生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

「通信制」と「通学制」

2014年03月08日 23時53分45秒 | ちょっと立ち止まって・・・
面白いコメントをいただいたので、「通信制」と「通学制」の大学院について振り返ってみたい。

果たして、どちらが修了しやすいだろうか?無論、「通学制」の大学院であろう。学費が高く、授業もコンスタントに出席する必要がある。そもそも、学費が高いというのも、通学するための講座を開くため、先生を雇い、学習の場所を確保するためなので、表裏一体のものといえるのかもしれない。

先生と学生。師弟関係。顔を突き合わせて学習していれば、自ずと情も湧いてくるだろう。なかなか不可は付けられない。あるいは、対面授業で、必要に応じて質疑応答することで知識が定着し、しっかりと理解でき試験も合格することであろう。同期と切磋琢磨し、酒を飲み、親交を深めることで、一緒に修了する目的が明確になり、学びのモチベーションを保つこともできる。

一方、通信制は孤独との戦いである。信じるものは自分だけ。誰からも干渉されないかわりに、自分がやらねば誰も助けてはくれない。そんな挫折しやすい環境で勝負できるのは、よほど自律心の強い人か、自分から学習する仕掛けを構築できる人ぐらいかもしれない。

通信制大学院に在籍した際、私が取った作戦は、積極的に大学に行くことである。明星大学大学院はMAXでも8回しか参加できないSCについて6回参加した。このSCは1回で十分なのだが、やはり、本学に行って学ばないことには、モチベーションを維持することができないためである。明星は追加履修費が不要だったので、実質負担は往復の交通費のみである。

武蔵野大学大学院ではSCゼロでいいところを12単位分履修した。追加のコストが9万円かかったが、5万円奨学金で返金されたので実質負担は4万円と交通費くらいである。交通費も国分寺⇔三鷹間は定期があったので、バス代だけ。他の学生の方々と比べると非常に恵まれていたといえる。あと、図書館にもよく行ったし、PCルームも何度も使わせていただいた。

放送大学大学院は面接授業はなかったものの、学習センターによく足を運んだ。本をたくさん借り、修士論文作成の参考とさせていただいた。

学位の価値としては「通信制」でも「通学制」でも、どちらも修士の学位で変わりないものと思っているが、やはり、取得するためのエネルギーの投下した量を考えると、「通学制」の方がはるかにきつかったと思えてならない。これは、仕事を持つ社会人が、コンスタントにキャンパスに通うことの難しさから来るものだと思っている。

本当、勤務先からの派遣でもなく、推薦でもなく、銀行員がよくもまあ、通学制の大学院を修了できたものだと、今でも、奇跡だと思っている。職場の配慮一切無しで、転勤のリスクも高い状態で、思い切ったことをしたものである。同じ銀行員だった同期は、特殊な事情もあったのだが、結局、在学中に退職してしまいましたから。勤務先と本学が半径5キロ圏にあったことも奇跡のひとつだったと思います。

多忙の中、大学や大学院で学ぶことは、知識やスキルの陳腐化を回避する上で有効な方法だと思います。それは「通信制」であろうと「通学制」であろうと、必ずや、何らかの効用はあるはずです。「コスト」「時間」「場所」等々、いろいろある制約について、どこまで許容できるかを勘案し、自分の学びのスタイルを完成させればいいと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日の機構!

2014年03月08日 21時33分25秒 | 大学評価・学位授与機構
図書館に行く途中、ちょっと機構にもよってみたところ・・・


おまわりさんが機構の前をウロウロとしておられました。そんなおまわりさんを尻目に、機構の写真を撮り続ける「機構カメラマン」。


なんと、機構の看板の写真には、おまわりさんの足が少し写りこんでしまった!

不審者と思われたかもしれませんが、機構の写真を撮るのはライフワークだから、職務質問されても、堂々と答えるつもりでした。でも、「善良な市民」である私に対し、おまわりさんはかかわることを避けたようでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多摩学習センター!

2014年03月08日 21時29分38秒 | 産業能率大学大学院
小平市立中央図書館に行く途中で学習センターに寄ってみました。

特に目新しい掲示物等はありませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の富士山!

2014年03月08日 08時43分40秒 | 富士の高嶺
天気が悪くて、なかなか富士山を見ることができなかったのですが、今朝は白い富士山が顔を出しています。

そろそろ、春めいてくるため、富士山を見る機会がめっきり減っていくものと思っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『訂正とお詫び』が到着・・・

2014年03月08日 05時40分10秒 | 自由が丘産能短大
残念な郵便物が届きました・・・

今般卒業する我が母校より、先日、大学3年次編入を提案する資料が届いていたのですが、なんと、その資料に重大な間違いがあったため、「訂正とお詫び」が再送されたわけです。どおりで、「認定単位数が少なくおかしいな~」と思っていたのですが、3年次編入することもないので捨てておきました。そうしたところ、画像のような「詫び状」が届いたわけで・・・

この「再送」の費用と、「不手際によるイメージダウン」のトータルコストって、一体、どれくらいになるのでしょう?あまりにも単純なミスに起因するものなので、本当にもったいないことだと思います。

