生涯学習の部屋

資格取得数241。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

大学院

2011年02月12日 19時41分08秒 | ちょっと立ち止まって・・・
3連休も中日。

やったことといえば、部屋の整理と読書ぐらいか。近所のスーパーに買い物にも行った・・・モヤシがなかったから。夕食を終え、パソコンの前に座っていたら、ふと、昔の一シーンを思い出した。

それは、産能大学の通教に在籍していたときのこと。何故か、国際医療福祉大学大学院に行っている人と出会い、「あなたも大学院に行けばいいよ!」と言われた。確か、カウンセリング演習で知り合った方の、友人あるいは親戚の方だったと思う。

あるいは、飲み会で名古屋商科大学大学院の方がいて、大学院の話をしていたのを思い出した。

色々あるのだが、当時は、大学院に行きたいとも思っていなかったし、いけるとも思っていなかった。大学院とは遠い存在で、特殊な人、あるいは時間的にも、経済的にも恵まれた人のみが行くもの・・・と勝手な想像をしていた。

通信制大学に入学したのも、資格取得とかが目的であって、大学院に行くためではなかった。

しかし産能大学では、大学院を目指すもの、あるいは、実際に大学院に行っている人が多数いた。先に述べた2人の方も産能大学の卒業生だった。そのような環境にいると、自然と、大学院というものに引かれていくこととなる。

大学院というものを意識した一番の出来事は、大学でのゼミナールだと思っている。私の所属したゼミは、産能大学の通信制でも人気のゼミだった。ゼミに入る際に、志願票みたいなものを先生に提出しなければならなかった。その内容次第では、履修不許可となることもあるとの噂だった。その用紙に「志望する大学院はありますか。あればあげてください」というような質問事項があった。

そのころだろうか・・・大学院を意識したのは。

昔のブログを見たところ、ゼミを申し込んだ2005年2月頃には大学院進学だけでなく、学位授与機構での学士取得も考えていたようだ。当時は、明星大学大学院と放送大学大学院を候補としてあげていた。

訳あって、産業能率大学大学院に進学したが、産能でも明星でも院に行く前には、かならずといっていいほど、先輩からの影響を受けていた。幸運であった。

信じられないかもしれないが、全くムリと思っていたことも、目標に設定した瞬間から、それを後ろから支援してくれるような出来事が次々と起こるから不思議である。先輩がいたり、先生がいたり・・・と。

2期生で入学した武蔵野大学でさえ、入学後、ゼミの先輩に1期生がいるとわかった。不思議なものである。


そしてて、実際、自分自身が大学院で学ぶようになって、遠い存在に感じていたものが、それほど遠いものではないことがわかった。遠いものとして、自分が勝手に想像していただけのことなのである。

それが証拠に、このブログに来てくださる方々も、大学院修了者、あるいは在籍者が何人もいらっしゃる。きっと、その方々も言うはずだ。大学院進学は、そんなに手の届かないものではないことだと。

勇気を出して第一歩を踏み出した人にはわかるはずだ。困難と思えることも、それほど困難でないことが。自分のつくり出した幻影に躊躇する人には、未来永劫わからなのだが、背水の陣で物事に臨めば、あながち、大したことではないのだ。なんせ、多くの先輩方も成し遂げていることだし、命まではとられないから。

でも、人間、易きに流されるから、「経済的に余裕がない」とか「時間がない」とか「仕事が忙しい」とか「遠隔地で大変」とか「研究テーマがない」とか、色々言い訳やらエクスキューズをこじつけて、自分自身を納得させる。せっかく、灯りかけた学習意欲を、自分の思い込みで消してしまうのである。

例えば、放送大学大学院なら2年間でミニマム462,000円である。受験料30,000円を入れても50万円かからない。それで、修士論文の指導までしてもらえるなら、これほどリーズナブルな大学院はない。難易度が劇的に高いのなら別だが、以前書いたとおり、一部の専攻を除き、定員割れの状況であり、一定レベルを充足していれば入学可能な大学院である。

ただ、自分に言い訳をつくって、現状維持をつくろいたいだけ。しかし・・・自分は現状維持をしたくても、勤務先や、社会・経済環境は刻一刻と変化しているのだ。自己に投資をしておかないと、自分自身が「原価償却済み」で「老朽化」してしましまうリスクや、勤務先自体が消滅したときに再就職できないというリスクは、全くヘッジできていないこととなる。

学位や学歴は保険ではない。しかし、学んだことや、履歴書に他者より1行多く書けることが、役に立つこともあるにはあるのだ。
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履修が消えた!

