新旧の鉄道&風景の撮影紀行

鉄道のある風景、京都をはじめ自然のある風景をカメラに納めてます!

旧北海道の撮影紀行(5) 函館本線(銀山ー然別)

2011年09月21日 | 函館本線

昨日の撮影は、104レを倶知安峠越え、103レを倶知安のバルブ撮影で終えて再びニセコユースホステルへ宿泊した。

このYHの宿泊客は二つにタイプに別れる。

一つのタイプはスキー客ーーーこのYHの上にスキーのゲレンデがありニセコはパウダースノーで雪質は抜群に良い!

もう一つのタイプは、鉄ちゃんで函館本線の倶知安駅に近くニセコ103レを撮影後に便利である。

YHで同じ部屋に泊まったり、お風呂で一緒になったりすると、どちらの趣味かを聞いてから話題を選ぶ訳で、鉄ちやんであれば

SLの情報や撮影地などの情報交換を行い盛り上がるわけで,明日の撮影地はどこのしょうかとかを考える!

翌朝、YHの玄関を出るとその前に表れる展望は蝦夷富士である羊蹄山が雪景色の中で素晴らしい山容を見せてくれる。

      

   朝の倶知安駅を出発する上り各停 D51重連                                     雪深い銀山駅を発車する上りD51各停

 

今朝は、倶知安駅から下り各停に乗って銀山駅に向かう。銀山駅は雪の綿帽子をかぶったような風景であり線路の雪はラッセルする

関係から客車の窓の高さまである。銀山から然別方面へ約40分ほど行くと216キロポスト付近?のSカーブに到着する。

少し雪の丘に登るが急坂のため膝を折り曲げて雪に潜り込まれないようにして登ると、背景の山々が墨絵のような風情がありその中を

線路がSのカーブで曲がっており抜群のロケーションである。

三脚を立ててカメラ(6×6版、35mm版)、8ミリシングルエイト、録音機をセットしてニセコ1号104レを待つていると、

背後の墨絵調の山容は時折吹雪きになって見え隠れする。

雪空の彼方からジエット機の音に似た音が聞こえてくると思わず空を見上げるーーーやがてその轟音は段々と近ずいてきて大きな

音として接近してくるとSカーブから頭を出すと一気に接近してくる。ーーー録音機をスタートさせ、8ミリのボタンを押し、

カメラのレジーズに力を入れてシャッターを切るーーー目の前を大きな2台のC62が主連棒を力強く押しながら通過する、そしてクランク

音、客車のジョイント音がするーーーやがて視野から消えるが豪快なドラフト音は残響し、石炭の匂いがいつまでも漂っているーーー

ーーー汽笛が聞こえたので銀山駅を通過した頃だろう  ーーーすべてのドラマは終了するーーー主題のドラマは1日1本の急行ニセコ1号だけだから!

    

       墨絵調の山々からC62が姿を表す                                   C62重連が噴煙をあげてやってきた

 

以下、次に続く!

 


旧北海道の撮影紀行(4) 函館本線(倶知安峠)

2011年09月20日 | 函館本線

                           倶知安峠に挑む上りD51客レ

 

 昨夜は、倶知安駅で夜の103レをバルブ撮影後、駅から歩いて10分程度のニセコユースホステルに宿泊した。

このYHは倶知安の定宿で昭和43年4月から47年3月まで延べ16泊したことになる。(会員証のハンコの数を数えてその数の多さにビックリ)

それだけC62のニセコを追いかけた数が多かったことを表していますが、その写真の出来映え(成果)は、天候が吹雪で視界不良であったり

煙が流れて機関車がうまく撮れなかったり、帰ってきてフイルム現像に失敗したりで、雪晴れでC62重連が決まった写真となるとは少ない限りです。

今朝は、小沢ー倶知安の急勾配区間である倶知安峠に出かけてC62重連104レ撮影のために駅前からバスに乗車して小沢峠下で下車する。

バスの中で黒いカメラバッグに三脚を持って乗車していると、乗客のおじいさんから結婚式の写真を撮りに行くのかと結婚式のカメラマンに

間違えられたエピソードがあります。

バス停は函館本線をオーバークロスする付近に停まるので,撮影地はバス停の前後に数カ所のポイントがあるが、日を変えて色々なポイントへ

向かう。今朝はSカーブのポイントへ向かい足下の雪を踏み固めて三脚をセットする。時折吹雪きとなり視界が不良になる中を、9600

貨物を引いてやって来たり、ラッセル車が登ってくる。やがて真打ちの出番C62重連の登場です。

     

