生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

ブログ開設から3,500日!

2014年03月22日 19時45分06秒 | アクセス
ブログ開設から3,500日経過しました。

アクセス件数は457万件を突破しました。平均すると、1,308PV/日、294IP/日、2.95記事/日ということとなっております。

拙いブログながら、本当に多くの方々に訪問いただき感謝しております。これからも、ご支援賜りますよう、お願い申し上げます。
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多摩学習センターへ!

2014年03月22日 18時36分22秒 | 放送大学大学院
2013年度最後の学習センターになると思います。

借りていた本を15冊返却しました。現状借りている本は0冊。卒業し、修了したので、一旦、すっきりした状態になり、来年度の選科履修生を迎えたいと思います。

そして、武蔵野大学に提出するために、「修了証明書」と「卒業証明書」をいただくこととしました。あと、自由が丘産能短大の卒業証明書が到着したら、一緒に送付する予定です。

長いようで、短い「修士全科生」と「全科履修生」での学びでしたが、2年という時間だけが、すべてを解決してくれたように思えます。

さて、家に帰ると、多摩学習センターから郵便物が届いておりました。多摩学習センターは平成24年度より「生涯学習奨励賞」を設置し、平成25年度第2学期の「生涯学習奨励賞」に選出されたとのこと!ありがたいことなのですが、確か、学部or大学院を2つ以上終えると、全員いただける賞という認識なのですが(笑)。

とはいえ、「生涯学習の部屋」の管理人が、放送大学の学習センターから「生涯学習奨励賞」をいただけるというのも、非常にありがたいことですので、ぜひとも、出席させていただきたいと思っております。

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本日の機構!

2014年03月22日 17時09分09秒 | 大学評価・学位授与機構
借りていた本を返す道すがら、機構に寄ってみました。

機構の前には郵便車が止まっていました。あと2週間もすれば、私も機構にレポート等申請書類を提出しなければなりません。まだ、1文字も書き綴っていませんが、間に合わせたいと思っています。
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玉川上水!

2014年03月22日 17時02分40秒 | 小平
多摩学習センターと小平市立図書館に本を返却に行くこととしました。

合計25冊!本の重さにフラフラになりながら自転車をこいでいく途中、玉川上水に差し掛かりました。まだ、冬の風景ですね。これから、どんどん緑が増えていくことと思います。
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愚行

2014年03月22日 11時32分42秒 | 放送大学大学院
ダニエルさんのコメントを見て思い出したのだが・・・

放送大学は「大学院」と「学部」で座る場所が違う。受付の際に確認したのだが、「どちらに座ってもいいですよ」とのこと。ステージを正面から見ることのできる「学部」の「東京」に座ることも考えたが、まずは、受付からすぐの「大学院」のところに行ってみたところ、ゼミ生を発見したので、そちらの方で席を確保することとした。

式典のところどころで、「学部」と「大学院」と、別々の代表がステージに上がるイベントがあるのだが、「学部」の代表が登壇する際は、学部生全員が起立するのである。常識的に考えれば、大学院生の集まる場所に陣取った以上、立ち上がるべきではないのだろうが、やはり、私は、放送大学の教養学部の学生でもあり、教養学部の学生としても、この晴れの日を心待ちにしていたのである。だから、立たずにはおられなかった・・・

で、だにえるさんでもわかるくらいですから、他の方々も、きっと「あれ、席を間違えたのかな?」と違和感を持って、私の愚行を見ていたことでしょう。でも、私は大学院修了生320人のうちの1人であると同時に、教養学部卒業生4,418人のうちの1人でもあるのです。「大学院」と「学部」、どちらも私にとっては、優劣を付けることができないし、生涯学習においては「等価」ともいえるものなのです。

ですので、恥ずかしいという気持ちより、あるいは、KYと非難されるより、「自分にとって一番大切な信念を守った」という愚行だったのです。

でも、やはりまずかったかな・・・家内に相談しても、「常識がない」と言われてしまいました。しかしながら・・・本当に、体が勝手に動いてしまったのです。仕方ないですね。
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今日の富士山!

2014年03月22日 11時27分36秒 | 富士の高嶺
今日も天気は良好です!

富士山もはっきり、くっきり見えております。今日も、卒業式が多数挙行されるのでしょうね!本当、「おめでとうございます」という言葉をお伝えできれば・・・と思います。
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産能短大。

2014年03月22日 10時58分05秒 | 自由が丘産能短大
学位を片付けている際、家内の学位記を発見した。

家内も私と同じ、「自由が丘産能短期大学」を卒業していると思っていたのだが、実は、「産能短期大学」であったのだ!


