面白いコメントをいただいたので、「通信制」と「通学制」の大学院について振り返ってみたい。
果たして、どちらが修了しやすいだろうか?無論、「通学制」の大学院であろう。学費が高く、授業もコンスタントに出席する必要がある。そもそも、学費が高いというのも、通学するための講座を開くため、先生を雇い、学習の場所を確保するためなので、表裏一体のものといえるのかもしれない。
先生と学生。師弟関係。顔を突き合わせて学習していれば、自ずと情も湧いてくるだろう。なかなか不可は付けられない。あるいは、対面授業で、必要に応じて質疑応答することで知識が定着し、しっかりと理解でき試験も合格することであろう。同期と切磋琢磨し、酒を飲み、親交を深めることで、一緒に修了する目的が明確になり、学びのモチベーションを保つこともできる。
一方、通信制は孤独との戦いである。信じるものは自分だけ。誰からも干渉されないかわりに、自分がやらねば誰も助けてはくれない。そんな挫折しやすい環境で勝負できるのは、よほど自律心の強い人か、自分から学習する仕掛けを構築できる人ぐらいかもしれない。
通信制大学院に在籍した際、私が取った作戦は、積極的に大学に行くことである。明星大学大学院はMAXでも8回しか参加できないSCについて6回参加した。このSCは1回で十分なのだが、やはり、本学に行って学ばないことには、モチベーションを維持することができないためである。明星は追加履修費が不要だったので、実質負担は往復の交通費のみである。
武蔵野大学大学院ではSCゼロでいいところを12単位分履修した。追加のコストが9万円かかったが、5万円奨学金で返金されたので実質負担は4万円と交通費くらいである。交通費も国分寺⇔三鷹間は定期があったので、バス代だけ。他の学生の方々と比べると非常に恵まれていたといえる。あと、図書館にもよく行ったし、PCルームも何度も使わせていただいた。
放送大学大学院は面接授業はなかったものの、学習センターによく足を運んだ。本をたくさん借り、修士論文作成の参考とさせていただいた。
学位の価値としては「通信制」でも「通学制」でも、どちらも修士の学位で変わりないものと思っているが、やはり、取得するためのエネルギーの投下した量を考えると、「通学制」の方がはるかにきつかったと思えてならない。これは、仕事を持つ社会人が、コンスタントにキャンパスに通うことの難しさから来るものだと思っている。
本当、勤務先からの派遣でもなく、推薦でもなく、銀行員がよくもまあ、通学制の大学院を修了できたものだと、今でも、奇跡だと思っている。職場の配慮一切無しで、転勤のリスクも高い状態で、思い切ったことをしたものである。同じ銀行員だった同期は、特殊な事情もあったのだが、結局、在学中に退職してしまいましたから。勤務先と本学が半径5キロ圏にあったことも奇跡のひとつだったと思います。
多忙の中、大学や大学院で学ぶことは、知識やスキルの陳腐化を回避する上で有効な方法だと思います。それは「通信制」であろうと「通学制」であろうと、必ずや、何らかの効用はあるはずです。「コスト」「時間」「場所」等々、いろいろある制約について、どこまで許容できるかを勘案し、自分の学びのスタイルを完成させればいいと思っています。
果たして、どちらが修了しやすいだろうか?無論、「通学制」の大学院であろう。学費が高く、授業もコンスタントに出席する必要がある。そもそも、学費が高いというのも、通学するための講座を開くため、先生を雇い、学習の場所を確保するためなので、表裏一体のものといえるのかもしれない。
先生と学生。師弟関係。顔を突き合わせて学習していれば、自ずと情も湧いてくるだろう。なかなか不可は付けられない。あるいは、対面授業で、必要に応じて質疑応答することで知識が定着し、しっかりと理解でき試験も合格することであろう。同期と切磋琢磨し、酒を飲み、親交を深めることで、一緒に修了する目的が明確になり、学びのモチベーションを保つこともできる。
一方、通信制は孤独との戦いである。信じるものは自分だけ。誰からも干渉されないかわりに、自分がやらねば誰も助けてはくれない。そんな挫折しやすい環境で勝負できるのは、よほど自律心の強い人か、自分から学習する仕掛けを構築できる人ぐらいかもしれない。
通信制大学院に在籍した際、私が取った作戦は、積極的に大学に行くことである。明星大学大学院はMAXでも8回しか参加できないSCについて6回参加した。このSCは1回で十分なのだが、やはり、本学に行って学ばないことには、モチベーションを維持することができないためである。明星は追加履修費が不要だったので、実質負担は往復の交通費のみである。
武蔵野大学大学院ではSCゼロでいいところを12単位分履修した。追加のコストが9万円かかったが、5万円奨学金で返金されたので実質負担は4万円と交通費くらいである。交通費も国分寺⇔三鷹間は定期があったので、バス代だけ。他の学生の方々と比べると非常に恵まれていたといえる。あと、図書館にもよく行ったし、PCルームも何度も使わせていただいた。
放送大学大学院は面接授業はなかったものの、学習センターによく足を運んだ。本をたくさん借り、修士論文作成の参考とさせていただいた。
学位の価値としては「通信制」でも「通学制」でも、どちらも修士の学位で変わりないものと思っているが、やはり、取得するためのエネルギーの投下した量を考えると、「通学制」の方がはるかにきつかったと思えてならない。これは、仕事を持つ社会人が、コンスタントにキャンパスに通うことの難しさから来るものだと思っている。
本当、勤務先からの派遣でもなく、推薦でもなく、銀行員がよくもまあ、通学制の大学院を修了できたものだと、今でも、奇跡だと思っている。職場の配慮一切無しで、転勤のリスクも高い状態で、思い切ったことをしたものである。同じ銀行員だった同期は、特殊な事情もあったのだが、結局、在学中に退職してしまいましたから。勤務先と本学が半径5キロ圏にあったことも奇跡のひとつだったと思います。
多忙の中、大学や大学院で学ぶことは、知識やスキルの陳腐化を回避する上で有効な方法だと思います。それは「通信制」であろうと「通学制」であろうと、必ずや、何らかの効用はあるはずです。「コスト」「時間」「場所」等々、いろいろある制約について、どこまで許容できるかを勘案し、自分の学びのスタイルを完成させればいいと思っています。