2011年02月12日 19時01分02秒 | 武蔵野大学大学院
わかっていたことなのだが・・・

武蔵野大学大学院での学習及び手続において、PCは重要な位置付けとされている。学習システムであるWBT(WEB BASED TRAINING)により、学習していくのだが、そのシステムの「履修」関連のデータがすべて消去された。

「履修」のナビゲーションバー自体なくなっており、自分の提出したレポートや先生からのコメントも見ることができない。

先般、レポートを保存したのも、この事態に備えてであったが、新年度のためとはいえ、履修の履歴が真っ白に更新されるのは、なんだか、悲しいものがある。

やはり、1時間ぐらいかかってしまったが、紙ベースと、ワード文書にすべての内容を保存したのは、正解だったのかもしれない。
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多摩・武蔵野検定3級合格~♪

2011年02月12日 14時13分34秒 | 資格
ご当地検定であるこの試験。

本当は、あまり民間資格を取得するつもりはないのだが、以前、説明したとおり、実施団体のトップが修士論文の指導教官であり、そもそも、事務局が明星大学20号館6Fというつながりから、受験すべしと判断した。

まあ、居住地域も「多摩地域」だから、受験しておく理由もある。資格の数を増やすためだけに、意味もなく、民間資格を受験することはないだろう。

それにしても、この検定、受検してよかったと思わせるような仕掛けが満載である。

1.合格特典がいっぱい!
  美術館、博物館、アミューズメント施設、日帰り温泉施設、大学図書館等の割引や優待が受けれる

2.知のミュージアム タマケン マスターバンクへの登録が可能!
  合格者の知識・経験を活かすため、得意分野や希望の活動をデータバンクに登録することができる。

3.合格者限定 学習会開催
  合格者限定の歴史学習会の案内が入っていた。学習会とともに、有名な八角形墳である稲荷塚古墳へ行くそうだ。

資格のプロフェッショナルとしては、まだ、色々と改善すべき点が見受けられるものの、一生懸命頑張っているという意気込みは伝わってくる。

これからも、頑張っていってほしいいと思っている。

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驚愕の日本史・・・

2011年02月12日 11時12分42秒 | ちょっと立ち止まって・・・
仏教を学んでいる・・・そこには私の知らない日本史がオンパレードである!

その昔、私は日本史が得意科目であった。某予備校の模試では全国ベストテンに入ったこともある。しかし、次にあげる「試験に出ないはずの日本史(作問フラ夫)」には、ただ「驚愕」するのみである。

問1
比叡山で修行した僧侶をすべて選びなさい。
①慈円  ②法然  ③親鸞  ④道元  ⑤日蓮  ⑥栄西  ⑦源信

※知識ゼロからの親鸞入門 P.23より


問2
親鸞が書いた「正信偈」には以下の文章があります。
本師(   )明佛教
(   )に入る親鸞の師は何でしょう。
①聖徳太子  ②源空  ③法然  ④空海  ⑤最澄

※在家勤行集 P.28より 


もっと、たくさん作問してみようかと思ったが、素人ゆえに間違えてはいけないので、この程度にしておく。

問1の答えは、試験慣れした人なら正解するはずである。答えは①②③④⑤⑥⑦と全員である。平安・鎌倉仏教について、結局、有名な僧侶は、まず、比叡山で修行を積んだのである。ひょっとすると、天台宗がなければ、「浄土宗」「浄土真宗」「曹洞宗」「日蓮宗」「臨済宗」もなかったやもしれない。(そんなことはないか!)

