大学大学院に行くきっかけをつくってくださった先輩と、明星大学大学院に行くきっかけをつくってくださった先輩が、ともに参加しておられたこと。万難を排して駆けつけた甲斐がありました。ちなみに・・・最近、気がついたのですが、武蔵野大学大学院の第一期入学の先輩も、この総会に出席されていました。縁とは、奇なるものですね。

一通り、議案や勉強会が終わったところ、今回の総会のテーマは「先生を愛でる会」とのことで、順々にメンバーがマイクリレーをして、先生の思い出話をしていきました。飲み食いし、ビールが回ってきた最後の方に、私もご指名に預かり、先生の思い出をさせていただきました。酔っているので、何を話したか覚えていないのですが、先生を褒めるはずの趣旨を逸脱していたのか、意外とウケてました・・・(汗)。

次回の幹事会、叱られるかも・・・調子に乗って後先考えずに話すと、後で大変なことになるかもね。
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悲嘆のプロセス

2011年02月20日 06時39分15秒 | 生涯学習
グリーフケア特講を履修していたとき、「悲嘆のプロセス」を学修した。未解決の悲嘆は病気の一因となる。悲嘆の例とは、失恋、定年退職、社会的地位の低下、自己像(セルフ・イメージ)の崩壊、とりわけ愛する人の死といった深刻な喪失体験によってもたらされるとアルフォンス・デーケンは言っている。

今回、「受験の失敗」という『プチ悲嘆』に遭遇したわけだ。今まで、資格の試験で何度も辛酸をなめてきているのだが、この悲嘆からの回復プロセスを、私の書いたレポートで振り返りたい・・・

【悲嘆のプロセス その推移について】
 悲嘆のプロセスの推移についてであるが、パークスの心理社会的推移によれば、「心の麻痺の段階」「切望の段階」「混乱と絶望の段階」「回復の段階」という4つの段階より構成される。
 パークスの理論以外にも、色々と悲嘆のプロセスが考えられている。たとえば「精神的打撃と麻痺の状態」「否認」「パニック」「怒りと不当感」「敵意とルサンチマン(うらみ)」「罪意識」「空想形成、幻想」「孤独感と抑鬱」「精神的混乱とアパシー(無関心)」「あきらめ-受容」「新しい希望-ユーモアと笑いの再発見」「立ち直りの段階-新しいアイデンティティの誕生」の12段階の構成を考えるものがある(曽野、アルフォンス1984,P69‐77)。
あるいは、「ショック」「喪失の認識」「引きこもり」「癒し」「再生」という5つの段階について述べているものもある(キャサリン,2000,P60)。
 ただ、いずれの場合にも、悲嘆のプロセスにおける最初の段階としては、「ショック」あるいは、そのあまりに大きなショックに引き起こさえる「心の麻痺の段階」があげられる・・・

以上が、以前、書いたレポートの冒頭部分なのだが、デーケンの「悲嘆のプロセス」が秀逸であろう。

私の場合、デーケンの12段階において、既に、不合格は「笑い話」の域に達しており、今では、もう立ち直りの段階である。「パニック」とか、「怒りと不当感」もあるにはあったが、あまりにひどい結果に、「あきらめ-受容」の段階へとすぐに移行した。で、「新しい希望-ユーモアと笑いの再発見」となるわけだ。

ところで・・・

武蔵野大学で学習するまで「アルフォンス・デーケン」なんて先生の名前は知らなかったもんな・・・。「アルフォンス」で知っている人といえば、「アルフォンス・エルリック」ぐらい・・・って、「アルフォンス・エルリック」って、アニメのキャラじゃん!

デーケン先生の本はたくさん読みました。死生学というか、デス・エデュケーションを学習する中で、必要となったわけです。無論、グリーフケアでもお世話になりました。

得意分野と違う分野を学ぶと、常識として知らなければならないことすら、欠落している自分に気がつきます。そして、それが、自分自身を豊かにしてくれます。

また、「ショック」や「不安」からも、救ってくれることさえあるのです。
コメント (2)
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