生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

iPhone5s購入~♪

2014年03月09日 18時53分02秒 | その他
我が家にも、とうとうiPhoneが来た!

ドコモのスマホが3台あるのだが、iPhoneはなかった。いや、それ以前に、うち2台が「らくらくスマホ」であり、世間から大きく隔離されていた感があった。今般、次男がスマホを購入することとなったのだが、それが、我が家初のiPhoneとなったわけである。

購入するところまでは次男と一緒だったが、買った後はすべて次男に任せている。各種設定等に「格闘」しているようだ。

世間一般では、どのくらいの年齢でスマホ等の端末を子どもに持たせているのだろうか?「余計な持たせない」という厳格な教育方針を持つ家庭もあるかもしれないし、「有害サイトから子どもを守るため」という理念の下、スマホを持たせない家庭もあるかもしれない。あるいは、高い維持費に辟易し、「自分でお金を稼ぐまで」持たせない家庭もあるかもしれない。

しかし、周囲を見渡すと、非常に低年齢でスマホ・携帯を持つ子どもが多数派を占めているような気がしてならない。それに、将来就活等するときに、端末を操作できないとまずいのでは・・・とも思うわけである。ITリテラシーというか、スマホで繋がることができる能力というのも必要な時代に突入しているのではないだろうか。

本当、住みづらい世の中になってきている。PCやスマホ、携帯といったものでネット環境を確保しないと、ドンドン時代から取り残されてしまう。ネットには情報が溢れ、ネットでの割引や会員になることで有利になることも多い。研究においても、ネットがあるかないかで、文献検索や資料入手に格差が生じる時代なのである。

便利といえば便利だが、ネットがないと生きていけないといった病的な症候群に陥る中毒患者も多いのではないだろうか。歩きスマホで命を落とす人もいるのが現代なのである。

「ポケベル」しかなかった時代を覚えているだろうか?あるいは、それ以前は、公衆電話で営業担当は上司と連絡を取り合っていたのである。今は、各人端末を渡され、24時間連絡可能の環境となっている。本当に、それは「便利な時代」と言えるのだろうか?

可能であれば、スマホを持たず、ネットからも隔離されている田舎に滞在したいと思っている。そのような生活こそ、本来の人間性を取り戻せる場ではないかと思っているから。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

録画じゃないのか?

2014年03月09日 08時30分18秒 | 放送大学大学院
放送大学の「キャンパス・ネットワーク・ホームページ」にログインしたところ、衝撃的な掲示がなされていた!

なんと、「生涯学習の理論と実践('10)」の科目について、履修登録期間が終わったにもかかわらず、突如として中止となったのである。「人間発達科学プログラム」の主要科目のひとつである「生涯学習」に関する科目が履修できないのは不幸としかいいようがないであろう。ましてや、この1科目で放送授業の単位が充足されるという学生は、どのように救済されるのだろうか?

それにしても、「('10)」となっていることからしても、初回に放送されたのは、2010年度と思われる。なら、録画を放送すれば、授業は成立するのではないだろうか?主任の先生が交代するだけで、なんとか、急場はしのげるような気がするのだが・・・通信課題の添削の人手が足りないのなら、修了生として無給でサポートすることもやぶさかではない。それ以上に、科目が無くなることの方が事の重大性が大きいと思うのだが・・・?

それとも、私たちの知らない、何か、著作権関連での決め事や、単位を与える上での学校教育法上の問題があるのだろうか?かえすがえすも、生涯学習の科目が大学院で開講されないことが無念でならない。


>大学院の放送授業科目「生涯学習の理論と実践('10)」については、主任講師の
>健康上の理由により、2014(平成26)年度第1学期からの開設を中止することとな
>りました。
>受講を予定されていた方におかれましては、突然の開設中止となり、多大なご迷惑
>をお掛けしますことを、心より深くお詫び申し上げます。
>なお、2014(平成26)年度第1学期に履修するために、当該科目をご登録いただいた
>方へは、別途、個別にご連絡させていただきます。
>なにとぞご理解を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

