生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

残念会!

2014年03月01日 22時16分39秒 | その他
次男の都立高校不合格から一夜明けて、無念の思いを吹っ切るために「残念会」を開催することとしました。

で、近所の焼肉屋での光景。子どもはドリンクバー、家内はビール、運転手の私は「水」。とりあえず、乾杯。発声はワタクシ。「残念でしたが、これから大学入試に向けてがんばりましょう!」ということで。高校生活は三年間もあります。ドンドン実力を蓄え、才能を開花する学生もいれば、その恵まれた才能を枯らしてしまう学生もいます。次男には頑張って欲しいと願いつつ、とはいえ、ガリ勉になることなく、部活にも勤しんで欲しいと思っています。

部活もせず、友とも遊ぶことなく、灰色の高校生活を送ることに価値があるとは思いません。第二志望の私立高校とはいえ、せっかくの場を得たのだから、その与えられた環境を満喫すべきだと思っています。私も大学受験に失敗して第二志望どころか第三志望の大学に補欠で入学することとなりました。でも、思った以上に充実した生活を送ることができました。

学区トップの進学校にいたときは、学年順位や模試の結果に汲々とした生活を送っていました。その結果に一喜一憂し、「学習」ではなく、「勉強」に支配されていたといえます。共通一次試験で失敗するまで、実態すら把握していなかった大学にランクを落とさざるを得なかった・・・偏差値的に劣る大学を受験するのは不本意だったのですが、足きりになりそうな第一志望を受験するより、一応ボーダーだった大学を受験することとなったのです。当時は、第一志望の大学、あるいは、せめて第二志望の大学までしか見えていなかった私を救ってくれたのは、会ったこともない高校の生徒会長でした。

その人は2つ上の先輩。2年次に生徒会書記に当選した私は、その人の伝説をよく聞かされました。学年トップの秀才で生徒会長。文化祭でも大活躍した先輩。しかし、その先輩も入試に失敗して、まさかの結果となってしまったのです。それの結果とは、私が第三志望として受験する大学の法学部に入学したという事実。その先輩の先例がなければ、一顧だにしなかっただろうその大学に入学することとなったのです。

ちなみに・・・その秀才の先輩は在学中に司法試験に合格し、今では母校の教授としてご活躍されています。

とはいえ、高校在学中に偏差値の呪縛から開放されるのは至難の業です。偏差値といったもので、学生の価値が計られると思い込んでしまうためです。本当は大学に合格する実績、あるいは、社会人としてやっていく実力といったものが重要なのですが、実際、「偏差値××の高校に入学した」とか、「模試の結果が偏差値△△で、○○大学の合格可能性は80%だ」といった話が一人歩きし、友人との比較も、自分の偏差値と友人の偏差値の上下関係が中心となってしまいます。「偏差値がこの程度だから、○○大学を受験するか・・・」といった、将来やりたい仕事より、自分の偏差値に合った大学を選択してしまう傾向が強いです。

やはり、勉強一筋で生きてきた人間は、どうしても薄っぺらくなってしまいます。かつての私がそうであったように・・・。いろいろなことに、積極的に首を突っ込むことにより、自分の幅が広がり、結果、人間的な魅力が増すこととなります。偏差値を1上げることのために、部活をやめたり、友人との付き合いを控えるくらいなら、偏差値を1下げてでも、魅力的な人間になって欲しい。

といいつつも・・・正直な親の本音は、どちらも頑張って欲しいのですが(笑)。まあ、煩悩まみれの欲張りな親だこと!そうはいっても、子どもの人生は子どものものであり、無理やり何かをさせることはできないと思っています。ゆえに、あとは、子どもの決意しだいだと見守っています。
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あっ・・・

2014年03月01日 19時28分21秒 | 産業能率大学
3月1日なので、科目履修生で登録している産業能率大学のSC申し込みのサイトにログインしてみた。

そうすると、「産業カウンセリング」のSCの先生が、なんと、JAICO2月号のpp.4-5に掲載されている先生ではないか!そして、その先生は9年ほど前、カウンセリング演習Ⅱでご指導を受けた先生で、当時、産業能率大学大学院に進学した際、あるいは明星大学大学院に進学した際に、ご報告に行った先生でもある。

この科目は、その昔、今は亡きゼミの恩師が担当していた科目でもある。加えて、この科目こそ、私が社会人大学生を始めて、初めて「可」の評価をいただいた科目でもある。しかも、後のゼミの恩師となるM先生に・・・

