三連休なんて夢のまた夢。
気がついたら明日から「第二次仕事始め」である。生産的な学習をやっていないように思えるが、連休初日は発表会の資料作成、連休二日目は発表会と、大きな山場をクリアしたことには違いない。
3日分、人生を削って、得たものはどうだっただろう?その時間に値する成果はあっただろうか?ふと、そんなことを考えてしまう。考えても過去の時間は戻ってこないし、考えた分だけ人生は緩やかながら短くなっていくのであるが、私は弱い人間なので、前だけを見て生きていくだけの勇気はない。過去を確かめながら、未来を描くことしかできないのだから。
そういえば、昨日、飲み会の中で「Iゼミには変な人間が集まってくる」といった発言を副査の先生方がおっしゃっていた。私も含め、ゼミ生は何かしら尋常じゃないのが、我がゼミの売りなのかもしれない。
昨日の発表会で、10分の発表時間で2分超過した理由は、当初、発表するつもりがなかった「何故、本学に入学したか」という説明を加えたからである。わずか8枚のpptで、しかも10分の発表時間ということで、「海外の事例」「問題点」「考察」を重点的に発表する予定だった。しかし、私より先に発表された、倍以上時間を超過した方々を含め、全員時間オーバーにもかかわらず、その「何故」を発表していたので、つられて、急遽、資料なしで発表を行ったのである。
30秒ぐらいで発表できるはずが、「機構の学位を10件取得したことも研究対象とした理由のひとつであり・・・」と言ったところで、副査からストップが入った。「学位を10持っているの?」「いえ、機構の学位で10件です。他にも5件の学位があります」と返答したところ、オブザーバーを含めたちょっとした雑談モードとなってしまい、2分の超過に繋がってしまったのである。
確かに、通常、博士課程を修了された先生方でも学位は「学士」「修士」「博士」の3つが相場である。一般的には、大学全入時代といわれる現状においても、学位はゼロ、あるいは「短期大学士」や「学士」を1つというのが普通である。なんせ、学位がなくても生活できますから。
そんな状況において15の学位なんて言うと、「珍獣扱い」となり、「変な人間」の1人と認定されてしまう。とはいえ、「学士」はいくつあっても「学士」であり、それ以上でもなければ、それ以下でもない。12の「学士」をまとめても「博士」にもならなければ、「修士」にもならない。
とはいえ、社会人になって初めて取得した、産能大学の「学士(経営情報学)」が私の学位取得のスタートとなっている。逆に、このステージをクリアしなければ、いつまでも、最初の大学の「経済学士」のみの、世間的には普通の人生を送っていただろう。学位にエネルギーをかけなかった分、もっとえらくなっていたかもしれないし、逆に会社を辞めて路頭に迷っているかもしれない。選択しなかった人生のシナリオを妄想しても仕方ないのだから。
もう聞き飽きたという人もいるかもしれないが、産能大学でのライバル達がいなければ、あるいは恩師・恩人がいなければ、大学院に行くこともなかったのである。特に、ライバル達の、学歴に対する執念は凄かった。大学院に進学するのが当たり前であり、そのために、通信制大学に進学したという高いモチベーションを持った輩がウジャウジャいたのである。実際、13人のゼミで4人大学院に進学したし、その他のゼミをあわせると、私の同期には2桁を越える大学院進学者がいたのである。
彼ら、彼女らこそが、私にとってみれば「珍獣」であり、「変な人間」なのである。そんな中でもまれたからこそ、大学院に行く気持ちになれたのだと思っている。
実際、先輩方にも、産能通教から大学院に進学された方もおり、飲み会等に参加されていた。そんな先輩を、「凄い方だな~」と特別な存在に見ていたのだが、自分が3つも4つも大学院を修了しつつあることを考えると、何ら特別なことではないと確信してしまうのであった。
要は、最初の一歩を踏み出せるか、踏み出せないかの違い。
院に進学した人は、ただ単に、あるいは不用意に、思いもよらず、あるいは素直に・・・その第一歩を踏み出してしまっただけの存在なのである。通信制大学に行っていると、自分の思いだけではなく、見えざる手の配慮により、進学せざるを得ない立場に追い込まれてしまうこともあるのである。その流れに乗ってしまうお調子者、正直者、小心者・・・等々が、毎年大勢進学してしまうのである。
今は亡き恩師に、電話で産業能率大学大学院に合格を報告した時、本当に喜んでくださった。そもそも、その恩師のゼミに入らなければ、私は絶対に大学院には進学しておらず、ましてや、通学夜間の産業能率大学なんて選択肢にもあがらなかったはずである。本当に、見えざる手の配慮により、その進学が決まっていたかのように、あれよあれよとキーパーソンに出会って、志望校を変更するのだから、運命とはわからないものである。
三連休の最終日に、ちょっと思い出したことを書いてしまった。年寄りになった証拠なのかもしれないな・・・
