昨日、2014年3月21日は私の人生にとって、意義深いものとなりました。
同時に3つの学位を得ることとなった記念すべき日です。昨日、いただいてきた学位記を並べてみました。
学位記ホルダーの中はこのような感じ。
2年間といいつつも、大学院は10単位認定され、最低必要単位数が30単位⇒20単位に免除、大学は3年次編入の上、選科履修生時代に必要単位は修得済で0単位で卒業可、短大は2年次編入で卒業に必要な単位は32単位(SC8単位)と、かなり優遇されており、一からだと、とてもじゃないけれど、3学位同時取得は困難だったと思います。
とはいえ、学んできた履歴が、学位記という形に落とし込まれることは、非常に有意義なものです。資格試験も「合格証書」とうい形で具現化されますが、教育機関での学習は「学位記」や「卒業証書」といったもので具現化されます。ゆえに、資格試験は「職業資格」、教育機関での学習は「教育資格」ということで大別されますが、要は「ライセンス」ということで、ともに、履歴書に書くことができ、転職等で保有するスキルを公的あるいは第三者的な観点から証明することが可能となります。
無論、同じような学位を複数保有していても社会的評価は上がるわけもなく、逆に、書かないと「学歴詐称」で失職するリスクすら抱え込むこととなります。18も学位を保有した「おかしな中年」を評価する一般企業は存在しないでしょう。私自身、仕事も疎かにしていないつもりですが、当然、10年間で17の学位を取得する人間は、「仕事をサボって学位にのめり込んでるのだろう」「残業を拒否するだろう」「年休をすべて休むのだろう」等々、「百害あって一利なし」という感じなのかもしれません。
ムダにコストをかけて、ムダというよりリスクともなる学位を取り続けることに何の意味があるのか・・・私も正直、わかっていないのです。本当、そこに取得すべき学位があるから、清々と取得し続けているだけ。その取得するプロセスの中にある、学びにおける「かかわり」が心地よいのかもしれません。先生や同期等「人とのかかわり」、書籍を読んだり探したりする「文献とのかかわり」、現在「無」という状況から未来への「有」である成果物を作り出す「未来とのかかわり」、そして思いもよらないつながりができる「偶発性とのかかわり」等、学校に行っていれば、何か、思いがけないことが起こるワクワク感があるわけです。
そういう点が、生涯学習の醍醐味ではないかと思っています。