なんとなく、運命のいたずらを感じるのだが、4月25日の平日を休まなければならないので、今回は見送ることといたしたい。
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ビットコイン取引所 「マウントゴックス」 民事再生法を申請

2014年03月01日 09時22分56秒 | その他
今日の日経新聞朝刊1面の記事。

ビットコインについては、連日、報道が繰り返されております。それだけ、衝撃的な出来事だといえるのでしょう。何百億円に相当する仮想通貨が一瞬にして消え去る事件。まさに、ネット社会の間隙に生じた、空白を狙ったものだと思っています。

銀行に勤め、経済学の学位を機構でいただいたときの論文(レポート)が、『外為決済システムの現状と今後の課題』であったため、ビットコインの国際決済機能は、あってはならない「鬼っ子」ともいえる事象と危惧しておりました。

皆さんが低コストで、スピーディかつ、利便性高く、国内の振込み等決済を行える背景には、日本銀行という「有難い存在」のおかげです。日本の金融機関が、日銀に勘定を保有しており、その日銀の円決済システムにより、いわば、すべての銀行が日銀を仲介することで、これだけ、安全に、即時的にお金のやり取りを行うことができるのです。

その機能を担保するため、いろいろな制約やルールが各金融機関に課せられます。そして、当然、金融機関として、経済の血液ともいえる資金決済に関与するところには、金融庁、財務省等々、ルールの見張り番ともいえる省庁のチェックを受けることとなります。それが、健全性を担保しているのです。破綻寸前の会社や、財務状況がブラックボックスの企業が入り込む余地はないのです。

しかし、ビットコインはその取引所が、金融機関、決済機関、監督省庁の役割すべてを担っていることとなります。これで、利益相反が起こらないわけがない。お金を預けるにもかかわらず、預金保険機構等の保証機関がない。決済機関にもかかわらず、十分なシステムやルールが構築されていない。省庁どころか、客観的な第三者のチェックも受けない。こんな、野放図なところが、未来永劫維持されるわけがないと感じておりました。

なんせ、金融機関の窓口では、マネーローンダリングを防止するために、非常にコストのかかる確認義務が課せられているのです。海外送金等の手数料が高いのはその負担も入っているのです。当然、手数料の安いところは、それだけのマンパワーをかけていないこととなり、チェックが不十分となり、マネーローンダリングの温床となるわけです。ところが、ビットコインはチェックどころか、何もしていない。電子データとして、いくらでも国内外の資金移動を、事実上可能としているわけですから、規模が大きくなれば、絶対的に、規制がかかるシステムだったわけです。

銀行がお金を送金する際、世界的規模な日銀のような機関は存在しません。海外の銀行と、1社、1社、コルレス契約(取引をスタートする契約)を結んで、主要な取引金融機関に、お互い金融機関口座を開設し、そこにお金をプールしておき、外部から改ざん等できないメッセージ(SWIFT:カスタマートランスファーはMT103等)にて、相手先の金融機関に資金の受け渡しを指示し、そのお金を、繋いでいくことで、海外のお客さまの手元にお金が届くという、ややこしい仕組みの中で動いています。正に、取引できる海外金融機関に、ラグビーのボールのようにお金を繋いで、繋いで、そして、最終的に受取人の銀行にお金をパスし、着金するわけです。時間も、コストも、労力もかかります。その都度、現地の銀行で、アンチマネーローンダリングシステムによる「氏名」「住所」等のフィルタリングがかかり、場合によっては、資金が凍結されることもあるのです。

それを、いとも簡単に、ビットコインは決済させることに成功したといえます。しかし、それは電子データの中だけの世界。それに、マネーローンダリングのフィルタリングもありはしないわけです。本当に、このビジネスモデルがゴーイングコンサーンであったのかどうか・・・

いつもと違う書き込みとなってしまいましたが、どちらかというと、本業に近い内容だったので、難しい専門用語も入ってしまいました。とはいえ、悪いのはシステムのセキュリティと健全性を維持できなかった破綻企業の方であり、少しでも多くの預け金が返金されることを祈ってやみません。
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CiNiiの更新・・・