気がついたら明日から「第二次仕事始め」である。生産的な学習をやっていないように思えるが、連休初日は発表会の資料作成、連休二日目は発表会と、大きな山場をクリアしたことには違いない。
3日分、人生を削って、得たものはどうだっただろう?その時間に値する成果はあっただろうか?ふと、そんなことを考えてしまう。考えても過去の時間は戻ってこないし、考えた分だけ人生は緩やかながら短くなっていくのであるが、私は弱い人間なので、前だけを見て生きていくだけの勇気はない。過去を確かめながら、未来を描くことしかできないのだから。
そういえば、昨日、飲み会の中で「Iゼミには変な人間が集まってくる」といった発言を副査の先生方がおっしゃっていた。私も含め、ゼミ生は何かしら尋常じゃないのが、我がゼミの売りなのかもしれない。
昨日の発表会で、10分の発表時間で2分超過した理由は、当初、発表するつもりがなかった「何故、本学に入学したか」という説明を加えたからである。わずか8枚のpptで、しかも10分の発表時間ということで、「海外の事例」「問題点」「考察」を重点的に発表する予定だった。しかし、私より先に発表された、倍以上時間を超過した方々を含め、全員時間オーバーにもかかわらず、その「何故」を発表していたので、つられて、急遽、資料なしで発表を行ったのである。
30秒ぐらいで発表できるはずが、「機構の学位を10件取得したことも研究対象とした理由のひとつであり・・・」と言ったところで、副査からストップが入った。「学位を10持っているの?」「いえ、機構の学位で10件です。他にも5件の学位があります」と返答したところ、オブザーバーを含めたちょっとした雑談モードとなってしまい、2分の超過に繋がってしまったのである。
確かに、通常、博士課程を修了された先生方でも学位は「学士」「修士」「博士」の3つが相場である。一般的には、大学全入時代といわれる現状においても、学位はゼロ、あるいは「短期大学士」や「学士」を1つというのが普通である。なんせ、学位がなくても生活できますから。
そんな状況において15の学位なんて言うと、「珍獣扱い」となり、「変な人間」の1人と認定されてしまう。とはいえ、「学士」はいくつあっても「学士」であり、それ以上でもなければ、それ以下でもない。12の「学士」をまとめても「博士」にもならなければ、「修士」にもならない。
とはいえ、社会人になって初めて取得した、産能大学の「学士(経営情報学)」が私の学位取得のスタートとなっている。逆に、このステージをクリアしなければ、いつまでも、最初の大学の「経済学士」のみの、世間的には普通の人生を送っていただろう。学位にエネルギーをかけなかった分、もっとえらくなっていたかもしれないし、逆に会社を辞めて路頭に迷っているかもしれない。選択しなかった人生のシナリオを妄想しても仕方ないのだから。
もう聞き飽きたという人もいるかもしれないが、産能大学でのライバル達がいなければ、あるいは恩師・恩人がいなければ、大学院に行くこともなかったのである。特に、ライバル達の、学歴に対する執念は凄かった。大学院に進学するのが当たり前であり、そのために、通信制大学に進学したという高いモチベーションを持った輩がウジャウジャいたのである。実際、13人のゼミで4人大学院に進学したし、その他のゼミをあわせると、私の同期には2桁を越える大学院進学者がいたのである。
彼ら、彼女らこそが、私にとってみれば「珍獣」であり、「変な人間」なのである。そんな中でもまれたからこそ、大学院に行く気持ちになれたのだと思っている。
実際、先輩方にも、産能通教から大学院に進学された方もおり、飲み会等に参加されていた。そんな先輩を、「凄い方だな~」と特別な存在に見ていたのだが、自分が3つも4つも大学院を修了しつつあることを考えると、何ら特別なことではないと確信してしまうのであった。
要は、最初の一歩を踏み出せるか、踏み出せないかの違い。
院に進学した人は、ただ単に、あるいは不用意に、思いもよらず、あるいは素直に・・・その第一歩を踏み出してしまっただけの存在なのである。通信制大学に行っていると、自分の思いだけではなく、見えざる手の配慮により、進学せざるを得ない立場に追い込まれてしまうこともあるのである。その流れに乗ってしまうお調子者、正直者、小心者・・・等々が、毎年大勢進学してしまうのである。
今は亡き恩師に、電話で産業能率大学大学院に合格を報告した時、本当に喜んでくださった。そもそも、その恩師のゼミに入らなければ、私は絶対に大学院には進学しておらず、ましてや、通学夜間の産業能率大学なんて選択肢にもあがらなかったはずである。本当に、見えざる手の配慮により、その進学が決まっていたかのように、あれよあれよとキーパーソンに出会って、志望校を変更するのだから、運命とはわからないものである。
三連休の最終日に、ちょっと思い出したことを書いてしまった。年寄りになった証拠なのかもしれないな・・・