     ラッセル車がD51に牽引されて登ってくる      9600貨物が下る(雪の壁にご注目ーーー高い)

 

小沢駅を発車した上り急行ニセコ1号104レはかすかに汽笛の音が吹雪の中で聞こえる中で独特の緊張感が漂う中で、再度カメラなどの点検をする。

その頃のカメラは、今のカメラと違って全て手動でセットしなければならない。フイルムの巻き上げは大丈夫か? シャタースピード、絞りは適正か?など

気象条件がころころ変わる中でその時々に適正露出にしなければならない

やがて、吹雪の中を独特のジエットの爆音にブラスト音が大空の空間からこだまして聞こえてくる、やがて白黒の豪快な二条の噴煙はC62の短い煙突から

溢れんばかりに排出してやってくる。

吹雪も納まりC62重連が長い客車を従えてSカーブを曲がってくるーーーやがてカメラの前を真っ黒い鉄塊がまるで人間の鼓動を打つように駆け抜ける! 

客車が「ゴトン、ゴトン」と言う走行音は雪に吸収されながら通過する走行するーーー汽笛が鳴り、サミットのトンネルに入ったのか再び雪の静けさに戻る!

 

 

           倶知安峠越えに挑むC62重連急行二セコ1号 104レ

 

以下 次に続く!


山陰本線の秋景色 

2011年09月19日 | 山陰本線

9月の3連休中は山陰本線、福知山線の183系は通常の4連から6連に増結されています。

山陰本線の胡麻付近でコスモス、稲穂を前景に秋景色を撮影してきました。

(撮影:2011.9.18 カメラ:ニコンD700 AFS24~120mm F3.5~5.6))

 

   夕日を浴びて183系6連が行く                                稲穂と稲干し風景の中を183系6連がお出ましだ!


京都美山の茅葺きとソバ畑

2011年09月18日 | ジュイフルトレイン

今日(9月18日)の京都府南部の天気予報は晴れの予想だったので、朝からR162を経由して美山町北村の茅葺きの里を訪ねました。

現在はちょうど茅葺き民家が立ち並ぶ前に、一面真っ白なそば畑が広がっています。

過去にそば畑の写真を撮影した事がありますが、何か平面的な仕上がりだったので、今回は太陽の光線が斜光の方が

良いので朝8時に現地に到着しました。白いソバ畑と黄金色の稲穂を前景に茅葺きの風景を数人のカメラマンと一緒に撮影しました。

なお、9月23日は稲刈りや稲干しなどのイベントがあるそうです。

 

          一面のそば畑を前景に茅葺きの民家が立ち並ぶ日本の原風景

     

       茅葺きの里の入口付近                                                黄金色の稲穂を前景に茅葺きが立ち並ぶ!

 

 

 

 


旧北海道の撮影紀行 (3) 函館本線(長万部、倶知安)

2011年09月17日 | 函館本線

函館本線の上目名駅から長万部駅まで普通列車で戻って長万部機関区を訪れて撮影許可をお願いすると、

職員の方は、わざわざ内地からSLの写真を撮りに来たとのことで,当時は珍しかったのか快く承諾してくれました。

構内に入ると先ほど急行ニセコ1号の前補機を勤めたC622が疲れを癒すかのように白い蒸気が車体から漏れ出て駐機していた。

他にD52、D51、96、C55などのSLが出発したり、順次石炭の補給や点検などを行っていた。撮影後に事務所へ立ち寄りお礼の言葉をかけて駅に戻った。

長万部といえば駅弁の「かにめし」が有名なのでこれを食べないわけにはいかないので遅い昼食代わりに買い求めて早速賞味する。

長万部駅からは、下り急行二セコ3号103レに乗車する。駅のアナウンスでニセコ号の進入のあと「長万部~、長万部~、室蘭本線乗り換え~」のアナウンス

とともにC623牽引の下り急行二セコ3号がホームに到着した。やがて単汽笛1声でC622がバック運転で進みC623の連結器に「ガチ−ン」と連結される。

   

長万部駅に到着のニセコ3号 103レ (昭和46年撮影分)              長万部駅で給水作業中のC62

 

 

  

    長万部駅で重連になったニセコ3号103レ                二股ー蕨岱の急行二セコ 103レ

汽笛が2つ吹鳴すると急加速でポイントを渡って一路小樽を目指す 二股、蕨岱、黒松内、熱郛と通過して行き熱郛ー上目名間が20/1000の急勾配にさしかかる。

客車の先頭車に乗り、窓を少し開けてテープレコーダーのマイクを窓に挟んで走行音を録音するが、風を切る音が「ゴボ、ゴボ」と録音されていたが、やがて

急勾配に差し掛かるとブラスト音が大きく聞こえ始めて豪快なC62重連の音を録音する事が出来た!

