次男の都立高校不合格から一夜明けて、無念の思いを吹っ切るために「残念会」を開催することとしました。
で、近所の焼肉屋での光景。子どもはドリンクバー、家内はビール、運転手の私は「水」。とりあえず、乾杯。発声はワタクシ。「残念でしたが、これから大学入試に向けてがんばりましょう!」ということで。高校生活は三年間もあります。ドンドン実力を蓄え、才能を開花する学生もいれば、その恵まれた才能を枯らしてしまう学生もいます。次男には頑張って欲しいと願いつつ、とはいえ、ガリ勉になることなく、部活にも勤しんで欲しいと思っています。
部活もせず、友とも遊ぶことなく、灰色の高校生活を送ることに価値があるとは思いません。第二志望の私立高校とはいえ、せっかくの場を得たのだから、その与えられた環境を満喫すべきだと思っています。私も大学受験に失敗して第二志望どころか第三志望の大学に補欠で入学することとなりました。でも、思った以上に充実した生活を送ることができました。
学区トップの進学校にいたときは、学年順位や模試の結果に汲々とした生活を送っていました。その結果に一喜一憂し、「学習」ではなく、「勉強」に支配されていたといえます。共通一次試験で失敗するまで、実態すら把握していなかった大学にランクを落とさざるを得なかった・・・偏差値的に劣る大学を受験するのは不本意だったのですが、足きりになりそうな第一志望を受験するより、一応ボーダーだった大学を受験することとなったのです。当時は、第一志望の大学、あるいは、せめて第二志望の大学までしか見えていなかった私を救ってくれたのは、会ったこともない高校の生徒会長でした。
その人は2つ上の先輩。2年次に生徒会書記に当選した私は、その人の伝説をよく聞かされました。学年トップの秀才で生徒会長。文化祭でも大活躍した先輩。しかし、その先輩も入試に失敗して、まさかの結果となってしまったのです。それの結果とは、私が第三志望として受験する大学の法学部に入学したという事実。その先輩の先例がなければ、一顧だにしなかっただろうその大学に入学することとなったのです。
ちなみに・・・その秀才の先輩は在学中に司法試験に合格し、今では母校の教授としてご活躍されています。
とはいえ、高校在学中に偏差値の呪縛から開放されるのは至難の業です。偏差値といったもので、学生の価値が計られると思い込んでしまうためです。本当は大学に合格する実績、あるいは、社会人としてやっていく実力といったものが重要なのですが、実際、「偏差値××の高校に入学した」とか、「模試の結果が偏差値△△で、○○大学の合格可能性は80%だ」といった話が一人歩きし、友人との比較も、自分の偏差値と友人の偏差値の上下関係が中心となってしまいます。「偏差値がこの程度だから、○○大学を受験するか・・・」といった、将来やりたい仕事より、自分の偏差値に合った大学を選択してしまう傾向が強いです。
やはり、勉強一筋で生きてきた人間は、どうしても薄っぺらくなってしまいます。かつての私がそうであったように・・・。いろいろなことに、積極的に首を突っ込むことにより、自分の幅が広がり、結果、人間的な魅力が増すこととなります。偏差値を1上げることのために、部活をやめたり、友人との付き合いを控えるくらいなら、偏差値を1下げてでも、魅力的な人間になって欲しい。
といいつつも・・・正直な親の本音は、どちらも頑張って欲しいのですが(笑)。まあ、煩悩まみれの欲張りな親だこと!そうはいっても、子どもの人生は子どものものであり、無理やり何かをさせることはできないと思っています。ゆえに、あとは、子どもの決意しだいだと見守っています。
で、近所の焼肉屋での光景。子どもはドリンクバー、家内はビール、運転手の私は「水」。とりあえず、乾杯。発声はワタクシ。「残念でしたが、これから大学入試に向けてがんばりましょう!」ということで。高校生活は三年間もあります。ドンドン実力を蓄え、才能を開花する学生もいれば、その恵まれた才能を枯らしてしまう学生もいます。次男には頑張って欲しいと願いつつ、とはいえ、ガリ勉になることなく、部活にも勤しんで欲しいと思っています。
部活もせず、友とも遊ぶことなく、灰色の高校生活を送ることに価値があるとは思いません。第二志望の私立高校とはいえ、せっかくの場を得たのだから、その与えられた環境を満喫すべきだと思っています。私も大学受験に失敗して第二志望どころか第三志望の大学に補欠で入学することとなりました。でも、思った以上に充実した生活を送ることができました。
学区トップの進学校にいたときは、学年順位や模試の結果に汲々とした生活を送っていました。その結果に一喜一憂し、「学習」ではなく、「勉強」に支配されていたといえます。共通一次試験で失敗するまで、実態すら把握していなかった大学にランクを落とさざるを得なかった・・・偏差値的に劣る大学を受験するのは不本意だったのですが、足きりになりそうな第一志望を受験するより、一応ボーダーだった大学を受験することとなったのです。当時は、第一志望の大学、あるいは、せめて第二志望の大学までしか見えていなかった私を救ってくれたのは、会ったこともない高校の生徒会長でした。
その人は2つ上の先輩。2年次に生徒会書記に当選した私は、その人の伝説をよく聞かされました。学年トップの秀才で生徒会長。文化祭でも大活躍した先輩。しかし、その先輩も入試に失敗して、まさかの結果となってしまったのです。それの結果とは、私が第三志望として受験する大学の法学部に入学したという事実。その先輩の先例がなければ、一顧だにしなかっただろうその大学に入学することとなったのです。
ちなみに・・・その秀才の先輩は在学中に司法試験に合格し、今では母校の教授としてご活躍されています。
とはいえ、高校在学中に偏差値の呪縛から開放されるのは至難の業です。偏差値といったもので、学生の価値が計られると思い込んでしまうためです。本当は大学に合格する実績、あるいは、社会人としてやっていく実力といったものが重要なのですが、実際、「偏差値××の高校に入学した」とか、「模試の結果が偏差値△△で、○○大学の合格可能性は80%だ」といった話が一人歩きし、友人との比較も、自分の偏差値と友人の偏差値の上下関係が中心となってしまいます。「偏差値がこの程度だから、○○大学を受験するか・・・」といった、将来やりたい仕事より、自分の偏差値に合った大学を選択してしまう傾向が強いです。
やはり、勉強一筋で生きてきた人間は、どうしても薄っぺらくなってしまいます。かつての私がそうであったように・・・。いろいろなことに、積極的に首を突っ込むことにより、自分の幅が広がり、結果、人間的な魅力が増すこととなります。偏差値を1上げることのために、部活をやめたり、友人との付き合いを控えるくらいなら、偏差値を1下げてでも、魅力的な人間になって欲しい。
といいつつも・・・正直な親の本音は、どちらも頑張って欲しいのですが(笑)。まあ、煩悩まみれの欲張りな親だこと!そうはいっても、子どもの人生は子どものものであり、無理やり何かをさせることはできないと思っています。ゆえに、あとは、子どもの決意しだいだと見守っています。