伊万里焼の初期色絵芙蓉手大皿です。
gooブログの古陶磁愛好者の中で、古伊万里の初期色絵をアップしていないのは、私だけになってしまいました。このままでは肩身が狭いので、手持ちの品を出します(^^; 実は、これは、ブログ〇年周年記念用の品にとっておいていた物です。しかし、後出しジャンケンの鬼としては、ジャンケンの輪に加わる方を選んだのであります(^.^)
径 36.1cm、底径18.4 ㎝、高 6.7㎝。江戸時代前期。
17世紀後半、古九谷の範疇に入る色絵陶磁器ですが、初期色絵の呼称の方が良いように思います。中国の芙蓉手染付大皿を手本にして作られた物でしょう。半陶半磁の素地に白化粧を施し、その上に色釉で絵付けがなされています。上釉はかかっていません。
鍋島支藩、蓮池藩の吉田窯で焼かれた品と思われます(小木一良『新版 伊万里』)。伊万里焼の中でも、初期の輸出品です。今回の品物は、インドネシア、スラバヤの河口堰で発見された物として売りに出されていました。
これが伊万里焼といえるかどうかですが、伊万里焼の名称は、有田の地で焼かれた陶磁器が伊万里港に集積された後、各地へ運ばれて行ったことに由来します。輸出向けであった今回の大皿は、伊万里港に集まった品の一つちがいありません。したがって、立派に伊万里焼と言えるのではないでしょうか。
水辺に鳥(鴨?)が一羽。
その周りを花やお目出度い品々が取り囲んでいます。
川床から拾われた物なので、色絵は相当擦れています。
大きなニュウがあちこちにあります。
ニュウには漆を入れて止め、ホツ(10時の位置)は金継ぎで補修しました。
裏模様も、実に簡素。
高台内には目跡が3つ。
大皿の中央部は、少し凸になっています。
8時の位置のへこみは窯疵。しかし、そこからもニュウが走っています。
満身創痍の品ですが、本家、中国の芙蓉手は染付がほとんどで、色絵の芙蓉手大皿はありません。
吉田窯の色絵大皿は、これまで、色絵鳳凰紋印判手大皿と色絵獅子紋印判手大皿が知られています。いずれも、中国の呉須赤絵を手本にして、日本的にアレンジした物です。今回、色絵芙蓉手鳥紋大皿が加わり、中国写しの傾向がいっそう明確になったと思います。
大皿の裏側、こちら側と
向こう側に、陶工の指跡がついています。
白化粧だからでしょうか、初期伊万里を含め、これだけはっきりと指跡が残っている品は少ないです。
手の指を指跡にあてがってみると、丁度両手で大皿を支える体勢になります。300年以上前の陶工が、こうやって初期色絵大皿を作ったかと思うと、大切にしてやらねば、という気持ちがいっそう強くなりました(^.^)
傷がその修理の仕方で傷でなくなるなど、面白い世界でございますね。
私の難聴も補聴器をつけると傷でなくなるとか?
いやいや補聴器をつけても聞こえないですから、やはり役立たずでございます。
!!!!!!三度見しました。しかも大皿ですし、どこぞの美術館にあるようなものじゃないですか!
また出自がよいですよね!地図みたんですけどスラバヤってジャカルタから結構距離ありますよね。
そこの川から巡り巡って遅生さんのところへ350年かけてたどり着いたなんてロマンというかドラマというか本当に良いものを見させてもらいました。
またお皿の色使いが本当に美しいです。めちゃくちゃ惹かれます。
勝手に興奮して拝読しています。笑笑
これまででも十分すごいコレクションなのに遅生さんの後出しじゃんけん恐るべしでした!!!
けれども、数百年前に陶工が一生懸命に作った物であり、どこかにその痕跡が残っていないかと無意識に探してしまいます。冷たい皿の中に、数百年前の人の温もりを感じることができるとジーンと来るものがありますね。
金継ぎ補修でも完全には直りません。
だましだまし長く持たすための知恵です。
人間も似たようなものかとも(^.^)
おそるおそる漆を浸み込ませて、fixしました。ニュウの上に金を塗ると、くどくなりすぎるのでやめました。その分、漆の線が目立ちます(^^;
芙蓉手の意匠は中国ですが、色使いはひかえめで日本的ですね。
昨今、大皿は敬遠されがちですが、こういう品ならWelcomeですね(^.^)
「gooブログの数少ない古陶磁愛好者の中で、この手の品をアップしていないのは私だけになりました(^^;
これは何とかせねばなりませんね(^.^)」
とありましたが、それは、こういうことでしたか((^-^*)
「ブログ〇周年記念用」にとっておいた物を、前倒しして、後出しジャンケン用に登場させたわけですね。
故玩館の収蔵庫の奥深さ、恐るべし!
これは、「海揚がり」ではなく「河揚がり」なわけですね。
これぞ、まさに、出自といい、大きさといい、保存状態といい、美術館級ですね!
こんな大皿なら、私も大歓迎です(^_^)
敬遠しませんよ(^-^*)
*またまた余計なことですが、「底径8.4cm」とありますが、「底径18.4cm」の入力ミスかなと思いました。
もう、私のブログには必ずミス有りの前提でチェックをお願いいたします(^^;
河楊がりの陶磁器ですが、彼の地では、砂で洗う習慣があったと何かで読んだ記憶があります。当時はとても高価な品だったでしょう。習慣とは言え大胆ですね。
柄のタッチや色使いは、中国陶磁器とちがって、やさしい感じですね。