             

  雪原を行くニセコ3号 103レ  

                                                                                          

外は次第に暗くなり景色は楽しめないが、走行音を楽しんでいるうちに、倶知安駅に到着したので下車して停車中の103レをバルブ撮影する。

倶知安駅で2機のC62が交互に給水作業を行い、炭水車上では石炭の山を均す作業が行われている。やがて汽笛が2声鳴った後ドレインを切って発車して行った。

発車後は、定宿であるニセコユースホステルに行き、久しぶり会うペアレントと歓談した後ベッドについた!


雪の倶知安駅でドレインを切って出発をするC62重連 ニセコ3号 103レ


以下は次に続く!



昔の東北、北海道撮影紀行 (3)  函館本線(上目名)

2011年09月17日 | 函館本線

:北海道撮影紀行(函館本線)

昨夜の青函連絡船の深夜便で青森から函館に早朝4時20分に到着です。

函館駅のプラットホームではDC急行が並ぶ中で、D51牽引の旭川行きの普通列車121レが既に停車していた。

6時過ぎに函館駅を発車し北海道への一歩を踏み出した。

車掌さんは人懐っこいアナウンスできめ細やかに「到着駅の時間、乗り換え案内、車内での注意事項など」を延々と説明されたので、

函館駅を出発して次の停車駅である五稜郭駅に到着してもまだ終わっておらず、この様な長いアナウンスは初めて体験でした。

(北海道の車掌さんは如何に親切で丁寧かを感心した次第です;このアナウンスは持参したテープレコーダーに録音)


              

                      函館駅にて旭川行き各駅停車   D51147号機                                                        函館駅を発車した列車

列車は駒ヶ岳を背景にした大沼、小沼の付近を通ってイカめしで有名な森駅に到着し、やがて噴火湾増沿いに列車はカーブ

を描いて進み長万部に到着後、10時半頃に出発して左にポイントを渡り室蘭本線と別れて急勾配が待ち受ける山線に轍を向けます。

列車は熱郛あたりから急勾配にD51は喘ぎやっと撮影地の上目名に昼前に到着、鉄道官舎以外は何も無いような駅です。

上目名駅の前後は20/1000の急勾配のサミットになっており、この急勾配を走行する上り急行「ニセコ号」の勇姿を求めて多くの

鉄道フアンの来るメッカになっています。急行二セコは、我国で最大最強のC62が小樽ー長万部で重連で運転されるその豪快な走りっぷりは

素晴らしい! かって東海道本線で特急つばめ号を牽引した栄光はC622のデフレクターにツバメのマークが輝いている!

早速、駅の北側のあるスノーシエードを潜り抜けて151キロポスト付近まで移動して高台に登ると展望が急に開けてニセコアンヌプリ等の

山々が雪を冠った綺麗な雪景色に出会いでした。列車はニセコの山並みの裾野から段々と二条の煙をたなびかせて近づいてくる。

そして豪快なブラスト音を5号オープンテープレコーダーで、勇姿をカメラと8mmシングルエイトで収録する念の入れよう!

                    

 上目名駅に到着した下り普通列車                               ニセコアンヌプリ等の山並みの雪景色(右端に小さく煙が見えるのがSL)


             

               急行「ニセコ」1号104レが驀進する!    

                            

ニセコ1号の後にやってくる上りD51普通列車を撮影してから再びスノーシエードを通り抜けて駅に戻り、次の普通列車で長万部駅まで戻る

 

 

 以下 次に続く

 


 


 

 


東北と北海道の旅(2) 青函連絡船

2011年09月15日 | 青函連絡船

奥羽本線の陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関で雪の勾配に挑むC61、D51を堪能した後、各駅停車で弘前まで行き途中下車後再び青森行き普通列車に乗り換える!

                                夜の弘前駅に到着したC6124号機   ホームは静寂が漂う!