2014年03月01日 09時09分25秒 | 放送大学
年度末になると、突如として送られてくるメール。

>CiNiiをご利用いただきありがとうございます。

>フラ夫 様のサイトライセンス個人IDによるCiNii利用期限は、2014/03/31までです。
>来年度も引き続きCiNiiをご利用される場合には、4月1日以降に、あらためてCiNii
><http://ci.nii.ac.jp/> の画面右上の 「ログイン」 から、ご利用のIDとパスワードにて
>ログインし、利用継続のお手続きをお願いいたします。

>※継続お手続きは必ず所属機関のネットワーク内から行ってください。

>サイトライセンス個人IDは、 CiNiiの機関定額制契約機関に所属されている方のみ取得可能です。
>機関が当該年度に機関定額制を契約されていること、およびユーザ様が当該年度に契約機関に
>所属されていることを確認するため、年度ごとに継続のお手続きをお願いいたします。
>お手数をおかけして申し訳ございませんがご了承ください。
>(参考)サイトライセンス個人IDについて
>http://ci.nii.ac.jp/info/ja/service_siteprsn.html

>サイトライセンス個人IDを取得できない場合でも、個人IDの申請は可能です。
>その際は年間登録料金(年間 2,160円)が必要になりますので、あらかじめご留意ください。

研究者として、CiNiiの登録は必須いえるでしょう。でも、そんなことを教えてくれる人は、明星大学大学院で修士論文を書き始めるまで誰もいませんでした。そして、教えてくれた方は、拙ブログを読んでいただいていた先輩だったのです(笑)。当時は、個人の会員で登録していました。自分で登録して、登録料を支払っていたのです。

で、放送大学の学生なら、学習センターのネットワークから登録すると、無料でCiNiiに登録することができます。ただし、機関は1年間で更新が必要。それを知ったのは、リンク先のまこまこさんの秀逸な放送大学関連のブログの記事からでした。

昨日、選科履修生の登録をしたので、正式に入学が決定したら、学生証をいただきにいく方々、CiNiiの更新もしておこうと思います。

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煩悩・・・

2014年03月01日 08時10分02秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今年度の我が家における試験はすべて終了しました。

来年度は長男の大学受験もあり、ドンドン環境は厳しくなっていきます。私立でなければ、小学校・中学校は無試験で入学できます。それが、当然のことながら、高校になると高校入試があり、大学になると大学入試があるわけです。そして、一般的に高校より大学の方が競争率が高くなるわけでして・・・

そして、先にも書きましたが、競争率が1.0倍を超えている以上、大学が多めに合格させない限り、誰かが不合格になります。その不合格の苦しみから逃れたいというのがひとつの煩悩といえます。

努力すれば誰でも合格するということが保証されているなら、努力の度合いが勝負の分かれ目といえるのですが、そうなっていないところが不条理ともいえるところ。出来るはずなのに、魅入られたように解答を間違えてしまう。得意分野の試験が歴史的に難易度が上がって得点源にならなかった。緊張してしまいほとんど白地で解答用紙を提出してしまった・・・これは、実際にあった話で、私が大学受験をしたときのことです(笑)。

それは本当に不可思議な力で、抗うことが絶対的に不可避なのです。そういう「見えざる力」が存在する以上、絶対合格はありえない。にもかかわらず、「絶対に合格しなければならない」というような、義務感にさえ似た思い、それが裏切られることにより、絶望の迷宮に突き落とされるわけです。

やるべきことをやりさえすれば、後は他力本願。どのような結果であり、その結果は、ありがたいものとして受け入れるしかないわけです。それを拒絶するから、煩悩に苦しむわけで・・・

無論、辛いことなのですが、誰かが不合格になる可能性があるわけで、その可能性の範疇に自分が除外されていると思っているから、不幸な結果があった場合、受け入れることができず、苦悩の淵に沈み、前向きなアクションを取ることができなくなってしまう。その苦悩の日々は、元は自分の不合理な思いから生じたものであるゆえに、人生のロスタイムとなってしまうわけです。

やるべきことをやり、その結果をすべて受け入れる。もし、不条理な結果だとしても、諸行無常を知ることで、思い悩むことなく、次の一手に進みだす。そういう諦観こそが、前向きに生きていく秘訣だと、「不合格王」の私は人生を賭けて悟ったわけです。
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大幅便乗値上げ?

2014年03月01日 02時30分36秒 | 大学評価・学位授与機構
驚いて眠気が吹っ飛んだ!

平成26年度より、機構の学位審査手数料が大幅にアップする!

