読書備忘録
内容(「BOOK」データベースより)
歌舞伎界のすべてが姻戚関係になったと言われた「中村屋」と「成駒屋」の結婚から30年。子供や孫にも恵まれ、中村屋は十八代目中村勘三郎を中心に、幸福の絶頂にあった。ところが、2012年6月、勘三郎は突然、ガンを告知される。食道ガンだった。入院、手術、ARDSの発症、最後の希望を託したECMO治療…。勘三郎の苛酷な闘病と、それを支え続けた家族の姿を、最愛の妻が綴った渾身の手記。
特に歌舞伎好きではないけれど、子役から何かとみてきた勘三郎だった。
まだまだ活躍するはずだったのに、残念!
たまたま弟の病院と同じだったからなんとなく読んでみたら・・・
手術した病院は・・・あの赤いヨーグルトがいいらしいと聞き、売店に行ったら売り切れていた有明の病院。そこは去年弟が息を引き取った場所。
データが欲しいのか?ちっとも患者に寄り添わないと、私が勝手に思っていた担当医は患者の望むようなことは億万長者でもない限り出来ない。とも言った。
この本を読んでいて億万長者だったのか?と思われるほど、結果は残念だったけれど患者、家族の願いどおり・・・もっとも有名人であるからして、なんとか舞台に復帰させてあげたいと願っていたのは医者も同じだったのだろう。
ガンだって・・・って報告するくだり。弟からの電話も同じだった。
中待合室で、先生は変えてもらえないのかね?冷たいからイヤなんだけれど・・・と言っていたご夫婦が出てきた部屋から呼ばれた。
ついに最上階に入院となったときにこの医者は、ちらりと見て、元気そうじゃない!と言った。
はぁっ!?
車椅子に乗せられ骨に皮がくっついているだけの弟は苦笑い、付き添いのみんなが顔を見合わせた。
最上階には一週間ちょっといただけ、よくも元気そうだなんて・・・
でも私、もしそうなったらあの病院がいいのです。
医者なんてころころ変わるからいいんだ。
海の見える飛行機の見える、一年に一度ランナーが駈け抜けるあの病院・・・移転してきているからまだ き・れ・い
番号が出たから、一人で大丈夫?に、うん!と言って山ほど薬を出され薬剤師さんから説明を受けていた時の後姿、振り向いて一緒に聞いてと呼んだ時の顔
親切だね。と言ったときは薬学部に通う息子の将来と重なったのかもしれない。
この病院のトイレの個室からの嗚咽は何度か聞いた。
それを聞き、ハンカチを顔にあてうっ!とやった方もみた。
受付やロビーでそういう人はほとんど見かけなかった。
もし誰かがみんなが居るところでやってしまったら、我慢している人たちが泣き出してしまうんだろうな?気を緩めると止らなくなるのね。
病院からちょっと歩くと東京湾
海があります。
誰もいないから・・・
今どきガンと聞いて驚いてはいけない!ってくらい周りには居るけれど、お元気に過ごされているようにみえる。
こちらが触れなくてもご自身でお話してくれるから・・・
私自身いつ何時ガンですと、いわれるかもしれない・・・先の事なんかわからない。
タバコは吸っていないのに・・・毎日30品目かかさず食べていたのに・・・なんで?な人だって・・・
始まりがあれば必ず終わりが来るのだから・・・ただ、弟のさいごをみていて、私の時はどこかのお国のように、医者に注射1本でイッキにやっとくれ!と言えるようになっていたらいいのに・・・と思った。
では、おやすみなさい、さようなら、とお別れの言葉を告げて・・・
奥様の好江さんは見るからにきかなそうだけれど、やはり・・・
この夫婦の喧嘩はすごかったのね。
息子さんたちは兄弟げんかをした時に包丁が飛んで来た。ってことを話されるけれど、男の子ふたり・・・一緒だからよくわかる。
でも・・・愛情いっぱい・・・家族の愛が溢れていました。
いい夫婦だったのね。
テレビによく出ている女医さんが、昔は治らないから本人に告知はしなかったけれど、今は治る病気だから医者ははっきり言う・・・と言っていた。
弟がもう・・・って時に私は右腕神経ブチ切れという大怪我をしました。
救急車で入った某国立大学の先生に、このままこの手はぶっら~んですか?って聞いたら、かわいそうですがおそらくそのままでしょう。
左手より長くなってぶら下がっている右手をぶっらんぶっらんさせて生きるのか?やだなー・・・
今
多少不便でも誰が見てもちっともわからない、フツーに戻っております。
わからないことだらけ・・・
やたら長い備忘録になってしまいました。
備忘録と言うよりも・・・
内容(「BOOK」データベースより)
歌舞伎界のすべてが姻戚関係になったと言われた「中村屋」と「成駒屋」の結婚から30年。子供や孫にも恵まれ、中村屋は十八代目中村勘三郎を中心に、幸福の絶頂にあった。ところが、2012年6月、勘三郎は突然、ガンを告知される。食道ガンだった。入院、手術、ARDSの発症、最後の希望を託したECMO治療…。勘三郎の苛酷な闘病と、それを支え続けた家族の姿を、最愛の妻が綴った渾身の手記。
特に歌舞伎好きではないけれど、子役から何かとみてきた勘三郎だった。
まだまだ活躍するはずだったのに、残念!
たまたま弟の病院と同じだったからなんとなく読んでみたら・・・
手術した病院は・・・あの赤いヨーグルトがいいらしいと聞き、売店に行ったら売り切れていた有明の病院。そこは去年弟が息を引き取った場所。
データが欲しいのか?ちっとも患者に寄り添わないと、私が勝手に思っていた担当医は患者の望むようなことは億万長者でもない限り出来ない。とも言った。
この本を読んでいて億万長者だったのか?と思われるほど、結果は残念だったけれど患者、家族の願いどおり・・・もっとも有名人であるからして、なんとか舞台に復帰させてあげたいと願っていたのは医者も同じだったのだろう。
ガンだって・・・って報告するくだり。弟からの電話も同じだった。
中待合室で、先生は変えてもらえないのかね?冷たいからイヤなんだけれど・・・と言っていたご夫婦が出てきた部屋から呼ばれた。
ついに最上階に入院となったときにこの医者は、ちらりと見て、元気そうじゃない!と言った。
はぁっ!?
車椅子に乗せられ骨に皮がくっついているだけの弟は苦笑い、付き添いのみんなが顔を見合わせた。
最上階には一週間ちょっといただけ、よくも元気そうだなんて・・・
でも私、もしそうなったらあの病院がいいのです。
医者なんてころころ変わるからいいんだ。
海の見える飛行機の見える、一年に一度ランナーが駈け抜けるあの病院・・・移転してきているからまだ き・れ・い
番号が出たから、一人で大丈夫?に、うん!と言って山ほど薬を出され薬剤師さんから説明を受けていた時の後姿、振り向いて一緒に聞いてと呼んだ時の顔
親切だね。と言ったときは薬学部に通う息子の将来と重なったのかもしれない。
この病院のトイレの個室からの嗚咽は何度か聞いた。
それを聞き、ハンカチを顔にあてうっ!とやった方もみた。
受付やロビーでそういう人はほとんど見かけなかった。
もし誰かがみんなが居るところでやってしまったら、我慢している人たちが泣き出してしまうんだろうな?気を緩めると止らなくなるのね。
病院からちょっと歩くと東京湾
海があります。
誰もいないから・・・
今どきガンと聞いて驚いてはいけない!ってくらい周りには居るけれど、お元気に過ごされているようにみえる。
こちらが触れなくてもご自身でお話してくれるから・・・
私自身いつ何時ガンですと、いわれるかもしれない・・・先の事なんかわからない。
タバコは吸っていないのに・・・毎日30品目かかさず食べていたのに・・・なんで?な人だって・・・
始まりがあれば必ず終わりが来るのだから・・・ただ、弟のさいごをみていて、私の時はどこかのお国のように、医者に注射1本でイッキにやっとくれ!と言えるようになっていたらいいのに・・・と思った。
では、おやすみなさい、さようなら、とお別れの言葉を告げて・・・
奥様の好江さんは見るからにきかなそうだけれど、やはり・・・
この夫婦の喧嘩はすごかったのね。
息子さんたちは兄弟げんかをした時に包丁が飛んで来た。ってことを話されるけれど、男の子ふたり・・・一緒だからよくわかる。
でも・・・愛情いっぱい・・・家族の愛が溢れていました。
いい夫婦だったのね。
テレビによく出ている女医さんが、昔は治らないから本人に告知はしなかったけれど、今は治る病気だから医者ははっきり言う・・・と言っていた。
弟がもう・・・って時に私は右腕神経ブチ切れという大怪我をしました。
救急車で入った某国立大学の先生に、このままこの手はぶっら~んですか?って聞いたら、かわいそうですがおそらくそのままでしょう。
左手より長くなってぶら下がっている右手をぶっらんぶっらんさせて生きるのか?やだなー・・・
今
多少不便でも誰が見てもちっともわからない、フツーに戻っております。
わからないことだらけ・・・
やたら長い備忘録になってしまいました。
備忘録と言うよりも・・・