 

青森行き普通列車の牽引機はC612号機であり現在は梅小路蒸気機関車館で余生を送っている。弘前あたりから真っ暗な中を一路青森を目指します。

車内はスチーム暖房がよく効いて心地よく 時折汽笛が吹鳴されて旅情を掻き立ててくれます。

やがて終着駅の青森の車内放送があり乗り換え等のアナウンスがあり特に青函連絡船の乗り換え案内を注意深く聞きました。

やがて青森駅にホームに滑り込むとすぐにホームの先端まで行きにC61は照明に照らされて美しい。やがてC61が切り離されて9600が入れ替えのために

連結されていました。

              終着駅青森駅に到着した普通列車牽引したC612号機

                          客車を入れ替え中の19613機

* 青函連絡船の旅

駅の改札付近で青函連絡船に乗るために「乗船名簿」に氏名、住所などを記載します。これは万一の海難事故を考えてのセレモニーでしよう。

(普通列車の場合は普通の乗船名簿であるが、特急乗車の場合は車内で三本線の入った乗船名簿をもらう)

かっての洞爺丸の沈没海難事件を思い起さざるをえません。

改札から連絡船に接続する長い廊下を歩いて乗船乗り場へと向かいます。

青森駅で連絡船に向かう案内(S63年撮影分)

今日の青函連絡船は深夜便であり5,375トンの大雪丸が就航しており明日の早朝に函館に到着する。

           青森港に接岸して出港を待つ大雪丸(5,375トン)

 

連絡船の上部が乗客、下部は貨車を収納しており入替作業は9600形式のSLが貨車を連絡船に出し入れを忙しげに行っていました。

やがて出港時間になると乗船案内によりタラップを渡って乗船しますが、海の塩の香りと吹き付ける風が心地良い!

連絡船に入るとロビー、売店、食堂がありますが深夜のため食堂は閉まっていたので売店で弁当を購入して室内に入って遅い夕食を食べました。

(食堂が開店していれば「海峡ラーメン」を注文する。これはラーメンの中にイカやホタテ、カニの身などが入って美味しかった)

連絡船の座席は椅子席と座敷席があるが、私はもっぱら椅子席を利用して横の席に乗客がいない場合には座席で横になり仮眠する!

やがてドラの鐘の音とともに、「蛍の光」が流れて青森港の灯台を出て津軽海峡に入り一路函館を目指す。連絡船は5000トン以上あり

大型客船であるが、大海に出ると少し揺れるような感じがするが安心して休みにつく。

                    

   連絡船のロビー(応接セットがある)     連絡船の売店  (いずれもS63年に撮影)

 

早朝、津軽海峡を無事渡り終えると、船内には小鳥の鳴き声と音楽が流れて乗客は起きだして身支度を整える。

やがて、港内で待機していたタグボートが連絡船の横に近づき船体を横方向に押して函館港の桟橋に接岸する。

接岸の際は、連絡船からロープが桟橋に投げられて、桟橋のブイに引っ掛けた後は連絡船船首横の操作盤でモーターでロープを引っ張って微調整する。

その際には、後10メータ、5メーター、3メーターと業務アナウンスをしながら無事接岸を終えるわけです。

函館港に着いたとのアナウンスともに、多くの乗客はデッキを渡って函館駅のホームに向かうわけで、内地から北海道へ渡道したと言う実感が湧くわ。

                       

  連絡船に接近するタグボート               船首横の操作盤でロープを巻き取って接岸の微調整をする (いずれもS63年に撮影)     

 

なお、青函連絡船は昭和63年3月に青函トンネルの開通とともに惜しまれながら廃止になり快速「海峡」などの列車にバトンタッチされました。

しかし連絡船の廃止前には、全国から多くの乗船客が当地を訪れて最後の乗船を惜み各船とも満員の盛況で終えました!

私はいつもは連絡船の深夜便を利用していましたが、この時は昼間の連絡船に乗船して船旅を楽しんだり港や高台から航行する連絡船の最後の勇姿をカメラに納めました。

また青函トンネル開通後も8月から9月にかけての間、2往復の連絡船が復活して運行されたので息子と同行して旅行を行いました(夜間は、連絡船内を宿泊所として利用できました)

上りの連絡船に乗船した時はいつものコースを逸れて「仏が浦」の奇岩を観光できるようにサービスをしてくださったこともありました!