>■学位審査手数料の改定について
> 平成26年度より、下記の通り、学位授与申請に係る学位審査手数料を改定します。

>1.改定額
>     《現行》        《改定後の額》
>学士  25,000円  →  32,000円

修士・博士も値上げなのだが、ここは学士に限定することとして・・・そのアップ率1.28倍!消費税率が5%⇒8%になることで大騒ぎしているのが恥ずかしくなるくらいの上昇率である。大雪で値上げしている野菜じゃないんだから(笑)

その理由が秀逸である。

>(独)大学評価・学位授与機構に対する次期中期目標期間(平成26年度からの5年間)に
>係る事務・事業の見直しの中で、受益者負担の観点から、学位授与事業全体について、
>国費の負担割合を下げることが求められていること。(学位授与事業に係る国費負担率は
>現在7割程度であるが、この割合をおおよそ5割程度まで引き下げる必要がある。)

考え方が違う!国費負担の割合を減らすのなら、試験制度を簡素化して、事務コストを軽減すべきだというのが私の考えである。「申請された単位を識別する作業」「レポートを審査する作業」「各人ごとの独自試験を作成するコスト」「試験会場設営の費用」「小論文試験の郵便物発送コスト」「試験採点のコスト」・・・そもそも、欧米において、単位を取得するだけで学位を発行する制度があるにもかかわらず、何故、日本だけ、こんなに無駄な労力を掛けて試験を受けさせなければいけないのか?

そう、各大学で取得した単位を信じていないのである。少なくとも、日本ではディグリーミルを行うような名前だけの大学はないはずなのだが、そのような法に準拠した大学が発行する単位ですら、正式なものと認めていないため、試験を行うわけである。

加えて、概ね9割強以上合格するのに、わずか、1割にも満たない学生を落とすために、膨大なコストを投下しているのである。そして、その落とされた学生は時には博士、時には修士であり、審査した先生の気分や独断あるいは偏見にて落とされるわけである。さらにさらに、その落とされた学生が、次の試験で合格することもあり・・・単位不足といった事由で無い限り、当然、学生は追加の学修を受けていないわけで、その学力が同値の学生が、落ちたり、合格したりと、逆に、機構の判定基準の脆弱さを露呈する結果となっている。

もっと、ローコストでシンプルにいこうよ・・・と思うのは私だけなんだろうか?
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受験考・・・

2014年03月01日 01時25分40秒 | ちょっと立ち止まって・・・
わずか1週間のうちに、我が家では「受験合格」と「受験不合格」という事象が発生しました。

本来、落ちてもいい「親父」の方が合格し、受かって欲しかった「子ども」の方が不合格・・・驚きの逆転現象といえるのかもしれません。

そもそも、「受験」というものは「選抜」であり、「受験」がある以上、そこには一定数の「不合格」がありえるわけです。でも、現在の受験はありがたいもので・・・そもそも、私の勝手研究の範疇においては、受験の歴史は、人類がまだ未開の時代に経験した通過儀礼にあるとされます(本当かよ!)。

通過儀礼と聞くと、なんだか、美しく聞こえますが、その昔は「バンジージャンプ」だったり、「凶暴な野生動物との戦いにおける勝利」だったり、「刺青」や「抜歯」といった体を傷つけるものであったり・・・何人もの若者が恐怖におののき、あるいは「死に至る」こともあったわけです。

「恐怖心に打ち勝つことのできなかった者」も不合格ですし、「命を落としてしまったもの」も不合格だったわけです。とりあえず、現在の受験生は不合格でも命まではとられることはありません。無論、歯を抜かれることも、刺青を入れられることも、切り刻まれることもありません。

さて、先にも述べたとおり、受験は選抜であり、合格予定数以上の受験生が集まると、かならず不合格者が生まれることとなります。そう、不合格者が出る以上、不合格になることが当たり前なのです。私のような大学院合格を5回連続続ける方が異端。それが証拠に、機構の学士の学位については、11回受験し1度不合格となっています。10回÷11回=90.9%となり、ちょうど、一般の合格率と同じくらいの着地となります。

そして、必ず、不合格者が発生するにもかかわらず、常に、合格者サイドに居続けることができると思い込むことで、不合格の際、苦しみが発生するわけです。この「常勝思考」こそが、非合理なのですが、それを理解しない。あるいは受け入れることができない。その認知のゆがみがストレスになり、心を傷つけることとなるわけです。

きっと、私の資格試験における不合格の歴史を知れば、ブログで「合格しました~♪」と綴っているのも、たまたま、運が良かっただけに過ぎないとご理解いただけると思います。