問2は引っ掛け問題。答えは②源空である。これは、法然の正式名称が「法然房源空」というのを知っていれば、驚愕問題となる時点で「法然」の可能性はゼロなので、源空が導き出される。

また、「知識ゼロからの親鸞入門 PP.30-31」には、親鸞が聖徳太子を信仰していたことが書かれている。親鸞の言葉として「大慈救世聖徳皇 父のごとくにおわします 大悲救世観世音 母のごとくにおわします」「和国の教主聖徳皇 広大恩徳しがたし」を紹介している。

親鸞の書として教行信証があげられるが、正しくは「顕浄土真実教行証文類」であり、「序」と「教」「行」「信」「証」「真仏土」「方便化身土」の6巻からなる。そして、私が毎日聴いている「正信(念仏)偈」とは「行巻」の末尾に記載された詩文とのことである。「ひと目でわかる浄土真宗 PP.62-63」

また、真宗大谷派が所蔵する親鸞直筆の教行信証は国宝である。「知識ゼロからの親鸞入門 P.68」

私は、真宗大谷派という言葉をよく使うが、浄土真宗には主要な宗派が10あり、真宗十派という「浄土真宗本願寺派」「真宗大谷派」「真宗高田派」「真宗興正派」「真宗佛光寺派」「真宗木辺派」「真宗出雲路派」「真宗誠照寺派」「真宗三門徒派」「真宗山元派」の10派である。本願寺派以外は、すべて「浄土真宗」ではなく、「真宗」としている。「知識ゼロからの親鸞入門 PP.148-149」


本日の学習はこんなところで・・・
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再び悩む・・・

2011年02月12日 10時03分43秒 | 武蔵野大学大学院
決まりかけていた履修科目について、また悩み始めてしまった・・・

先ほど、平日6限目(18時20分~19時50分)の授業は受講できないと書いたのだが、1科目だけ平日7限目から開講される科目があった。本当に、本学の通信スクーリング科目の授業で1科目だけ。

その科目が金曜日20時~21時30分までの「中国仏教特講」である。金曜日、20時までに本学って厳しそうだが、一応、大学院で学習することは、勤務先における能力開発目標として報告しているので、週1回×30回、なんとかならないかな~と思っている。

実際、勤務先から本学まで、どれぐらい時間がかかるか確認し、上司とも相談してOKなら履修することも、選択肢の1つとして浮上する。

何故、こんなことを急に思いついたかと言うと、中国仏教特講のスタディガイドを見た瞬間、私が以前、何度かお目にかかった先生の名前が飛び込んできたからだ。

先生から著書をいただき手元においていた。取り出して眺めて見ると、「一九九二年秋 ○○○○」といただいた時と、先生のお名前が1ページ目にかかれていた。

ネットで調べてみたら、先生は2001年にご逝去されていた。いただいた本は、全く中国と関係なかったので知らなかったのだが、先生は中国仏教史の重鎮だったようだ。その功績により叙勲もされている。

先生の家は本だらけで、本のために、もう1軒家があったように記憶している。なんせ、18年も前のことだからご容赦願いたい。きっと、私が読書の話でもしたのであろう。サインを入れて、本を下さったのだと思う。

今でも、本をもらうとうれしくなる性格だから、当時は、きっと感激していたのだろうな・・・

このような形で先生のお名前と再会したものだから、なんだか運命を感じてしまった。履修できるなら、してみたい。



で・・・もう一つ問題が発生した。スタディガイドを熟読したところ、なんと、中国仏教特講は「スクーリング」と「レポート」の両方で履修できると明記されていた!あれ、「開講科目と学習方法」を確認した際は、「スクーリング」のみとなっていたはずなのにと思い、他の科目のスタディガイドも確認したところ、「浄土教特講」も「レポート」での履修が可となっている!

仏教・思想系科目が10科目もあるのに、通信制大学院にもかかわらず、レポートで履修できるのは「インド思想特講」のみっておかしいな~と思っていたが、ひょっとすると、「開設科目と学習方法」に書かれている内容が間違っているのかもしれない。

無論、スタディガイドが間違っている可能性もあるので、先ほど、本学にメールで問い合わせを実施した。結果がでるまで、履修科目の決定は保留とします・・・
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下雪!

