3連休も中日。
やったことといえば、部屋の整理と読書ぐらいか。近所のスーパーに買い物にも行った・・・モヤシがなかったから。夕食を終え、パソコンの前に座っていたら、ふと、昔の一シーンを思い出した。
それは、産能大学の通教に在籍していたときのこと。何故か、国際医療福祉大学大学院に行っている人と出会い、「あなたも大学院に行けばいいよ!」と言われた。確か、カウンセリング演習で知り合った方の、友人あるいは親戚の方だったと思う。
あるいは、飲み会で名古屋商科大学大学院の方がいて、大学院の話をしていたのを思い出した。
色々あるのだが、当時は、大学院に行きたいとも思っていなかったし、いけるとも思っていなかった。大学院とは遠い存在で、特殊な人、あるいは時間的にも、経済的にも恵まれた人のみが行くもの・・・と勝手な想像をしていた。
通信制大学に入学したのも、資格取得とかが目的であって、大学院に行くためではなかった。
しかし産能大学では、大学院を目指すもの、あるいは、実際に大学院に行っている人が多数いた。先に述べた2人の方も産能大学の卒業生だった。そのような環境にいると、自然と、大学院というものに引かれていくこととなる。
大学院というものを意識した一番の出来事は、大学でのゼミナールだと思っている。私の所属したゼミは、産能大学の通信制でも人気のゼミだった。ゼミに入る際に、志願票みたいなものを先生に提出しなければならなかった。その内容次第では、履修不許可となることもあるとの噂だった。その用紙に「志望する大学院はありますか。あればあげてください」というような質問事項があった。
そのころだろうか・・・大学院を意識したのは。
昔のブログを見たところ、ゼミを申し込んだ2005年2月頃には大学院進学だけでなく、学位授与機構での学士取得も考えていたようだ。当時は、明星大学大学院と放送大学大学院を候補としてあげていた。
訳あって、産業能率大学大学院に進学したが、産能でも明星でも院に行く前には、かならずといっていいほど、先輩からの影響を受けていた。幸運であった。
信じられないかもしれないが、全くムリと思っていたことも、目標に設定した瞬間から、それを後ろから支援してくれるような出来事が次々と起こるから不思議である。先輩がいたり、先生がいたり・・・と。
2期生で入学した武蔵野大学でさえ、入学後、ゼミの先輩に1期生がいるとわかった。不思議なものである。
そしてて、実際、自分自身が大学院で学ぶようになって、遠い存在に感じていたものが、それほど遠いものではないことがわかった。遠いものとして、自分が勝手に想像していただけのことなのである。
それが証拠に、このブログに来てくださる方々も、大学院修了者、あるいは在籍者が何人もいらっしゃる。きっと、その方々も言うはずだ。大学院進学は、そんなに手の届かないものではないことだと。
勇気を出して第一歩を踏み出した人にはわかるはずだ。困難と思えることも、それほど困難でないことが。自分のつくり出した幻影に躊躇する人には、未来永劫わからなのだが、背水の陣で物事に臨めば、あながち、大したことではないのだ。なんせ、多くの先輩方も成し遂げていることだし、命まではとられないから。
でも、人間、易きに流されるから、「経済的に余裕がない」とか「時間がない」とか「仕事が忙しい」とか「遠隔地で大変」とか「研究テーマがない」とか、色々言い訳やらエクスキューズをこじつけて、自分自身を納得させる。せっかく、灯りかけた学習意欲を、自分の思い込みで消してしまうのである。
例えば、放送大学大学院なら2年間でミニマム462,000円である。受験料30,000円を入れても50万円かからない。それで、修士論文の指導までしてもらえるなら、これほどリーズナブルな大学院はない。難易度が劇的に高いのなら別だが、以前書いたとおり、一部の専攻を除き、定員割れの状況であり、一定レベルを充足していれば入学可能な大学院である。
ただ、自分に言い訳をつくって、現状維持をつくろいたいだけ。しかし・・・自分は現状維持をしたくても、勤務先や、社会・経済環境は刻一刻と変化しているのだ。自己に投資をしておかないと、自分自身が「原価償却済み」で「老朽化」してしましまうリスクや、勤務先自体が消滅したときに再就職できないというリスクは、全くヘッジできていないこととなる。
学位や学歴は保険ではない。しかし、学んだことや、履歴書に他者より1行多く書けることが、役に立つこともあるにはあるのだ。