そう、普通の方より合格数が多い私は、当然のことながら、日本でもトップクラスの不合格経験者というだけのことなのです。すべては、確率論の世界の通りなのです。

資格試験だけで44回も不合格を食らっているわけで・・・正直、「ただのアホなおっさん」と言われても、仕方がないのです。単位修得試験も、結構、不合格になっているしね。

ただ、このアホなおっさんの凄いところは(自分で言うのもなんですが・・・)、精神的におかしいんとちゃうかと思えるほど「継続し続ける」ところ。その結果が、ビジネス・キャリア制度の取得ユニット数日本一(旧制度54ユニット⇒確定)、機構の学位取得日本一(取得数10⇒推定)、現役サラリーマン公的資格取得数日本一(法的に根拠のある国家資格と公的資格の合計145資格(学位を除く)⇒推定)、学位取得数日本トップクラス(3月21日で18学位)となっています。

この経験からして確実に言えることは・・・受験しない限り、合格はありないということです。大切な休日を潰してまで受験する。貴重なお金を支払ってまで受験する。遠隔地に遠征といった体力を使ってまで受験する。会社の同僚に負い目を感じながら、精神的苦痛に耐えつつ受験する・・・そう、受験するって、本当に身を削ることなのです。だから、ほとんどの方々は、受験しないし、受験しても必要最低限のものだけとなります。

資格と単位取得のためだけに、700回ほど試験を受けているクレイジーなおっさんの生き方は、ある意味、真似してはいけない愚行だと、私自身も思っています。ただ、人に、「何故、受験するのですか?」と聞かれれば、「そこに試験があるからだ!」と答えるしかないでしょう(笑)。

念仏を唱えるが如く、一心不乱に学び、試験を受けるのみ。不合格なら、まだ、修行が足りないと反省し、合格すれば、本願成就と感謝する。そんな生活が、世の中にあまねく煩悩の中から、私を救ってくれているのかもしれません。ただ、やはり、同じことをすれば・・・と他者に勧めることができない生活であることは確かなのです。
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追加履修!

2014年03月01日 01時05分40秒 | 産業能率大学
1単位だけで終わるはずだった産業能率大学の科目履修生。

4月1日から正式に学籍がスタートするはずなのですが、追加履修の画面にログインすることができました。放送大学での履修を減らした分、機構の学士(学芸/比較文化分野)の単位を充足するため、「社会心理学の基礎と応用」及び「異文化コミュニケーション」の2科目を追加履修することとしました。

十分単位は揃っていたはずなのですが、「比較経済学」と「経済地理学」の合計8単位が認定されるか微妙に思えてきたので、この8単位を減らしたところ、確実な単位が必要32単位に対して26単位しか取得していないこととなってしまいました。この産業能率大学の単位で4単位、加えて、武蔵野大学大学院で履修予定の「社会心理学特講」で4単位、これで、不確実な8単位分を取り返したこととなります。

無論、申請する際は、「比較経済学」も「経済地理学」も専門科目の単位に計上しますが、対象外とされた場合でも対処できるよう、追加の負担を受け入れるわけです。なんせ、今まで、何人もの「ギリギリの単位で申請⇒単位が認められず不合格」の事例を見てきましたから。

そもそも、ギリギリの単位で機構に戦いを挑むことのリスクを知るべきです。その昔、私が栄養学での受験を申請した際、これでもかっ!ってくらい、単位が未認定となりましたから(笑)。それも、今ではいい思い出ですし、その経験があったから、少しでも多めの単位で申請すべしという鉄則を学んだわけです。

その経験に基づいて、しっかりと単位を取得していきたいと思います。
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最後の最後の最後に・・・

2014年03月01日 00時13分57秒 | 放送大学
システムWAKABAの申請リミット直前、最後に履修科目を修正してしまいました・・・

結局、申請したのは、放送授業は「地球のダイナミックス」の1科目、面接授業は「変化する社会と生涯学習」の1科目となりました。

何のために学ぶか・・・それを考えた結果、「事例から学ぶ日本国憲法」は、あえて、今、履修しなくてもよいのではと思い至ったわけです。この1科目を取得しても、機構の学士(法学)を受験することはできませんから。

最低限の履修となりますが、放送大学の選科履修生でありたいと願います。わずか3単位でも、継続していくことに価値があると信じております。
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