家内と私の学位記を並べてみると、いろいろと変わっているところがあることに気がつく。


学長先生は変わっていないけど。でも、やっと、8年かけて家内に追いついたわけです。拙ブログがスタートしたきっかけのひとつが、当時、産能短大生だった家内のご学友が、家内をネットの世界にいざなったことであり、そのサポート役が私だったわけです。

家内のハンドルネームが「フラワー」であり、サポート役の私も、ついつい『「フラワー」の夫』として、ご学友のHPで発言するようになり、そして「フラワーの夫」として、半独立した形で自身のブログを開設することとなります。「フラワーの夫」が、いつの間にか「フラ夫」に変化するわけで・・・

そういう意味で、家内に追いつくということは、大きな転換点ともいえ、HN「フラワーの夫」⇒「フラ夫」を見直し、正式に独立するいいきっかけなのかもしれない。でも、今のクリミア情勢も勘案、独立という言葉は控えておくほうが、無難といえるのかもしれないのである。
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10年間の形!

2014年03月22日 10時54分36秒 | ちょっと立ち止まって・・・
10年間学び続けて取得した学位記!

床に並べると、その重みというものを実感することができます。自分で言うのもなんですが、本当、凄いな~!ただ、10年間、愚直にやってきただけなのに。時間というものの偉大さは、凡人サラリーマンの私でも、これぐらいできることを証明してくれました。
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2014年3月21日付けの学位!

2014年03月22日 09時58分42秒 | ちょっと立ち止まって・・・
昨日、2014年3月21日は私の人生にとって、意義深いものとなりました。

同時に3つの学位を得ることとなった記念すべき日です。昨日、いただいてきた学位記を並べてみました。


学位記ホルダーの中はこのような感じ。


2年間といいつつも、大学院は10単位認定され、最低必要単位数が30単位⇒20単位に免除、大学は3年次編入の上、選科履修生時代に必要単位は修得済で0単位で卒業可、短大は2年次編入で卒業に必要な単位は32単位(SC8単位)と、かなり優遇されており、一からだと、とてもじゃないけれど、3学位同時取得は困難だったと思います。

とはいえ、学んできた履歴が、学位記という形に落とし込まれることは、非常に有意義なものです。資格試験も「合格証書」とうい形で具現化されますが、教育機関での学習は「学位記」や「卒業証書」といったもので具現化されます。ゆえに、資格試験は「職業資格」、教育機関での学習は「教育資格」ということで大別されますが、要は「ライセンス」ということで、ともに、履歴書に書くことができ、転職等で保有するスキルを公的あるいは第三者的な観点から証明することが可能となります。

無論、同じような学位を複数保有していても社会的評価は上がるわけもなく、逆に、書かないと「学歴詐称」で失職するリスクすら抱え込むこととなります。18も学位を保有した「おかしな中年」を評価する一般企業は存在しないでしょう。私自身、仕事も疎かにしていないつもりですが、当然、10年間で17の学位を取得する人間は、「仕事をサボって学位にのめり込んでるのだろう」「残業を拒否するだろう」「年休をすべて休むのだろう」等々、「百害あって一利なし」という感じなのかもしれません。

ムダにコストをかけて、ムダというよりリスクともなる学位を取り続けることに何の意味があるのか・・・私も正直、わかっていないのです。本当、そこに取得すべき学位があるから、清々と取得し続けているだけ。その取得するプロセスの中にある、学びにおける「かかわり」が心地よいのかもしれません。先生や同期等「人とのかかわり」、書籍を読んだり探したりする「文献とのかかわり」、現在「無」という状況から未来への「有」である成果物を作り出す「未来とのかかわり」、そして思いもよらないつながりができる「偶発性とのかかわり」等、学校に行っていれば、何か、思いがけないことが起こるワクワク感があるわけです。

そういう点が、生涯学習の醍醐味ではないかと思っています。
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学部と院

2014年03月22日 07時51分20秒 | 放送大学
昨日、放送大学から2年かけた学びの成果として「学位記」を2つ頂戴した。

「学部と院」=「学士と修士」なのだが、書かれた内容はかなり違ったものとなっている。で、並べて撮影してみた。やはり大きな違いとしては、修士の学位に「学位論文の審査」と「最終試験」というものがあることだろう。この文言は、どこの大学であろうと修士の学位記には入っていると思っていたのだが、武蔵野大学大学院の学位記には掲載されていなかったので、絶対とは言い切れないことがわかった。

論文といっても、すべての論文がそんなに凄いものであるわけがない。本当に凄い論文しか合格できない仕組みというのなら、とてもじゃないが、320名も修了することができるわけがない。そもそも、「論文の書き方」や「章立て」すら満足にできていない学生も多いはずである。理由は簡単、先生の方からは、書き方の指導はしてくれない(先生によってはしてくれるかもしれないが・・・)からである。それは自分で修得してくれという世界なのであろう。あるいは、メールや面談で頻繁に指導教官とコンタクトをとる学生には指導してもらえるのかもしれないが。

武蔵野大学大学院の特定課題研究演習も、かなり「恥ずかしい論文」が合格となってしまっている。報告会で、目を覆いたくなるような成果物(本当に成果と言って良いのかと疑ってしまうもの)でも、合格しているのが現状である。

これが、通信制大学院の限界と言ってしまえばそれまでだが、ひょっとしたら、通信制大学院だけでなく、全国の社会人大学院にも蔓延している現状なのかもしれない。社会人は時間がない⇒指導を十分受けれない⇒研究・調査の時間もない⇒不完全な成果物ってフローなのだろうか?