>                  記

>開設中止科目:放送授業科目 大学院人間発達科学プログラム
>       「生涯学習の理論と実践('10)」
>放送メディア:テレビ
                                                          >                                 以上

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

速読・・・

2014年03月09日 05時19分20秒 | その他
今日の日経新聞朝刊に「速読」について1面丸ごと使った広告が掲載されていた。

一面ぶち抜きの広告を打てるなんて、一体、この企業はどれだけの利益を計上しているのだろう・・・と思いながら読んでみた。「10分で1冊の本が読める」とか、「資格試験、進学試験などを控えている人にとって、まさに福音とも呼べる能力開発法ですね」とか、「10倍以上も読書スピードが上がる」といった刺激的な言葉が並ぶ!

この速読法を修得することで「福音」を受ける人もいるかもしれないので、内容について否定はしない。

私として思うことは、速読=幸福という等式は成り立つのかという点である。我流の速読法で年間500~1000冊程度の本を読む。しかし、我流なので記憶に留まる情報量は些少である。どちらかというと、自分の「心理的感動のネット」にひっかかった情報を、コピーしたり、手控えにしたりすることで、知識の定着を図る戦法である。

本当に速読はできるのか?もし本当に知識の定着ができる速読が存在するなら、「辞書」や「参考書」を、まさに「瞬間記憶能力」ともいえる力でコピーし続ければいい。そうすれば全員一流大学合格であり、世の中から受験戦争は消え去ることだろう。資格試験も同じ。そんな便利な方法があるなら、資格試験はなくなり、「行政書士」や「司法書士」等々、各種資格は「1週間程度の缶詰学習」といった講習を受講することで与えることが可能となる。資格のプログラムのテキストを渡して速読させるだけ。知識も定着するなら、それで十分となるのである。いや、文庫本1冊10分で読めるなら、1週間どころか、1日でOKだろう。

速読法が確立されていれば、そういう活用もできるはずである。


私が我流でやっている速読法は、実は速読ではない。それが証拠に、「速読できない本」の方が多い。「数字が羅列されているような本」「古文」「感動の名作と呼ばれる本」「初めて読む研究分野の本」等々。すべてのページをめくり、すべての文字に目を通す。だから、見出しだけを読むような「インチキ速読」とは違う。どちらかというと、その本の内容を1ページ先読みして、その内容を確認するために目を通すという感じの読み方である。本の作家とシンクロすることで、「きっと、このようなことを書いているのだろう」と想像し、それを確認していく作業である。

だから、数学の苦手な私には、数字の先読みはできないし、何が書いてあるのか、一文字ずつチェックしなければわからない古文も速読不能である。感動するために読む本を速読しては、感動する場面すら超高速で駆け抜けてしまうのでNG。初めて読む分野の本は、まったく内容が想像できず、やはりじっくり読み進んでゆくこととなる。

同じ本なら、1回読むより2回目、2回目よりも3回目・・・といった感じで、誰でも、読むスピードが速くなっていくはずである。それは、読む回数が増すごとに、どこに何が書かれているかわかっていくからである。私の場合、それを、1冊の本ではなく、各分野で実現しているといった感じなのかもしれない。自分の強い分野の本は、かなり高速で読めてしまうのは、内容の想像ができているからである。ゆえに、慣れ親しんだ分野の本であったとしても、「最新の数字」や「新しい用語」等が記載されていると、その数値を確実に把握するため、そこでストップしてしまう。ある意味、偽りの速読法といえる。

そんな私の読書における楽しみは、「ゆっくり読む」ことである。速読モードなら、わずか10分もあれば読めてしまう小説を、じっくり読み漁ることである。読書に感情を落とし込むことで、本の主人公と一体化することができる。時に、涙のひとつでも流れれば、心理的にもカタルシス効果を得ることができる。

この場合、遅読=幸福という等式が成り立つ。速読だけが賞賛されるものではない。作家が命を削って世に出した作品を、心して読むことが必要な時もあるわけである。何のために読むのか?ということを問いかけ、TPOにあった読み方ができればいいのでは・・・と思っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする