つまらぬことで憂鬱になる人もいるものだ・・・
ネットで見た記事に以下のことが書かれている。
はあ? なんだそれ。「学歴ロンダリング」に対し、批判めいた意識を持っているなら、一度、その「学歴ロンダリング」が簡単か、簡単じゃないかを試してみればいい。自分が卒業した大学より高い偏差値の大学院に入学して、修了してから発言すべきだろう。きっと、やってみると、そんな戯言が言えないことが認識できるはずだ。
まあ、そんな虚言を吐くことができるのは余程、余裕のある方なのだろう。そもそも、社会人になってしまうと、大学院を選択することなんてほとんどできないのだから。
会社で休学や派遣の制度があればいいが、なけれえば夜間か通信しか大学院は残っていない。そして、夜間大学院は授業開始までに通学できないと志望校から外さなければならない。通信制の大学院は平成30年度の数字ではたった27校しかない。半分以上の14校が関東にあって、SCに参加しようとすると、地方の人は多大なコストと労力がかかる。あるいは、地元の通信制大学院を狙うか?
そもそも、大学院って、自分のやりたいことを学ぶ場所。いわば、己の専門分野を磨くところなんだから、指導してくれる先生がいないと話にならない。というか、概ね、志願する際には、「○○大学大学院の××先生に師事し、△△学を研究したい」ってことになっている。大学名で選んで何がしたいのか?
それこそ、ネットの記事後半に書かれていることが的を得ている。
そうした声がある一方で、「逆学歴ロンダリング」と言われてしまった人もいる。東大文系から別の私大院に進学した30代女性・Cさんだ・・・「自分が専攻したい分野に合った研究室を選んだだけなのですが、私の経歴を知った人は、『何で東大を出ているのにわざわざ?』という目線を送ってきます。『東大の院に行けなかったのね』と遠回しに言われたことや、『最終学歴が東大じゃなくなるの嫌じゃないんですか?』と直接的に伝えてくる人も。別に本人がいいなら、それでいいじゃないですか」(Cさん)
その通り。自分の研究テーマを「大学」に合わせるのではなく、自分の研究テーマが追究できる「大学」を選ぶのが、より深く、専門性あふれる研究ができるってものだ。それが、選べるなら、母校でも、偏差値が高い大学でも、偏差値の低い大学でも構わないと思うのだが。
というか、大学院に偏差値ってありませんから。大学院に疎い方は、大学の偏差値=大学院の偏差値と誤解されますが、そんなの全く関係ないので。
まあ、このブログに来て下さる方々には、そのような誤解をする人は皆無でしょうが、世間一般では、色眼鏡で見てくる輩もいるわけなのですね。
常々言っているように、学修に貴賤なし。短大でも、大学でも、大学院でも、あるいはシルバー大学でも、カルチャーセンターでも、学ぼうという姿勢に上下や良し悪しなんてないのです。ただ、自分がどのように学ぶかだけ。入学した時の真摯な気持ちを忘れず、愚直かつ精いっぱい努力する姿こそ美しいのです。
院試も受けず、院にも行ってないなら、頑張った人を否定するようなことを言わないこと。逆に、揶揄するくらいなら同じことをやってみること。でも、きっと、同じことをやってみたらなら、院を修了するころには、揶揄することが、いかに的外れかが身に染みてわかるだろう。ですので、ゆめゆめ、不用意な発言で、頑張ってきた人を憂鬱にしないように。