マンション管理士日記

地域を守る:マンションと地域の融合

友のこと ④

2010年08月21日 | 喜働

京都 東山五条にある、浄土真宗 大谷本廟。

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昨年の七月二十九日に訪れたことは 当時のブログに書いた。

お前の奥さんからは、何日 経っても墓の件も何も音沙汰が無かった。

電話番号も知らないし、マンションに行っても不在だし。 ドアにメモを挟んで帰るが、返事も無い。

ふと予感がして。 マンションの近くにあると聞いていた実家を捜しに行ってみた。 おおよその方向しか判らないけど、軒並み表札を見て歩いて。 奥さんの旧姓はお前と同じ。 つまり同姓同士で結婚したもんな。

あった。

呼び鈴を押す。 義母さんが出る。 やはり、こちらで生活していると聞く。 自殺したマンションはイヤなのかな? 必ず連絡を欲しいとメモを渡す。

夜、電話がある。 「お寺に頼んでいます」 「はぁ?」 「実家では お墓に入れないと言いますし、私は 他人になったので お寺に頼みました」

「その お寺って?」

寺の名前を告げられて電話は終わる。 若松にある お寺らしい。

実の兄は お前を 母親の墓に入れないと言う。 奥さんは他人だと言う。 お前の骨は行き場が無いのか…

翌日、寺を訪れる。 ご住職は不在。 「昨日から京都に行っています。 あぁ、あの遺骨ですか。 うちの寺とはまったく縁(ゆかり)が無いんだけど、葬儀社の人から無理やり頼まれて(!)預かっていました。 ちょうど、京都に行くようになっていたので、向こうに納めましたよ」

「納めるって、どこに?」

「大谷本廟の明著堂です」

今日は七月三十日。 だから、納骨されたのは、七月二十九日。

今さら言っても詮ないが、もう少し早く お寺を教えてもらっておけば、お前の遺骨に手を合わせることも出来たのにな…

それにしても。

お前は この世に存在したのか? 本当に居たのか? そう思ってしまうほど、哀しい扱いじゃないか。

死して後、誰からも見放され まるで品物の如く、それも不用な品物の如く扱われて。

帰宅して、奥さんに手紙を書いた。 明著堂に納められたことを記し、明著堂の場所を示す地図も付けた。 あなた(奥さん)は他人になっても、お嬢ちゃんにとっては ずっと父親なのだから。 いつか、父親を慕う日が来るに違いないから 必ず教えて欲しい、と。

そうだ。

お前が生きた証には、お前の娘が居る。 お前の娘の中に お前が生き続けることを願って この手紙を出す。 だけど。

お前の娘に届くかどうか。 お前の娘がどうするか。 それは 俺の手の届かないことなのだよ。

これで。

これで、お前のことを終える。 最後に お前の名前を書こうかと迷っている。 お前の生きた証になれば、と思って。 だけど、止める。 そんなものは、お前の生の証じゃないから。

俺は いつまで明著堂を訪れるのだろう。 俺は いつまでお前の命日を思い出すのだろう。 俺は あと何人の友の死を見届けるのだろう。

お前より儚い死が無いことを切に願う。 お前には悪いが、俺は それほど強くないんだよ。 こんな儚さは お前だけで、もう充分なんだよ。

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