2011年02月12日 08時02分26秒 | その他
富士山は見えません。

しかし、雪が降ったおかげで、遠くの山々も、白く雪景色となりました。
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墓参り

2011年02月12日 07時20分11秒 | ちょっと立ち止まって・・・
先に書いたとおり、最近、「墓参り」にほとんど行っていない。

いくら新幹線が高速化しても、小平と大谷祖廟までは「時間的」には縮まれど、「距離的」には未来永劫縮まることはない。あるいは、「時間的」に縮まった分、「経済的」には更に遠くなってしまったのかもしれない。

先般、次の進路で「京都産業大学大学院」を候補の1つとしてあげたのは、強制的に京都に足を向かせるメリットがあったからである。

無論、京都に帰るためだけに学校を選ぶといった愚かな選択ではない。この大学院は通信制で経済学研究科を持つ唯一の大学院である。また、定員10名で、各研究分野で原則1名の学生しか合格させない、マンツーマン教育である。初年度456,000円、2年目321,000円で2年間で777,000円である。加えて、授業料の20%を給付する独自の奨学金制度と「教育訓練給付制度」の対象講座でもあり、京都への交通費ぐらいは補填できそうなことがあげられる。

というか、最近、多くの金融機関が独自に大学で寄附講座をやっているのだが、それについてファイナンス論で学べそうであることが一番大きいな理由である。

実は、産業能率大学大学院でも野村證券による提供講座があった。金融機関が大学、あるいは、中学校で生徒に対して教育を行う意味は何か?研究するに値するテーマである。

それに「労働経済」や「金融論」「国際経済論」「国際金融論」「中国経済論」と言った、私の得意な経済学も少なからず存在する。

とはいえ、デメリットも存在する。「自宅」と「学校」は近接しているべしという私のポリシーに反していること。私の苦手とするその他の経済学も履修しなければならないこと。他の大学院と比較してかなりコスト面で安価であるが、それでも、交通費を含め、かなりの出費となること。レポートの数とボリュームが半端じゃないこと。等々があげられる。

まあ、まだ、武蔵野のM1なので時間はある。「留年の危機」と叫び続け、そのプレッシャーから解放されたのは、たったの2週間前。今後の進路は、また、ゆっくり考えてみよう。



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正信偈

2011年02月12日 06時27分07秒 | 武蔵野大学大学院
「正信偈」とは「正信念仏偈」を指す。

正月に初詣に行き、クリスマスを祝い、お寺の前では宗派を問わず手を合わせるような「多神教」である私。ただ、唯一、自分の宗派については疎い。先祖のお墓参り(大谷祖廟)に、かなりの期間行っていない。ご先祖様からすれば、かなり不義理な子孫である。

結局、今期履修できないのだが、武蔵野大学大学院で「浄土教特講」を履修すべく、事前学習を始めたことが、私を、我が家の宗教である真宗大谷派に振り向かせるきっかけとなった。

本当は「真宗学特論」やら「真宗概論」を履修したかった。というか、入学の動機を述べる際も、真宗について学びたいと語ったはずである。でも・・・「真宗学特論」は毎週木曜日の18時20分に本学で開催であり履修不可能。また、「真宗概論」は平成23年度休講である。また、先に述べた「浄土教特講」は毎週水曜日の18時20分なので履修できない。

他力本願の(浄土)真宗であるが、結局、救われなかったか・・・

とはいえ、浄土真宗系の本学に入学したのだから、やはり、真宗の門徒としての「お勤め」を心がけたい。本当なら、この「正信偈」を朝夕唱えるそうだ。いや、「日本人として心が豊かになる仏事のおつとめ浄土真宗」のP.61には、「蓮如上人の時代から「正信偈・念仏和讃六首引」が基本となっています。」と書かれている。

この「正信偈」、ネットや実家から送られてきた「カセット」を聴いたりしているのだが、「唱え手」により、結構、抑揚や読み方が微妙に変わる。

ただ、色々やり始めて思ったのが」「南無阿弥陀仏」は「なむあみだぶつ」ではないということだ。

知らないということは恐ろしい。とはいえ、経営学の「クライアント」と、心理学の「クライエント」の違いに近いのかもしれない。ただ、念仏を唱えるにあたって、「あむあみだぶつ」と発音するケースには遭遇していないことは事実なのだ。

書籍などに書かれるのは「なも(む)あみだぶつ」というのがあったが、実際には「なもあみだぶ」である。

あるいは、画像の「在家勤行集」に書かれているように「なーもあーみだーんぶー」が正しいのかもしれない。


しかし、そもそも「南無阿弥陀仏」とは、「阿弥陀仏に帰依します」あるいは「阿弥陀仏におすがりします」といった意味なので、読み方の正誤より、その気持ちの方が大切なのだ。真摯な気持ちで「なんまいだ、なんまいだ」と唱えるだけでよい。そうすれば、私のような悪人でも、最後に救われるのだろう。

南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・
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