やったことといえば、部屋の整理と読書ぐらいか。近所のスーパーに買い物にも行った・・・モヤシがなかったから。夕食を終え、パソコンの前に座っていたら、ふと、昔の一シーンを思い出した。
それは、産能大学の通教に在籍していたときのこと。何故か、国際医療福祉大学大学院に行っている人と出会い、「あなたも大学院に行けばいいよ!」と言われた。確か、カウンセリング演習で知り合った方の、友人あるいは親戚の方だったと思う。
あるいは、飲み会で名古屋商科大学大学院の方がいて、大学院の話をしていたのを思い出した。
色々あるのだが、当時は、大学院に行きたいとも思っていなかったし、いけるとも思っていなかった。大学院とは遠い存在で、特殊な人、あるいは時間的にも、経済的にも恵まれた人のみが行くもの・・・と勝手な想像をしていた。
通信制大学に入学したのも、資格取得とかが目的であって、大学院に行くためではなかった。
しかし産能大学では、大学院を目指すもの、あるいは、実際に大学院に行っている人が多数いた。先に述べた2人の方も産能大学の卒業生だった。そのような環境にいると、自然と、大学院というものに引かれていくこととなる。
大学院というものを意識した一番の出来事は、大学でのゼミナールだと思っている。私の所属したゼミは、産能大学の通信制でも人気のゼミだった。ゼミに入る際に、志願票みたいなものを先生に提出しなければならなかった。その内容次第では、履修不許可となることもあるとの噂だった。その用紙に「志望する大学院はありますか。あればあげてください」というような質問事項があった。
そのころだろうか・・・大学院を意識したのは。
昔のブログを見たところ、ゼミを申し込んだ2005年2月頃には大学院進学だけでなく、学位授与機構での学士取得も考えていたようだ。当時は、明星大学大学院と放送大学大学院を候補としてあげていた。
訳あって、産業能率大学大学院に進学したが、産能でも明星でも院に行く前には、かならずといっていいほど、先輩からの影響を受けていた。幸運であった。
信じられないかもしれないが、全くムリと思っていたことも、目標に設定した瞬間から、それを後ろから支援してくれるような出来事が次々と起こるから不思議である。先輩がいたり、先生がいたり・・・と。
2期生で入学した武蔵野大学でさえ、入学後、ゼミの先輩に1期生がいるとわかった。不思議なものである。
そしてて、実際、自分自身が大学院で学ぶようになって、遠い存在に感じていたものが、それほど遠いものではないことがわかった。遠いものとして、自分が勝手に想像していただけのことなのである。
それが証拠に、このブログに来てくださる方々も、大学院修了者、あるいは在籍者が何人もいらっしゃる。きっと、その方々も言うはずだ。大学院進学は、そんなに手の届かないものではないことだと。
勇気を出して第一歩を踏み出した人にはわかるはずだ。困難と思えることも、それほど困難でないことが。自分のつくり出した幻影に躊躇する人には、未来永劫わからなのだが、背水の陣で物事に臨めば、あながち、大したことではないのだ。なんせ、多くの先輩方も成し遂げていることだし、命まではとられないから。
でも、人間、易きに流されるから、「経済的に余裕がない」とか「時間がない」とか「仕事が忙しい」とか「遠隔地で大変」とか「研究テーマがない」とか、色々言い訳やらエクスキューズをこじつけて、自分自身を納得させる。せっかく、灯りかけた学習意欲を、自分の思い込みで消してしまうのである。
例えば、放送大学大学院なら2年間でミニマム462,000円である。受験料30,000円を入れても50万円かからない。それで、修士論文の指導までしてもらえるなら、これほどリーズナブルな大学院はない。難易度が劇的に高いのなら別だが、以前書いたとおり、一部の専攻を除き、定員割れの状況であり、一定レベルを充足していれば入学可能な大学院である。
ただ、自分に言い訳をつくって、現状維持をつくろいたいだけ。しかし・・・自分は現状維持をしたくても、勤務先や、社会・経済環境は刻一刻と変化しているのだ。自己に投資をしておかないと、自分自身が「原価償却済み」で「老朽化」してしましまうリスクや、勤務先自体が消滅したときに再就職できないというリスクは、全くヘッジできていないこととなる。
学位や学歴は保険ではない。しかし、学んだことや、履歴書に他者より1行多く書けることが、役に立つこともあるにはあるのだ。