通常、提出前に指導教官が「提出の許可をしません!」っていうのだが、それが抜けてしまって、何でもいいから「お試し」で提出してしまう学生が増えたのではないだろうか?基本的に、今までのアカデミックの世界では、修士レベルだと、余程の案件でなければ通してしまう習慣があるため、出されてしまった以上、なかなか不可にはできないのではないだろうか?

個人的な見解で、確証はないのだが、そんな気がしてならないのである。だから、私の思いを信じてくださるのなら、ゆめゆめ、「修士だから偉いんだ」とか「学位をもらった俺は凄いんだ」とか思わないで欲しい。博士はとってないから言及する権利がないのだが、極論すると、修士も、学士も、短期大学士も、そんなに大差があるわけではない。

自分が適切と思った学修カリキュラムを設置しているところで、多少ムリするくらいでがんばれる人の方が長続きする。そして、継続することが大きな力になるのでは・・・と思っています。

放送大学の学部の方で総代を務めた方がいらっしゃいますが、その方は大場登先生の指導を受け、学士論文を作成されました。話の内容からして、そこらへんの修士論文よりしっかりした成果物が出来ていると確信しております。ゆえに、その方は、卒業論文を引っさげて大学院を受験し、4月から奈良の某大学院に進学が決定されております。

「大学院」でなくとも、「大学」でも「短大」でも、学びたいという意欲があれば、いかようにも学ぶことができる。それが真の意味での生涯学習社会である。その社会では、各人の学びに優劣はないのです。あるとすれば、各人の傲慢さや、各人の卑屈さが学ぶ上での大きな阻害要因となるわけです。

「学習できるんやったら、どこでもええやん。ブランドにこだわることなく、行けるところで、好きなことやってればええんやんか!」という思いと「通信や、夜間や、大学院や、短大ってこだわるところか?誰に見せんねん。上へ上へって考えたら、東大の博士課程以外、どこの学校行ったって、結局満足でけへんやろ。自分のために学ぶんや。他人様のために学ぶんやない。ええかっこせんと、真っ正直に、自分のやりたいこと、やれること、やらなあかんことを見極めて、何するか決めえや!」という思いがあるわけです。

死ぬほど忙しい人は、学習するより睡眠を取ること。「命あっての物種」ですから。追加で学習する以上、多少の命は削るべきだが、すべての命が磨り減るくらいなら、学習しない方が正解である。「学位は拾いましたが、命を落としました・・・」と言うのは涙なくして聞けない美談であるが、生涯学習を目指すものにとってはNGである。ムリせず長~くというのが生涯に渡って学び続ける秘訣であり、その根本的な第一条件は、命を永らえることなのだから。

お金を節約するのと同様、時間をコツコツと節約し、捻出することで、今までできなかった生涯学習というものが入り込む余地が生まれます。テレビを見ないとか、ネットサーフィンをしないという、従来やっていた「○○の時間」を生涯学習に振り返るだけでなく、電車の中、トイレの中、お風呂の中、階段の上り下りの中、車の運転中、買い物の最中、という隙間時間も活用できます。それこそ、24時間は全員に与えられており、やむをえない「仕事での拘束時間」「家庭での拘束時間」「睡眠時間」等々といった、各人の必須時間を除けば、残りの時間は自分の自由にできるわけです。

その残り時間が、たとえ、わずか、30分ぐらいしかなかったとしても、それだけあれば、何かはできるし、何かは変わる。1日0.5時間でも、年間に直せば182.5時間であり、それだけの時間があれば、中程度の資格試験も合格できる。1年・2年では難しいかもしれないが、長期に渡れば学位も目指すことができる時間となります。

正直な話、生涯学習をやっている人とやっていない人の差は、1日当たり平均すると、1時間程度じゃないだろうか?大学や大学院に通っているとしても、10年スパンで考えると、やはり、その程度に落ち着くと思っている。本当、わずかな差しかないのですが、継続していく中で、学びの成果は膨張し続けるのです。

だから、今からスタートして欲しい。月間10冊も本を読めば、社会人のトップ1%に入るくらいの読書家になれるのだから。無論、仕事にまい進するという選択肢、あるいはレジャーや娯楽に生きたいというライフスタイルも認めたい。でも、漫然と、漠然とした不安の中に生きることに戦々恐々とするくらいなら、この春、桜の開花とともに、何か新しいものを目指してみてはいかがだろうか?
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