本学の学生でなければ、ほっておけばいいことなのですが、如何せん、科目履修生として2014年度から学生をするので、まったく無関係とはいえないわけで。このコストの一部でいいから還元しくれれば・・・と思ってしまうのです。

ましてや、今般、卒業生は寄付を求められております。卒業関係書類に寄付の申込書が入っておりました。私は、寄付金の代わりに科目履修生を続けていきますので応じていませんが、卒業の記念にと寄付した人にとっては、その貴重な寄付金が、この不手際の尻拭いの郵送費に消えるのかと思うと残念としかいいようがないでしょう。

無論、寄付金は使途が決まっているのですが、「(教育研究に要する)経常的経費に充当します」とある上、いずれにせよ、本学から「不要な支出が発生」している以上、その対価はなんらかの資金で穴埋めされ、そしてその資金の分、教育研究へ回される資金が減り、その充当に寄付金が使われ、影響がないはずがないと思っています。

とはいえ、起こってしまったことは仕方がありません。本学OBの私としては、原因の追及と、再発防止の徹底を祈ることしかできないのですから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年度 明星大学通信制大学院博士前期課程第2期入学試験 合格者受験番号!

2014年03月08日 04時54分02秒 | 明星大学大学院
我が母校のひとつ、明星大学通信制大学院でも入学試験の合格発表がありました。

受験番号からすると、18人以上受験し、合格者は10名とのことでした。第1期の入試において、ゆみーさんからいただきました情報を総合すると、少なくとも13人+18人=31人受験し、6人+10人=16人合格という結果のようです。概ね、競争率2倍!本学は2人で1人しか合格しない大学院となってしまったようです。

従来の傾向からすれば、競争率は大体1.5倍程度。私の受験したときなんか、わずか1.3倍でしたから、2014年度の入試は格段に選抜は厳しかったと思います。全員合格させれば、概ね定員の30人になるにもかかわらず、あえて、定員割れを起こしてでも、厳格に合格者を絞る本学には脱帽です。それだけ、合格者の方々の能力が高いということですし、不合格者の方々も、それだけ厳しかったということですから、決して自暴自棄になったりしないでください。

大学院(修士レベル)の受験で勘違いしてはいけないこと。それは、知的水準が高い人が絶対合格しするのではないということ。そして、不合格者が必ずしも知的水準が低いわけではないこと。たとえ、知的水準が高い人であったとしても、指導教官が指導できないテーマを持ってこられた場合、その人は不合格になってしまう。あるいは、とてつもないすばらしい研究テーマでも、概ね2年でまとめきれないような膨大なテーマなら、その人は不合格になってしまう。逆に、ほどほどの知的水準であったとしても、指導教官が指導でき、2年ぐらいでまとめる範囲のテーマなら、そちらを合格とすることでしょう。

ゆえに、ノーベル賞級の研究テーマであったとしても「教育におけるIPS細胞の活用と・・・」みたいなテーマだと、本学においては、まず合格できないでしょう。「テーマが違うのでは・・・」あるいは「他大学の博士課程でやってください・・・」といった結論になると思います。だから、大学院を選択するときは、指導教官の研究分野等調査が必要となるわけです。そもそも、自分の研究テーマに近い先生がいなければ、合格も遠のいてしまうわけです。

私自身、最初の産業能率大学大学院では、そこまで考えずに受験してしまいましたが、明星大学大学院と放送大学大学院では、ピンポイントに指導していただきたい先生のゼミに入ることができました。ともに教育学の先生でしたが、教育学に無知な、銀行員という畑違いの私が合格できたのも、「先生にご指導いただきたい!」という熱意が通じたのではないかと思っています。当然のことながら、先生の書かれた本はすべて読み、あるいは面接授業を履修するといった「仁義」はきらせていただいています。

さて・・・前振りだけで1,200字を超えてしまいましたが、今回、一番うれしかったことは、個別に相談させていただいたSさんから合格の吉報をいただいたことです。メールで3回ほどやりとりさせていただき、4回目のメールが「合格」のご連絡でした。本当によかったです!例年と比べ格段に厳しくなった選抜をクリアされるために、どれだけご努力されてきたかを想像すると、「大変だったんだろうな~」と、なんだか、目頭が熱くなってしまいます。

ゆみーさんにしろ、Sさんにしろ、ご本人のご努力の結果が「合格」ということなのですが、その合格への軌跡において、拙ブログが少しでも役立ったというのなら、この、教育学知らずの、おろかな中年の戯れ言も、ムダではなかったと安堵しております。そして、このような後輩が続いていってくれるのなら、私が生きてきた価値もゼロではなかったのかな・・・と感謝しております。

ただ、合格できたのは時の運。たまたま、研究指導いただける先生がいたことと、研究テーマが合致したこと、加えて、試験問題において、自身が解答できる問題があったこと・・・等々、めぐりあわせがよかっただけなのかもしれないのです。合格できたことに感謝し、与えられた学習の場で、精一杯努力いただければと思っております(なんだか、上から目線の言い方ですが、私も来年度からM1なので、他人事じゃないんだよな・・・)。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする