「熊手在住」 さんから頂いたコメントに、『岡田宮は古事記に載っている』 とありました。
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神社のパンフレットをみると、確かに 「古事記にあり」 と書かれてあります。
神武天皇、日向国より東征の途次本宮に詣り天地神祇(八神)を観察し、ここに一年留まり給ふ由 「古事記」 にあり、この処を熊手と号す。
熊手とは、かように古い地名なのですね。 田町や藤田あるいは船町も古くからある地名だそうです。 それに比して黒崎は新しい地名です。
慶長十年(1605年)に黒崎城が城山に築城された折、ふもとに黒崎さんという方が居ました。 そこから 「黒崎」 という名が付いたというのです。 この話は、黒崎中学校の 『郷土研究部』 が調べたものを読んだのですが。 これでいくと、「黒崎」 は熊手などよりは千年近く新しい地名になりますね。
ちなみに、黒崎城は幕府の 「一藩一城」 布告により数年で取り壊されました。
パンフレットの前段には、もっと古い時代のことが書いてありました。
古代洞海、菊竹ノ浜(貞元)に熊族が祖神を奉納した地主神で岡田ノ宮と称す。
この、「熊族」 が球磨川流域などに部族国家をなしていた 「熊襲」 と同民族かどうかは浅学にして知りません。
以上、地名の続きでした。
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