今朝の日経新聞朝刊27面の記事。
大学院を受験するビジネスパーソンが増えている。しかし、「働きながら学ぶにはそれなりの準備が必要だ」との記事があり、経験者へのインタビューが書かれていた。
「一般に社会人向け大学院の入試では、論文形式の研究計画書が課される」のだが、結局、これが、もっとも大事なものといえる。いくら本番の試験でピカイチの答案を書いたとしても、研究計画書が杜撰であれば、まず、不合格は確実。
インタビューされた社会人大学院生は、やはり、優秀な方であり、事前に先輩からアドバイスを受け準備に怠りがない。
記事にも「大学院に入るため、社会人だと受験勉強にどの程度の時間を費やせばいいのだろうか。一般には半年ほどかける人が多く、大学時代の専攻と異なる新たな分野に挑戦する場合、約1年費やす人もいる」となっている。
私の場合、一番最初の産業能率大学大学院経営情報学研究科(MBAコース)に入学するまでに、通信制の産能大学経営情報学部で2年間学び続けた。そう、準備期間は1年どころか、2年もかかっている。
とはいえ、その準備があったからこそ、大学院の授業に対し、ソフトランディングすることができ、2年で無事修了できたのだと思っている。
今までの大学院生活で、少なからぬ同期や先輩が、留年し、あるいは退学していった。どう見ても、私より、ずっと力のある方々もたくさんおられた。そもそも、支店勤務の銀行員が仕事に関連して学習できるのは経営系や会計系、あるいは法科大学院ぐらいが関の山である。されど・・・優秀な銀行員は仕事が多忙で、大学院なんていく余裕がないのであるが(企業派遣は例外)。
それが、教育学や人間学、あるいは人間発達科学を専攻するのだから、お門違いも甚だしい。にもかかわらず、挫折せずやってこれたのは・・・あれ、何でだろう?理由が思いつかない。しいて言えば、異端児だからだろうか?
話を戻すのだが、やはり、「事前準備」と、鉄壁ともいえる「研究計画書」がないと、競争率の高い大学院だと、ちょっと合格は覚束ない。よほど、「学生さんウェルカム」の大学院はさておき、面接試験は「落とすための試験」ですから。優秀な人材がたくさん受験してくれたとしても、大幅に入学定員を超過して合格させるわけにはいかない。あるいは、支離滅裂の「研究計画書」を書いてくる学生の指導教官になりたいと思う先生はいない。あるいは、入学に熱意のない受験生を合格させると、いつ何時、退学するかわからない。
新聞には「明確な計画書を準備」とある。まあ、先生方もプロなので、付け焼刃の計画書は一目で見破ってしまうだろう。といいつつも、修士2年で完成しないような、壮大なテーマも、まずもって却下されてしまうのだが。
とかなんとかいっているが・・・長年、院生をやっていると、どんどん、コザカシク、ズルガシコクなってしまう。本当にやるべきテーマより、先生方のウケのいいテーマや、2年でまとまりそうなテーマで研究計画書を書いてしまう・・・
人生を賭して、本当に研究したいテーマって、いったい何なのかと、自分でもわからなくなってしまうのである。