また、名物船長の北山船長にサインをお願いして長年の労苦を滲ませたサインをいただきました。

現在は、青森と函館にメモリアルシップでかっての勇姿を見学することが出来ます!

                     青森港に入港する十和田丸(S63年2月撮影)   

         十和田丸の船上デッキから津軽海峡を望む(昭和63年2月撮影) 

 

以下次に続く!


昔の東北、北海道の旅(1)

2011年09月15日 | 奥羽本線

今から数十年前、昭和45年3月/

京都は弥生3月の季節であり北野天満宮では梅のたよりのある頃に、まだ雪深いある東北、北海道と雪国へ鉄道の旅に出かける。

京都駅を19時30分発車の日本海号に乗車する。当時、京都口はEF58牽引でナハネ20寝台車、食堂車を連結しており動くホテルと言われていた。

当時の夜行列車と言えばボックス式の座席で座れば良いが、混雑時は立ったまま終点までと言う時代であったのでベッドで横になるのは有り難いご時世であった。

20系ブルートレインは3段ベッドのためベッドの高さが低く着替え場合には頭がつかえるので屈んで行い身体を横にして眠りにつくが旅行に行くと言う興奮から

中々眠りつけない。(当日は2号車8番上段) やがて寝付いて気がつくと灰色の日本海を北へと進んでいた。

列車は、途中の米原駅で機関車交換の後に北陸、羽越、奥羽経由して青森を目指しいる。

朝になって車掌さんがベッドの解体作業に来て,乗客は一時通路に避難して手慣れた解体作業を見守る。

中段、上段のベッドをかたずけて下段のベッドが長椅子代わりになって1ボックス6人が座ると行った風景である。

やがて、下車駅「大館」の車内放送があったので身支度をする。

大館駅について下車すると、駅のアナウンスが「大館、大館、花輪線乗り換え!」と少しズーズー弁のアナウンスに東北に来たのだと言う実感が湧く。

            

DD51牽引機    日本海牽引機    陣場駅の雪景色

            大館駅で見送る20系 日本海号 

 

大館で普通列車に乗りかえると機関車はC6128号機が客車が数量を牽引する。

         大館駅に到着のC6128号機 普通列車

大館から陣場駅まで乗って下車する。ここは秋田県と青森県の県境で陣場ー津軽湯の沢ー碇ヶ関急勾配が続くので,その区間は貨物列車は後補機

を着けて峠越えに挑む!

D51は平坦線では1000トンの貨車を引くが,急勾配(25/1000の場合)の場合は牽引力が1/3に減少する。

奥羽本線のように幹線の場合は、1000トンの貨車を引くためにD51+貨車+D51×2(後補機)で急勾配の運送量を確保していた。

客車はC61が牽引しており、後補機としてD51が使用されている。

(昭和45年10月に、勾配改良のため新線にルートを変えて10/1000勾配になって現在に至る)

雪の国道を歩いて線路端に行きSLの勇姿を撮影するが当時は、現在のように鉄道の情報はなく、いきあたりばったりで撮影するので効率が悪かったが

そのような条件下で迫力のある写真が撮れた時の喜びは計り知れない。

特にサミットとして矢立トンネルの前後で勾配に挑む黒い塊D51、C61が吹き出す大量の噴煙が鉄道の醍醐味であり魅せられた私です!

      矢立ごえに挑むD511+D51+貨物+D51

      C61牽引の上り普通列車

 

以下次に続く!


山陰本線の183系

2011年09月15日 | 山陰本線

今日も京都の最高気温は32℃の予想で快晴の天気予報です。

このところ、毎日、綺麗な夕日が空に輝いており、その後にお月様が満月の月明かりを照らしています。

今朝の写真は、夕方の太陽が差し込む山陰本線(胡麻)の183系国鉄色です。

白い入道雲が青空に映えて美しいです!

横の田んぼではコンバインによる稲刈りが行われていました。写真右の田んぼも、まもなく稲刈りを終えてるでしょう!

 

その


稲穂と183系(山陰本線)

2011年09月14日 | 山陰本線

今日も快晴です。京都の最高気温は35.2℃と真夏日で暑いはずでした。

朝から山陰本線の胡麻方面に行きました。

田んぼは、稲刈りの最盛期で、各地でコンバインの音が

していました!

183系(国鉄色)を流し撮りで前景の稲穂を流しました。

 

               カメラ:ニコンD700  24~120mm  F 3.5~5、6    S:1/30秒