★☆ 愛しき時間(とき) ☆★

2007年に乳がんと肺がんを克復しました。
現在 ACTH単独欠損症(特定疾患)、糖尿病の闘病中です☆

突発性難聴(発症94日目)

2008年07月05日 | 突発性難聴(右耳)

【突発性難聴☆闘病記録】(81)

★2008年7月5日(土)★
 <治療中止11日目

今日は晴れたり、曇ったり
雨が降ったり・・・
蒸し暑い一日だった。

耳鳴りと難聴は、当然、今も続いている。

薬を中止して10日余り経ったが、
右耳と左耳の症状は、以前とほとんど変わらない。
良くもならないし、
悪くなっているようにも思わない。

・・・ということは、
発症してこれだけ日にちが経ったら、
薬を服用しても改善が期待できないことになる。
後は好転を祈るのみになるのかなー。

A医師は、初診の日に、
「薬は出しません。止めてみましょう」と言われた。

その時、私は不安で不安でたまらなかった。
気休めでもいいから、薬を処方してほしいと思った。

突発性難聴は、
発症してすぐ、集中的に、
ステロイド治療を始めたら予後がいいと言われている。

A医師は、森山医師(仮名)の紹介状に書かれた私の経過を見て、
もう、薬の治療は期待できないと思われたのだろう。
何故なら、ほとんどの治療は森山医師により施されているのだから。

そんな私という患者をA病院に紹介されて、
A医師も戸惑われたにちがいない。
でも、たくさんの症例を診てきておられるので、
迷わずその診断ができたのだと思う。

それは、私の突発性難聴が、
今後、治るとか、治らないということは別として、
薬をこれ以上飲む必要がないと診断された。

今になってみれば、
A医師のその診断は、
私にとっては、よかった。

一日3回の薬の服用は、
結構負担になるものだ。

でも・・・

薬を飲むときは、
良くなりたい一心で、
良くなれると信じているから、

頑張って飲み続けることができる。

改善がみられたとき、その負担は負担でなくなるから。

しかし、効果がないとわかったときは、
中止するのが自然だろう。


一日3回の服薬がなくなった今、
耳鳴りのことを忘れている「時間(とき)」がある。
(自分でもびっくり!
耳鳴りに慣れてきたのかもしれないが、
私にとって、心身ともに楽になった。

昨日も書いたように、
私の体の一部になっている耳鳴りと、
今後は仲良く付き合っていきたい。

先日(7月3日)、耳鼻科の待合室で順番を待っているとき、
ふと・・・・・
私の右耳で鳴っている「耳鳴り」に申し訳ない気持ちになった。

「ごめんね・・・治してあげられなくて・・・」って。

とても不思議な感情に驚いている。




 

Comments (2)
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不安の中で

2008年07月05日 | 好きな言葉・詩

 

病に限らず、
何ごとにおいても、
因果関係の説明がつけば、
人は不安な中にも納得してそれに対処することができる。
ところが、
いくら原因を突き止めたいと思っても、
すべて解明されるわけではないのが、
人生、世の姿である。

とするならば、
不安におびえ悩むのではなく、
世の中には、
人知でははかりしれないこと、
理屈や理論では説明のつかない、
時に理不尽とも思えるようなことがあるということを、
まず受け入れるしかない。

そのうえで決してあきらめず、
現状を直視して、
最善と思う手を打ち、
あとは運を天に預けようと心を定める。
難しいことかもしれないが、
やはりそれ以外に道はないのではないか。

そうした境地に立つことができれば、
おのずから光明も見えてくるにちがいない。

~PHP7月号「『強い自分』になるヒント」~



今、病と闘っているみなさま、
諦めないで希望をもって頑張ってくださいね。
私も頑張ります。
いつか、明るい笑顔ができるように。
頑張ってよかった、と言えるように。
奇跡は必ず訪れることを信じて・・・
★ 歌音 ★


☆★画像は我が家に咲いているランタナの花★☆





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