先々回のブログで、柿南京梅鳥紋中皿を紹介しました。
この皿をもう一度、じっくりと見てみました。
先回のブログの呉州手柿釉餅花手梅鳥紋中皿(右)と比べてみます。
非常によく似ています。器形、大きさ、裏面のつくりはほとんど一緒です。
どちらも、柿釉の地に、白泥で花鳥図が描かれています。いわゆる餅花手です。
梅の木に鳥(多分、鶯)がとまった構図もよく似ています。
両者で異なる点をあげるなら、今回の皿(左側)は薄造りで、胎土が右の品のように茶色ではなく、灰白色です。また、柿釉の茶色が深く、全体に均一にかかっています。高台の砂の蒔き方も控えめです。呉州手の中では、上手の造りといってよいでしょう。
今回の品をもう少し、詳しく見てみます。
驚くことに、絵模様は、すべて、皿の表面を鋭く削って描かれています。枝の直線部だけではなく、花びらの曲線部も削り彫られています。
削った部分が融解した様子はないので、本焼き後の非常に硬い釉薬面を削っていることがわかります。
餅花手の特徴である、白泥を丸点状に置いて、蕾を表しています。
非常に小さな鳥の目(1㎜以下)にも白泥で白点がうたれています。
幹の部分は、削った所へ白泥をさしています。
幹の太さや凸凹に対応できるよう、筒描きではなく筆を用いていると思われます。
蕾の白点は、いずれもほぼ円形です。白の点は、凹凸が
なく真っ平なものがほとんどですが、丸く盛り上がったものもあります。
真っ平な白点は、表面より少し下へ沈んでいます。
さらに、拡大してみます。
【枝の先端部】 【枝の中央部】
シャープに削られています。
削られた部分の端が筋状に黒くなっています。
表面を薄く削った先端部は、全体が黒化しています。
【表面が真っ平な丸点】 【盛り上がった丸点】
ほとんどの丸点は真っ平で、周りのエッジが少し立っているように見えます。
盛り上がった丸点は、枝先端部の小さな蕾だけに見られます。
【幹部】 【先端部】
幹部には、白泥を置く時の筆の起点が見られます。
先端部は、いずれも、薄く削られていて、胎土は露出していません。鋭い刃で、一気に彫られたことがわかります。
最期に、右上の大きなほつれを覆う漆を取り去ってみました。
黒く縁どられた円形の部分が現れました。しかも、そこには白釉がさされているではありませんか。白釉部の硬度は低く、簡単に剥がれ落ちます。
この丸はほつれではなく、丸く削った部分に白釉が置かれ、太陽か月を表していたのですね。
梅に鳥と太陽(月)。これが、本来描かれた絵だったのです。
以上より推定される今回の皿の造り方をまとめます。
①胎土で皿を作り、柿釉、透明釉を施す。
②高温で焼成する。
③皿の表面を鋭利な道具で削り、白泥を入れ込む。
④低火度で焼成する。
削った部分の端が黒くなっているのは、④の操作で柿釉中の鉄分が端の部分だけ酸素と接触し、酸化されたためと考えられます。この時、透明釉は溶けないので、削った部分のエッジは鋭れたさを保ったままの状態にとどまります。枝の先など、上釉部分が浅く削られて柿釉が露出している部分は、彫られた部分全体が黒くなっています。
白釉で丸くうたれた蕾の部分は、おそらく、白釉を丸く置いた後、水平に削り取ったのでしょう。象嵌の手法です。その後、低火度焼成されて体積が縮むので、焼き上がりは水平より少し下に白釉平面がきます。一方、枝末端の小さな丸点の白釉は水平に削るには小さすぎるので、上に飛び出たまま低火度焼成されたと思われます。
いろいろ見てきましたが、この皿の特異な点は、焼成された柿釉皿の表面を鋭利な道具で削って絵を描き、そこへ白泥をさして作られていることです。この点、通常の餅花手とは根本的に異なります。
先回の呉州手柿釉薬餅花手梅鳥皿のように、通常の餅花手は、柿釉薬の上に白泥で絵を描き、その上に透明釉をかけて、高温で焼成します。
一方、今回の皿の技法は、象嵌の一種です。象嵌とは、金属、木などの素材表面を削り、そこへ他の素材を嵌める工芸技法です。
陶磁器では、中国磁州窯の白、黒象嵌、高麗の象嵌青磁、李朝粉青沙器の三島手などが象嵌の技法を用いています。
しかし、いずれも焼成前の柔らかな器胎を削り、そこへ色土を埋め込んだものです。この品のように、完全に焼きあがった硬いガラス質の表面を削ることはあり得ないのです。
この皿は、金属や木材などと異なり、硬く脆いので、彫りは極めて難しいはずです。しかも、枝部の直線的彫りだけでなく、花びらや鳥の曲線も一気に彫られています。
試しに、彫刻刀で挑んでみました・・・・硬い!!皿には、全く傷がつきません(^^;)
こんな皿を、一体、
誰が、
何のために、
どうやって造ったのでしょか?
謎は深まるばかりですが、困難に挑戦した昔人の心意気に敬意を表して、あえて呉州手、餅花手の語は削り、
『柿南京白象嵌梅鳥紋中皿』
の呼称を与えたいと思います(^.^)
色、形に先に目がいっていましたが、技法を知るとそれを取り巻く世界が一気に広がります。
こちらのブログを読ませて頂き、見方が変わりました。
ブログを書くとなると、品物を一生懸命に見るので、あらたに見えてくるものが多くあります。また、必死に調べ、考えるので、ずいぶん勉強になります。
ブログのおかげです(^.^)
このようなものは初めて見ました。
少なくとも、伊万里では見たことがありません。
本焼きしたものの表面を削っているんですね。
現代なら、ダイヤモンドカッターというようなものがありますから出来るかもしれませんが、当時、そのようなものがあったんでしょうかね?
ダイヤモンドのような硬い物で、根気よく削ったんでしょうか。
大変な手間ですね!
拡大写真は、顕微鏡のようなものを使用しているんでしょうか?
鋭い観察と考察に拍手です!
ガラスを削る訳ですから、やはり金剛砂のような物を用いたんでしょう。
なにせ中国、数千年まえには玉を削り出したのですから、こんな芸当もできるのでしょう。
それにしても、発想が尋常ではありません。
ひょっとしたら、日本の茶人からのリクエストかも!?(^.^)
表面の写真がとれます。中国青磁の気泡もこれでとりました。
倍率は数十倍ですが、写真が大きいですから、実感はそれ以上(^^;)
正直なところ伊万里以外はさっぱりなワタシではありますが
いったいどういう素性の品なのか興味を惹かれずにはおられません。
釉薬の掛かった固い表面を削るという技法は想像が付きませんが、なにか特殊な技法でもあったんでしょうか
(伊万里における墨弾き、あるいはエッチングのような・・・)
謎は深まるばかりですね。
清朝ガラスにも、皇帝や貴族向けに精緻な彫り施した物がありますから、皿を削ることのできる技法はあったのでしょうね。
ただ、コスト的にはかなりの高級品になってしまいます。
せっかく彫ったのに、白釉をいれていない箇所が結構あります。見本として、試験的に作ってみたのかもしれません。