お盆の精霊送りから戻る車中で、ふいに友のことを思い出しました。
人気blogランキングへ ← クリックを御願いします!
いつかブログで書こうと思っていましたが、そう考えている内に 思い出が風化していきそうに思えたので、思い出したのを契機として書きます。
同じ中学校に通い、高校は別だったのですが、大学で再び同窓となりました。 以来、長い付き合いでした。
過去形で書くのは、逝去から 2年余りが経ったからです。
友のことを思い出すと 心にポッカリと穴が空いたような気持ちになってしまうのは、この世に彼の生きた証が ほとんど無いからです。 いや。 皆無である とさえ言えるのです。
通夜のことから始めなければいけない。
彼の通夜が営まれている斎場を探すことから。 電話帳で上から順に、地域の葬儀社へと電話を掛け、やっと辿り着いた。 通夜の席に居たのは、奥さんと一人娘そして奥さんのお母さん。 それだけだった。
「どうやって ここを?」
そう尋ねる奥さんに、手短に 知った経緯と あちこち電話して判ったことを告げた。 こちらにも尋ねたいことは、山ほどある。
今日の昼頃に 女性から電話が掛かってきた。 まるで初めての相手。 「自殺されました」 端的に結論から告げられた。 昨夜 発見され、自分が最後の通話相手だったことで警察から事情聴取されたこと。 事件性が無く、自殺だと聞いたこと。 何か異変が あったら連絡してくれと 私の電話番号を以前から聞いていたこと。
涙ぐみながらも、的確に用件を告げた。 「斎場は?」 「判りません」
先ず 話を聞くために所轄の警察署へ行った。 「自殺で処理されています。 あとのことは個人情報で教えられません」 「個人情報って、もう故人になってるぜ」 これは心の中で呟く。
そして辿り着いた斎場。 なんで、三人だけ? 「誰にも知らせず、身内だけで送るつもりでした」 それって、俺にも教えないつもりだったの?
亡くなったときのことを 発見者である義理のお母さんが話してくれる。 話す内容に自殺であることを示唆する言葉が。 その度に、娘さんが 「おバアちゃん!」 と小声で注意する。 静かな死に顔を見ながら、この十数年間を思い出す。
転勤で広島県に家族で移った。 暫くしてご自分の父親が病気となって帰省した奥さんは、看病のため そのまま八幡に残った。 友は ひとり暮らしの不便さと仕事の行き詰まりから、直ぐに戻ってくるように激しく奥さんを非難した。
ノイローゼになった友は、後先も考えずに仕事を辞めて北九州に戻ってきた。 そのとき、俺や(たぶん)多くの友達は 家族を大切にすることを助言し続けていた。
だが、実は娘さんが引きこもりになって苦労が絶えなかったことを知って以降も 奥さんへの非難は止まなかった。
それまでの会社や先輩からの紹介などで幾つかの企業に勤めた。 俺は、ともかく部下のことだけ考えて働きやすくしてあげなさい、と言い続けた。 だけど、口にするのは職場と上司への不満ばかり。
そして、居場所は無くなった。
ブログ ランキングに参加中です