非情にも、うつつを抜かしているうちに、その終わりを告げようとしている。結構、記事を書いたり、諸メールへの返信をしているうちに、時間は刻一刻と過ぎ去っていってしまったようだ。明日からは、頑張って機構の申請書類作成に取り掛かることとしよう。
通常、ダブりがなければ2年間で修士を取得することができる。今回の私のように3つの学位を取得することもできる。あるいは、その昔、2度達成した1修士+4学士=5つの学位を取得することも現実にできてしまうのである。でも、数の勝負は際限ないし、上には上が、必ずいるものである。しかも、なんとかテッペンをとることができても、維持することは困難である。いずれは、誰かに抜かされ、あるいは抜かされることに怯える日々を過ごさなければいけなくなる。
奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし・・・
だからこそ、数を目指すという残念な生き方をするのではなく、何かの縁で、与えられたチャンスに敏感に反応する生活を送りたい。とてつもないムリをする必要もないが、なにもしない生活は人生のムダ遣いである。そのムリとムダのムラを排除し、チャンスがあれば、貪欲に飛びつくくらいがちょうどいい。それくらいの生き方こそが、中道というものではないだろうか?なんせ、人間は自分を贔屓目に見てしまう。「自分はメチャクチャ頑張ってる!」というくらいが、傍目から見た場合「まあ、やってる方かな~」と思えるくらいなのだから。
私の基本的な思考が、そんな考えであるため、チャンスを貪欲に掴みにかかった結果、「大学院」「大学」「短大」と3つの学位を同時に取得することとなった。それはそれでいいのであるが、同日とはいえ、学位授与のタイミングから、「自由が丘産能短大」が私の最終学歴となってしまったのである!
これは、最後に取得した学位=「最終学歴」とした場合である。人によっては、自分のもっとも高い学歴が最終学歴という人もいるのだが、私の場合、複数の学位が競合することとなる。やはり、最後に取得したのが最終学歴ではないかと思っている。
そもそも、最終学歴という「ものさし」は何を示すものなのか?履歴書に書くなら、すべての学校歴が必要だから、どれが先でどれが後というだけで欠落は許されない。選挙に出るわけでもないし、最終学歴という「ものさし」が、一般人である、私のような平凡なサラリーマンには必要ないだろう。だから、まず聞かれることはないはずだが、「最終学歴は?」と何かの機会に聞かれるようなことがあるなら、やはり、「自由が丘産能短期大学です!」と答えたいと思っている。
とはいえ、もし、半年後に機構の学士(学芸)に合格していたとしたらなら、最終学歴はまた更新されてしまうのである。その程度の話。まず、ここ半年の間に、私に対して「最終学歴はどこですか?」と聞いてくる人などいるわけがないのだから、杞憂ともいえる話なのである。